穏やかに

これからの人生を穏やかに過ごせたら幸せ!

昨年の日記から・・・

2019年05月27日 | 夫の闘病記

週花は南アフリカの国花キングプロテア

 

 

平成28年から始めた10年日記

毎日3行だけの記入スペース、メモ程度に書いている。

昨年の今頃の夫の様子です。

 30年5月14日・・・リハビリ2日目、平行棒に掴まり歩行練習

     16日・・・立つことはできたが一人歩きは無理

     17日・・・尿管が取れてシャワー浴、血痰が出てた。

     18日・・・CTの結果を訊く、肝転移など最悪!!

          今後のことを病室で夫婦で話す。

      

   19日・・・酷だけど「遺言状」の作成

        夫も承諾してくれ、談話室で丁寧に間違いなく書いた。

        夫婦だけの秘密のはずが、翌日には娘から

        「お父さんがすべてお母さんに譲ると遺言状を書いたって

                              言ってたよ」と云われた(笑)

   20〜22日・・・お店は3連休、夫の家庭菜園の整理をした。

         大量の玉ねぎを収穫して畑を地主さんに返した。

      

   23日・・・脳のMRIの結果は変化なし(脳転移のまま)

        重病患者の個室から2人部屋に移動

   25日・・・病室で髪をカットした。  

        足が地に着いた感じになる。

   26日・・・車いすで移動して洗面所で歯磨きをする。

   27日・・・古希の誕生日を迎える。

        娘が買ってくれたケーキを食べた。

        病気が発覚しなければ「古希祝」で沖縄旅行に行っていた…

 

 

     しかし、この誕生日に訃報、夫の実家の兄嫁が亡くなった。

     夫が小学5年の時に嫁いできて

     私と結婚するまで同居してお世話になった兄嫁

               長兄が亡くなってからも夫は兄嫁を愉しませようと

                     旅行や食事に誘った。

     最後のお別れをさせてあげたかったが外出許可下りず・・・ 

      28日・・・歩行器で2メートル歩く。

         フラフラで介助の人が付いていないと歩行器でも危ない。

 

   そして、今日令和1年5月27日 歳を重ねることが出来ました。

  私と夫はお互いの誕生日は無視、、、

  お祝いの言葉もプレゼントもしたことがない。 

 昨年は「古希祝」と言う゛こじつけ˝で旅行の計画をしたが

   病になり中止になった。

 

 さて、今年は、、、

 一応「祝いの食事に行く?ケーキ食べたい?」と聞くと

 「家で食べる方がいい、食べたいものがない」と言う。

 じゃーー何もしない・・・と思ったが、

 

  初物を食べると長生きする

 

  

 


 ってことで、、、

    初スイカにトウモロコシでお祝いです

  

 

 

 

 

 


それなりに穏やか~♪

2019年05月15日 | 夫の闘病記

店の週花は母の日に因んで赤いカーネーション

  

 

 

5月10日・・・夫はひと月ぶりの通院日。

       レントゲン・血液検査は特に変わりなく、ステロイドが最終段階

                     の減薬になった。

                    特に治療もなく主治医と笑い話をして終わり。

       次の通院日は5週間後! CTを撮ります。

 

夏のガーデンは ペチュニアさくらさくら

 

13日・・・「私のところに来てる癌患者さんは癌が消えた」と口癖?の

                  マッサージに連れて行った。

         師は最初に「気」を入れて全身状態を看ます。

          「胸が良くなってる、腹部はまだ違和感がある。

                   こんなに早く癌が消えるとは…

        最初に看た時に何とかなると思った」と言う。

       「私も最初はマッサージで癌が消える?とは思っていませんでした。

     なんか信じられませんが、確かに消えてるんです。

              人のために徳を積んでる先生は凄い方ですね!」と言ったが、

         イマイチ信じてないから返答が可笑しい

 

マッサージの帰路に寄った蕎麦屋

 けして大盛りではありません。食べても食べても減らない蕎麦だった

  

 

 

母の日に貰ったプレゼント

 娘夫婦からはコチョウラン 息子夫婦からは茅野だし

   どちらも貰って嬉しいプレゼント! ありがとう

 

 

88歳の母にはサクランボを送った。

(サクランボ狩りに行った?と聞いてきた!母の日分ってるのかな?)

  

 

 

14日・・・介護認定調査日

     現在 夫は「要介護2」の認定を受けています。

     今回、、、主治医は「演技して」と~(笑)

     調査員が来る前に夫に「演技」を練習させたが、、、

         ワザとらしい…

     調査員だってプロだから、演技は見分けるって~!

     結局、多少の歩行不自由を訴えただけの調査になりました。

     ほぼ一人で日常生活ができる夫は「要支援」も、どうかな?

