講談社現代新書
『日米同盟の正体―迷走する安全保障』
孫崎 享【著】
講談社 (2009/03/20 出版)
引用するに値する至言多数。
とはいえ、なかなかビミョーなものが?
阿修羅レベルってなにさ
この種の本では異例のベストセラーに躍進中の同著も、鳩山新政権の誕生を辛口評価する主要メディアから無視同然の書評なしという状態が続いています
[投稿]-読書メモ-
あ~ぁ、言ってもうたーず
~「それは言わないお約束」の有効期間が墓場までではないケース
ラスプーチン氏の場合は、ノンキャリアとして異例の活躍をしたものの、国策捜査に巻き込まれて失脚して・・・というパターンだったが、この著者はキャリアのなかでもきらびやかなご経歴であり、異なるパターン。
外務省のキャリアの「東京大学法学部中退」
以下、一般論に(本書の著者がどうのこうの、という話でなくなる)。
あの役所では、人もうらやむくらいの幹部としての職責を全うして引退後に、「じつは・・・」と本当のことを言ってしまうヒトがいるような気がするな。
終着ポスト在任中に自爆してしまう(もとい、筋を通して信念に殉じる)ヒトもいるけど、そうでなくて堂々と引退したヒトの中に、「こんなことをやっていたけど、○○○○でした」と受け止めることができる大告白をされる方がいる。
頂点を極められて引退された後に、上下2巻の回想録をお書きになったかたも。
他の役所でもあるだろうか、このパターン。
ある種の国家資格を持つ立場で途中から入ったヒトで、いまも噛み付きまくっているヒト(もとい、貴重な問題提起をされている、だな)や、特殊法人勤務時代の実態暴露系ネタで売り出したヒトなどはおられるが、カテゴリーが別だ。
あの役所の場合、途中で飛び出したのでなく終点まで無事に出世されて、引退しておいてからの「じつは・・・」組が目立つような気がする。
興味深いことである。言ってもうたーずの出現率。
なぜ?
仮説1:
欧米でも、外交に携わった人物が回顧録で「じつは」とやることがあるので、そのノリなのだろうか。
歴史に対する責任、みたいな感じ?そんなかっこいい動機か。
「今、もし自分が本当のことを言って抵抗したとしても、首を挿げ替えられて言う通りに動く人物が後任になり、何事もなかったように粛々と当初方針通りに執り行われるだろう。それならば(本当のことを知っている)自分が(不本意ながら)現ポストに期待される役割を果たし、引退後にいつか本当のことを言おう」と考えるのかな。
(以上は、歴史に対する責任仮説)
仮説2:
ずっと我慢に我慢を重ねてきたが、引退してからの天下り先や処遇が国内行政系の官庁(70歳まで渡りのうまみ?)に比べて「いまひとつ」であることは否めない(だから海外勤務の間に熱心に蓄財に励んだり?)。引退後にそれが我慢しきれなくなるの?
良心を麻痺させるクスリが切れてしまうの?
(以上は、口止め料が足りない仮説)
仮説3:
そのシゴトの場合、相手の国というものがある。
将来、相手国の情報公開制度で事実が明らかになり、関係者も公然と認めるようになったことを、日本側関係者が、「そんな密約(例)など存在しないっ!」、「ないものはないっ!」と否定し続けるというようなトンマな状況には(自分の生存中か否かに係らず)耐えられない・・・と考える。
国際的に通用する見識を備えるべく研鑽を積んだ人物は、国内だけに通用するお伽噺につきあうにも限度というものがある。
(以上は、密約有効期間切れ予想仮説)
おちゃらけです。
んじゃ。
『日米同盟の正体―迷走する安全保障』
孫崎 享【著】
講談社 (2009/03/20 出版)
引用するに値する至言多数。
とはいえ、なかなかビミョーなものが?
阿修羅レベルってなにさ
この種の本では異例のベストセラーに躍進中の同著も、鳩山新政権の誕生を辛口評価する主要メディアから無視同然の書評なしという状態が続いています
[投稿]-読書メモ-
あ~ぁ、言ってもうたーず
~「それは言わないお約束」の有効期間が墓場までではないケース
ラスプーチン氏の場合は、ノンキャリアとして異例の活躍をしたものの、国策捜査に巻き込まれて失脚して・・・というパターンだったが、この著者はキャリアのなかでもきらびやかなご経歴であり、異なるパターン。
外務省のキャリアの「東京大学法学部中退」
以下、一般論に(本書の著者がどうのこうの、という話でなくなる)。
あの役所では、人もうらやむくらいの幹部としての職責を全うして引退後に、「じつは・・・」と本当のことを言ってしまうヒトがいるような気がするな。
終着ポスト在任中に自爆してしまう(もとい、筋を通して信念に殉じる)ヒトもいるけど、そうでなくて堂々と引退したヒトの中に、「こんなことをやっていたけど、○○○○でした」と受け止めることができる大告白をされる方がいる。
頂点を極められて引退された後に、上下2巻の回想録をお書きになったかたも。
他の役所でもあるだろうか、このパターン。
ある種の国家資格を持つ立場で途中から入ったヒトで、いまも噛み付きまくっているヒト(もとい、貴重な問題提起をされている、だな)や、特殊法人勤務時代の実態暴露系ネタで売り出したヒトなどはおられるが、カテゴリーが別だ。
あの役所の場合、途中で飛び出したのでなく終点まで無事に出世されて、引退しておいてからの「じつは・・・」組が目立つような気がする。
興味深いことである。言ってもうたーずの出現率。
なぜ?
仮説1:
欧米でも、外交に携わった人物が回顧録で「じつは」とやることがあるので、そのノリなのだろうか。
歴史に対する責任、みたいな感じ?そんなかっこいい動機か。
「今、もし自分が本当のことを言って抵抗したとしても、首を挿げ替えられて言う通りに動く人物が後任になり、何事もなかったように粛々と当初方針通りに執り行われるだろう。それならば(本当のことを知っている)自分が(不本意ながら)現ポストに期待される役割を果たし、引退後にいつか本当のことを言おう」と考えるのかな。
(以上は、歴史に対する責任仮説)
仮説2:
ずっと我慢に我慢を重ねてきたが、引退してからの天下り先や処遇が国内行政系の官庁(70歳まで渡りのうまみ?)に比べて「いまひとつ」であることは否めない(だから海外勤務の間に熱心に蓄財に励んだり?)。引退後にそれが我慢しきれなくなるの?
良心を麻痺させるクスリが切れてしまうの?
(以上は、口止め料が足りない仮説)
仮説3:
そのシゴトの場合、相手の国というものがある。
将来、相手国の情報公開制度で事実が明らかになり、関係者も公然と認めるようになったことを、日本側関係者が、「そんな密約(例)など存在しないっ!」、「ないものはないっ!」と否定し続けるというようなトンマな状況には(自分の生存中か否かに係らず)耐えられない・・・と考える。
国際的に通用する見識を備えるべく研鑽を積んだ人物は、国内だけに通用するお伽噺につきあうにも限度というものがある。
(以上は、密約有効期間切れ予想仮説)
おちゃらけです。
んじゃ。