真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

平成の自衛官を終えて ―任務、未だ完了せず 飯塚 泰樹【著】

2022-03-08 | 読書-エッセイ/小説etc
平成の自衛官を終えて/
ナヌ?自費出版なの?

第1章 転職先は陸上自衛隊
第2章 空挺隊員として
第3章 最初の米軍留学
第4章 二度目の米軍留学
第5章 イラク派遣任務
第6章 情報科隊員として
第7章 ハイチ派遣任務
第8章 ジブチ派遣任務
第9章 国緊隊員としてレイテへ
第10章 最初の先任上級曹長上番
第11章 二度目の先任上級曹長上番
第12条 三度目の先任上級曹長上番
終章  自衛官としての落日

米軍留学2回、海外勤務4回(イラク、ハイチ、ジブチ、レイテ)で先任上級曹長に3度も起用されるというのは、もしかしてピカピカのエリート下士官なのでは?
だが、じつは色々と自分で考える人であり、当局側が困る指摘も数々…みたいな感じ?

写真発見!
飯塚 泰樹|幻冬舎ゴールドライフオンライン

情報収集の部隊だと称して何をしているかというと、新聞の切り抜きが中心だったり~幹部たちは著者の知らないところでもっと高度なことをしているのですよ、とか何とかいうのかもしれないが、そうでもない感じ?

多くの場面で、せっかくの自分の提案が却下されたという記憶がしばしば。
部隊上層部としては、いちいち細かく事情を説明してこなかったけれど、中堅以下の諸君に明らかにしていなかった(説明できない)諸事情もあったので、それらを総合的に勘案した結果なのだが、そんなに不満かね?という対応になるのかもしれないけどね。

著者が訓練を受けた平成初期は、体罰がまだまかり通っていたのだという記述に驚く。
平成も末期になると、体罰禁止が叫ばれていたようだが、どうなんでしょう。
米軍では、怒鳴りつけたりしてプレッシャーをかけるものの、「手を上げる」ことはないようなのだが、J隊では旧日本軍の体質を引きずっていたの?情けなや。

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