毎年、終戦記念日に行われている(と表現してしまう)黙祷は、実はちゃんとしたことがない。
高校野球の試合が中断され、高校生たちも、スピーカーのかけ声でもって一斉に「黙祷」しているけれど、かなり儀式化してしまっている気がするのは否めない。
けれど、今日の黙祷は、儀式ではない。
心に負った致命的ともいえる傷を癒すために、もっとも必要なものは何だろうか?
高校野球の試合が中断され、高校生たちも、スピーカーのかけ声でもって一斉に「黙祷」しているけれど、かなり儀式化してしまっている気がするのは否めない。
けれど、今日の黙祷は、儀式ではない。
心に負った致命的ともいえる傷を癒すために、もっとも必要なものは何だろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます