真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

中国語の咲子先生は北極星が怖い

2009-01-16 | 日記
中高年向けラジオ深夜放送のインタビューに藤原咲子さんが2夜連続でご登場。
その赤ん坊は、リュックの口から見える空を憶えていた!
「よく大きくなってくれました」

幼子3人を引き連れて満州から女手ひとつで日本までたどり着いた偉大な母、の話は有名(だよね)。
背中のリュックに背負われていたゼロ歳児本人が語る話は強烈。

残留孤児になっていたかもしれないし、殺されていたかもしれなかった方だと思う。
「泣かない子だった」そうだ。その元気もなかった、ということだったかも。
びいびい泣く子を連れた母親が、「グループ全体を危険にさらす」などとリーダーに迫られて・・・というケースはあったようだから。

第1夜のお話から:
リュックの口が少しだけ開けてあり、紐がゆらゆらするのを憶えている。そのため、揺れる紐は怖い。
また、夜歩く場合もあったので、星が見えた記憶がある。怖い星があった・・・。
栄養失調でお腹がぷっくり膨れていた。
帰国後何年かたってから、正彦兄が夜空の北極星を教えてくれたとき、「あれだ!」と思った。自分はあの星が怖かったんだ!と気付いた。
「それは後から話を聞かされて記憶が形作られたんでしょう」と言われてきたが、調べたところ、本人の記憶に残っていてもおかしくないとわかった。
・・・ふう~ん。

第2夜から:
父親の新田次郎さんは、(機嫌のいいときは)家族で食事する際、執筆中の作品の粗筋を語り、「どんなタイトルがいいだろう?」と子供たちに提案を求めた由。
咲子さんがようやくひとつ考える間に、利発な兄たちは幾つも提案し、多くは正彦兄さんの案が採用された。「八甲田山死の彷徨」など多くが正彦兄の命名だ。
・・・ふう~ん。

母・藤原ていは認知症 長女が著書で公表
(2005年5月23日 読売新聞)

【書評】『流れる星は生きている』藤原てい著
櫻党さん2008/07/15

[書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子)

finalventさん2004/8

エッセイストとしては旧姓で、中国語の先生としては戸籍名で、と使い分けされているんだろうな。

電車の中吊りで知ったのだが、200億円の特別基金
で資料の展示等も結構だが、「流れる星は・・」でも配って読ませたほうがいいんではないか。
と思ったら、廃止が決定だってさ。 soumu.go.jp/080408pdf
・・・ふう~ん。


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