松田道一 - Wikipedia
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昭和戦前期における宮内省御用掛と外交官pdf
ほぉ、御用掛としては の後任が松田道一だったのか。
白鳥については、「富田メモ」によると昭和天皇は白鳥(取と誤記)の靖国合祀を批判的にコメントされていたと伝えられているよね。
ふむふむ、なるほどたしかに。
研究者(古川教授)のコメントに、(当時の日本政府指導層には)「外国首脳から直接聞いた情報(直話)である、というような(在外公館等の)報告を過大に評価して判断を誤った(ドイツの情報戦に乗せられた)」(大意)というのがあった。
独ソ戦初期のドイツ優勢を受けて、その後の展望を誤らせた大島大使のことだわね。
ドイツ語使いの陸軍高官の父にドイツ語使いになるべく育てられ、計画通りそうなって、軍内外でドイツ通の名声を確立して、ナチスドイツ高官に食い込み(実は日本を操縦するのに便利な窓口だと判断され、徹底的に利用された)、
「自分がヒトラーから直接説明を受けた話だ」
「リッペントロープが自分のために解説してくれた」
などもったいを付けて東京に報告し、東京ではそれを有難がって信憑性の高いものと奉った。
出所自体は確かだったとしても、見通しの根拠が精査される仕組みに欠けていた。
ので、現実の展開は・・・
本人に悪気はなかったとしても、お粗末な話。
あと、松田は、ポツダム会談についての報告(御進講最終回、7月)に際しても、「ソ連の対日参戦が話し合われた様子はない」と述べたわけ?
ずっと以前に(2月に)ヤルタで確約(密約)されていて、独降伏後3か月の対日参戦に間に合わせるべく、ソ連はそれはもうシャカリキに人員や装備物資の東送中だったので、もうその時は改めて話し合う必要もなかった、が真相かも?
(話それるけど、ポツダムでは)
トルーマンがトリニティ実験の成功についてスターリンに告げたけれど、「ふうん」という反応でしかなかったのは、「意味がよくわからなかったから(とトルーマンは思った)」ではなくて、「(マンハッタン計画参加科学者の中などに潜入させていた)スパイから既に報告を受けていたので、驚いてみせるのも変だし/知ってるもんとも勿論言えないし・・・」だったからというね。
ヤルタ密約についてはストックホルムの小野寺武官から報告されていたが、なんと握りつぶされていた。
「降伏についてソ連に仲介を依頼中だから」という前提が日本の指導部の諸判断を誤らせた。
日本はソ連に、「仲介ですかぁ、そうですか。ちょっと待ってもらえませんか。大使の体調悪くて」とかなんとかいい加減なことを言うなどして引き延ばされ、そのラインに望みを託して無駄に待ちながら(本土各地を米機に空襲されつつ)対日参戦の準備を着々と進められたよね。
一方、米は、ソ連に極東で大きな顔をされる前に原爆を実際に使って威力を示して、既に始まっていた冷戦で優位に立とうと考えたよね。
ドイツに都合よく利用されたし、ロシアに騙された甘ちゃん日本。
条約等々は、自国に都合がよい場合は守るが、都合が悪いものは無視するのがいざという場合の強国の作法ではないか。
バチカン経由での対米降伏交渉を打診してきたというマーティン・キグリー(クィグリー)なるOSS諜報員とは、
Martin Quigley Jr. - Wikipedia
戦後は市長も務めた。2011年に93歳で没。
Martin Quigley Jr. (November 24, 1917 – February 5, 2011) was a publisher of film magazines, an author and a politician twice elected mayor of Larchmont, New York.
「もしも自分の工作が正しく先方に伝えられ、順調に進んでいたならば、広島に原爆を投下する前に日本を降伏させていた筈だ」という本も書いているの?
1991年のインタビュー?
Martin Quigley, Who Tried to Prevent Hiroshima – Now I've Heard Everything
Amazon | Peace Without Hiroshima: Secret Action at the Vatican in the Spring of 1945 | Quigley, Martin S. | Vatican
まあそれはそれとして、どうしても実戦使用してみせなければならないと主張するグループもいたわけで、どっちが優勢だったか。
ところで、
昭和天皇はあの(再現ドラマの)ように、いつも文語調で話していたのかな?
お仕事モードのときはそのようだった?ほんとに?
という疑問が生じた。
たとえば、実際には、「〇〇は□□なの(か)?」との発言だったとしても、御用掛がそれを自分のメモに落とす際には
「〇〇は□□なりや」と書き言葉でなされた、というような可能性はないのかな?
発言「(〇〇の問題は)どう処理するのか?」→メモ「如何に処理するや」とかね。
再現ドラマは、残っているメモをもとに台本を作るしかないため、文語調の応酬になるけど。
公務の際にいつもあんな調子(再現ドラマの会話のような)で話していたら、疲れてしまうのではないか?
昭和天皇の実際の口調について、さる経験者に聞く機会は数十年前まではあったのだが、当時は気付かなかった。
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