真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『戦争特派員―CNN名物記者の自伝』 1995年ピーター・アーネット

2010-02-13 | 読書-歴史
『戦争特派員―CNN名物記者の自伝』
原書名:LIVE FROM THE BATTLEFIELD:From Vietnam to Baghdad 35 Years in the World’s War Zones
(Arnett,Peter)アーネット,ピーター【著】
沼沢 洽治【訳】
新潮社 (1995/07/25 出版)

訳者のお名前、オールサンズイ!
著者と同世代のようなのだが、なかなか古風な表現あり。

例:
「一週間の予定の膝栗毛だが」
「もう桑原桑原と心に誓っている」

原著初版は1993年かな。
キャパになれなかった平敷さんの著書を思い出しながら読む。

非アメリカ人でアメリカの報道機関に現地採用で入社し社員に登用される、ベトナム人を妻とする、などは両者に共通かな。
平敷さんは、テレビ局のカメラマン、アーネットは通信社の記者としてベトナム取材。

インタビューと写真:ベトナム戦争は「メデューサ」だった 平敷安常さん
メディアの扱いについては、米政府は高い授業料を払ったという気がするな。

Peter Gregg Arnett, ONZM (born November 13, 1934, Riverton, New Zealand)

PBS Reporting America at War :PETER ARNETT

そうか、転落したのか。
戦場記者ピーターアーネットの転落 (2003/04/03 JanJan)

US network sacks top journalist
BBC NEWS / 1 April, 2003

おや、2009年末に来日講演か。
公開講演会:同志社大学アメリカ研究所主催 同志社大学社会学会共催
ピーター・アーネット「戦争とメディア」を語る

政府発表に隠された真実を知って 米の戦場ジャーナリスト、同大で講演
Kyoto Shimbun 2009年12月2日(水)

1962年にアーネットがAPのサイゴン支局に加わった際に、支局長のブラウンが用意していてくれた手引きについての記載があるのだが、web上に出ていたわ。
MALCOLM W. BROWNE:Saigon AP Bureau Handbook
A SHORT GUIDE TO NEWS COVERAGE IN VIET NAM

実戦的。
そのアドバイスに従って闇市で買い揃えた戦場取材用装備一式を広げた、アーネットの写真(ほうら、こんなに!という趣)が本書に掲載あり。

A complete listing of AP's Pulitzer Prize Winners
一覧の中からベトナム戦争関係を抜き出すと以下の通り:
1974 -Slava (Sal) Veder, for a picture of a U.S. Air Force officer being greeted by his family after being held a prisoner of war in Vietnam.
1973 -Huynh Cong (Nick) Ut, for a picture of a Vietnamese girl fleeing in terror after a napalm attack.
1969 -Edward (Eddie) Adams, for a picture of Vietnamese Brig. Gen. Nguyen Ngoc Loan executing a Viet Cong prisoner on a Saigon street.
1966 -Peter Arnett, for war reports from Vietnam.
1965 -Horst Faas, for photos from Vietnam.
1964 -Malcolm Browne, for war reports from Vietnam, including the overthrow of the Diem regime.

アーネットが過ごした時代の3羽烏が、1964年ブラウン、1965年ファース、1966年アーネットと連続して受賞するという、黄金時代だったな。
包囲された特殊部隊基地で、軍事顧問としてベトナム兵を励まして獅子奮迅の活躍をするシュワーツコフ少佐、の描写などもある。なるほど。

サイゴン陥落の最終局面で、殺到するヘリコプターで米空母に命からがら逃げた記者の武勇伝は読んだことがあったが、アーネットらはなんとその後もサイゴンに残った。
残ったジャーナリストは、大使館の酒蔵から酒を失敬してきて酒盛りしたり、他国の大使館のオフィスに入り込んで親しいベトナム人のためにビザをでっち上げたり・・・。
もうなんでもあり。

国が一つ、一巻の終わりを迎える始終を見ることができたのは凄い。
支局に写真を売りに来ていた「小遣い稼ぎの役人」が、じつは共産勢力の先乗り隊員だったので、その人物が安全を保証するよう話をつけてくれていた云々・・・。

ほとんどベトナムの話が中心といってよいかな。
その後の各地での活躍も記載あるが。

湾岸戦争開戦の際の有名な放送の場面、南面堂は仕事場のテレビでライブで見ていたのを思い出す。
ワインバーガー(元国防長官)のインタビュー中に割り込んでのアーネット記者の現地中継、本書記載の通り。
その裏話は興味深い。

(本から離れて回顧・・・)
それと、攻撃から帰投した搭乗員に基地でインタビューしていたな。
「どうでした?」
「トリプルAがけっこう凄かったんですが、不安はありませんでした…」という感じだったな。
Anti-Aircraft Artilleryね。

その際、第1撃要員の時は、名前と階級、出身州を聞いて、画面下に「○○州出身、△△大尉」などというテロップを出していたが、家族がテロの標的になったりするリスクがあるということで、すぐに氏名等の表示は中止になったのだった。
そんなこと、覚えているヒトはいるかな。

出撃の際に(エンバーゴ条件で)録画しておいたものがあります、ということで、「爆装した攻撃機が続々と離陸していきます!」などという画像を時間差放映していた。
ベトナムでの教訓を生かしたわけね。

湾岸戦争の際にアーネット記者とバグダッド取材を共にした、バーナード・ショー。
いたいた。思い出した。
Bernard Shaw

アフガンはねえ・・・。どうするのかねえ。
「夜は絶対に外出しないこと。アフガニスタンでは日が暮れたら人は一人残らず山賊だと思いたまえ」とマスード将軍の兄に言われたのだそうで、まあそうなのだろう。


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