     でも それはそれで元気になった証拠だから、、、

         良いことだよ!と夫婦で納得

 

よっこちゃん~ 今年も咲きましたよ

    

 

去年の今頃は・・・

 「余命」が頭から離れず、精神的なストレスで

    心身ともに疲れ切っていた。

 

 がんセンターの駐車場から玄関までの長い歩道を

   足が進まず、あと何往復するのか…苦痛だった…

   

 1年後、それなりに穏やかな日々を送ってること事態、

    想像だにしませんでした。

 

 

  

 

 


下部温泉と1回目の入院 

2019年05月07日 | 夫の闘病記

「令和」 迎えることができました

 

GWの5~6日は暫くぶりの3姉妹夫婦6名で温泉旅行に出掛けて来ました。

 

「富士 芝桜まつり」見頃です

     天気が悪かった・・・ 雨女(私)健在です

 

 

下部温泉と近場ですが、夫も私も楽しみにしていました

その昔 石原裕次郎さんが怪我療養のために長期滞在した

  下部温泉ホテルに宿泊

夫の病も「信玄の隠し湯」で癒されるのを願って~

 

ホテルの部屋から枯れた松の木の上に鳥の巣が見える。

  鳥の名はアオサギ  可愛くない!!

  部屋・食事・温泉よりも印象に残った鳥の巣

 

 

身延山久遠寺 奥の院に参拝、 頂上の桜とツツジとこいのぼり

 

運転は義弟二人に任せて、久しぶりに再会した3姉妹

 毎年 元気に旅行していた時がよみがえったようでした。

  

 

 

 

〘昨年の今頃〙

 重篤な副作用で最初の入院となった経緯です。

 

2018年4月23日…初回のキイトルーダ投与ができてほっとしたのも

束の間、咳と血痰・微熱・背中と胸痛・一晩に2回も着替える寝汗、

食欲も落ちて見るからに痩せた身体…

それに加えて下肢のふらつきと時々の妄想?

5月2日が通院日だったのでそれまでは本人も「大丈夫」と言うので

 様子を見ていました。

 

そして魔の5月1日…朝 2階の寝室から階段を下りてくる時に

「手を貸して」と言われた。

足に力が入らず私の支えと手すりに摑まり、どうにか下りた…

仕事の合間に覗きに行くと、

居間で寝っ転がっていたが、場所がコロコロ移動していた。

多分 身体が辛くて身の置き場がなかったのかも…

 

熱を測ると38℃ 明日の通院日まで待てないと思い、病院にTELした。

すぐに看てくれるというので着替えを渡すと、

「ズボンを履かせてくれ」と言われた時は吃驚しました。

夫は腰が抜けたようになって、立つことも歩くことも一人ではできなくなっていた。

 

娘とどうにか車に乗せ、がんセンターに着くと車椅子で診察室へ~

主治医は「車椅子で来たの?」と驚いた様子~!

熱も39℃ 立つのもやっと…

すぐに入院して検査になりました。

この時は何が何だか分からず…

 

翌朝 入院の支度をしてがんセンターに行くと

病室はナースステイション前の重病人の個室、

昨日の服装のままで点滴・酸素吸入・導尿して寝てる!

  ええ~~! どうした?

 

主治医から癌が脊髄に転移して脱力・立位保持困難…

「絶対安静でベットの傾斜は20度まで、トイレも食事も寝たまま」と言うのです。

5/2から放射線(7回)とステロイド点滴治療になると説明があった。

 

キイトルーダは効いてなかった…

 

病院食はご飯は小さなおにぎりに、おかずは一口大の串差しに~

 いろいろ考えるものですね、、、

困ったのは便…寝たままでは出ないのでポータブルトイレに

 座らせるのが大変でした。

 

 

CT検査の結果・・・ 骨転移増悪 肝転移出現 肺内転移増悪

主治医からキイトルーダは中止、抗癌剤の治療になるが

 現状では難しい、、、その際は緩和治療になる…

 

キイトルーダを投与して病気が進行してしまった…

 

娘が同伴してたので、勇気を出して余命を訊きました。

 まさかの数カ月! 夏から秋には・・・年は越せない・・・

 

呆然と診察室から出て「苦しまないようにしてあげたい」と私が言うと

娘は怒ったように「抗癌剤だってなんでも治療してもらうんだよ!」

   ああ~私は何てこと言っちゃたんだ…

子供にとったら父親をそう簡単に 死なせたくない!

        諦めたくない!のだ・・・

 

7回の放射線後はベットでのリハビリが始まり、傾斜も角度が少しずつ上がり

一日30分だけ車椅子に乗ることが許可されました。

車椅子の乗り降りは必ず看護師さんがして、押すのは「奥さんだけ」と言われました。

夫の車椅子を押して、売店でプリンやヨーグルトを買い談話室で食べて病室に戻り、

  看護師さんにベットに移動させてもらう日々が続きました。

 

 急遽、GW明けに倉敷から息子が孫のrikutoを連れて見舞いに来た。

私は息子に今後の事など不安で弱音を吐いてしまった…

 (後に息子は転勤願を出して10月に家族で引っ越してきました)

 

息子が倉敷に帰る時「お父さん、何か言いたいこととかある?」

と聞くと「何もない、気をつけて帰れよ」と夫は言った。

夫は自分の病を理解してないようだと息子と話した。

  それならそれでいい・・・

 

徐々に点滴の数も減り、酸素・導尿が取れてきた。

付き添いが必要の車椅子移動、トイレも車椅子で行けるようになる。

 

今後の治療方針がないままに「ひと先ず家に帰ろう~」と主治医が言う。

在宅看護に移行するため、介護認定の手続きが始まりました。