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被爆者「原発も核兵器も人類の滅亡」

2011-08-07 14:09:22 | 主張

被爆者の岡田黎子(れいこ)さん(81)=広島県三原市=は「来年は、原発も核兵器も人類の滅亡につながることを、自分の主張として世界に発信してほしい」と注文

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110807ddm003040135000c.html

毎日新聞 8/6 クローズアップ2011
:広島原爆の日 「脱原発」被爆地も苦悩

 ◇平和宣言、踏み込まず 市民、賛否入り交じり

 広島は6日、東京電力福島第1原発事故後初めての「原爆の日」を迎えた。原子力への国民の不安が広がるなか、ヒロシマのメッセージが注目されたが、平和宣言は「脱原発」に触れたものの踏み込まなかった。被爆者の間でも原発に対する考え方に微妙な差があることや、政治に翻弄(ほんろう)されるのを回避したいなど、被爆地のさまざまな思いが絡み合った。

 松井一実・広島市長は平和宣言で、国民の原発不信を指摘し、エネルギー政策転換を政府に要求したが、脱原発については「主張する人々がいる」と述べるにとどめた。

 今回の宣言には初めて公募の被爆体験談を盛り込むことにし、体験談を選ぶため、被爆者を含む委員会(10人)が設置された。議論は非公開だが、原発についても意見が交わされ「核と人類は共存できない」という文言を盛り込むよう提案があった一方、いっそうの安全管理をした上での原発容認を示唆する意見も出たという。松井市長は宣言骨子を発表した2日の記者会見で「原発は国の政策だ。(市民の)意見も割れている」と説明した。

 過去の平和宣言も、核実験や核兵器など軍事利用は厳しく批判してきたが、原発に反対する姿勢を示したことはない。

 被爆者でもあり、戦後初の公選市長を務めた故浜井信三氏は53年、「(原子力が)殺戮(さつりく)と破壊のために使われるか、全人類共同の福祉のために使われるか」が人類の岐路だと言及、平和利用への期待を語った。同年12月にはアイゼンハワー米大統領が国連で「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」と題して演説、日本での原発導入の契機にもなった。

 「核廃絶運動」を支えてきた平和団体も一枚岩ではない。6日閉幕した原水爆禁止日本国民会議(原水禁)系の広島大会の初日、「3団体としては『核兵器廃絶』『被爆者援護』の課題で共闘します」「それ以外の課題は会場内ではご遠慮ください」と書かれた冊子が配られた。脱原発の原水禁▽原発推進を掲げる核禁会議▽電力総連なども加盟し、スタンスは「凍結」中の連合--の3団体の共催という形をとったからだ。

 原水禁副議長の西尾漠・原子力資料情報室共同代表は「核兵器廃絶の一点で協力してきたが、限界が見えた。福島では労働者が危険な作業を強いられており、労組も声を上げてほしい」と言うが、大会で連合幹部は踏み込んだ発言をせず、核禁会議は別に集会を開いて「資源を外国に依存する中で原子力は重要」とのアピール文を採択した。

 一方、9日に原爆の日を迎える長崎市でも、福島原発事故を受け、平和宣言で原発にどう言及するか、田上富久市長を委員長とする起草委員会(18人)で激しい議論があった。

 被爆者ら多くの委員は「脱原発」を盛り込むよう主張したが、市長は慎重姿勢を示し、最終的に「脱原発」には触れずに「原子力に代わる再生可能なエネルギー開発の必要性」を訴える内容に落ち着いた。

 長崎市最大の企業は三菱重工長崎造船所。年間生産額約4600億円(08年)のうち53%を発電プラントが占め、高木義明文部科学相(長崎1区)をはじめ、同労組出身の市議、県議は計10人を数える。

 平和宣言の骨子を発表した7月28日の会見で、田上市長は「(宣言は)市民代表として言える最大公約数」と説明。「直線的にいく(すぐに原発をなくす)と産業や市民生活に混乱を起こす。原発をなくすロードマップも示されないなかで『脱原発』の思いだけが先行するのは本意でない」とも語り、産業界への配慮をにじませた。

 広島市長を91~99年に務めた平岡敬さん(83)は、福島原発事故後、「原発を『必要悪』として容認してきたのは、誤りだった」と悔いを語っている。広島平和宣言の体験談公募に応じた被爆者の岡田黎子(れいこ)さん(81)=広島県三原市=は「来年は、原発も核兵器も人類の滅亡につながることを、自分の主張として世界に発信してほしい」と注文した。【樋口岳大、下原知広】

 


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