穏やかに

これからの人生を穏やかに過ごせたら幸せ!

今年最後の更新です。

2020年12月25日 | 「新」 日記

店のお客様手作りのケーキでメリークリスマス

 マカロンも手作り~ 素晴らしい出来栄え

 

  

内科で眠剤処方・歯科で根幹治療・コンビニとスーパーに出掛けるだけ…

 クリスマスツリーもイルミネーションも見てない…

でも こんな素敵なケーキを頂いて「ひとり」でもクリスマス~(^^♪

サンタからのプレゼントは・・・

   TVショッピングで服2枚買った

 

 

 

今年はコロナ禍による影響のある一年でした。

 私事では法事を滞りなく済ませる使命感の日々…

  たくさんの方々にお世話になりました。

本年も拙いブログに訪問頂き誠に有り難う御座いました。

  2021年が皆様にとって佳き年になりますように。

 

 

 


2年ぶりの仕事

2020年12月16日 | 仕事

先月の七五三の仕事から~~

 2年ぶり日本髪を結った!

  メイクは女の子のママ・着付けは昔、結婚式の着付けをしていた祖母

 

 

     

 この頃は舞踊もカラオケの会もなくなり、

    アップスタイルをするお客さんが少なくなった。

 

予約を頂いてから緊張しましたが…

 まだ 腕は衰えてないぞ~~~って!  思った(^^♪

 

 

 


2019年11月の日記 

2020年12月08日 | 夫の闘病記

夫の闘病記はこれで終わりになる……かな?

   3行日記から抜粋と記憶からの記

 

今季も介護ベットから見てたワビスケが咲いた~

      

 

2019年11/1 (金)   がんセンターに通院

  悪化していた。

  「いつでも入院できる」と主治医に云われショック!!

  同病の兄の家に寄り愚痴を聞いてもらう。

 

 11/2 (土)   朝・・・じゃがバター

     昼・・・焼きおにぎり

     夜・・・たこ焼きとビール

 すべてが少量の食事、 夢で肉をたらふく食べていたと云う。

    兄・息子・娘が来た。 入浴した。

 

 

11/3 (日)   便秘で苦しそう。 左足首下より浮腫みが出てきた。

   朝・昼・夜の食事がストレスになると云う。

   殆ど固形物は食べない…食べれない。

 水分と栄養ドリンクだけは無理に飲ませた。

   夜・・・ビール(小グラス半分)   入浴は無し 

 

 

11/4 (月)   買い物に付いてきたが車から降りず待っていた。

   

   痛みに耐えらず、我慢して飲まなかったモルヒネのオプソを服用

    血痰が出た。

   

   トイレ・着替え・洗顔・入浴は見守りしていればできる。

   時々 妄想もあるが、まだ意識はしっかりしていた。

 

11/5(火)   訪問看護師に苦痛を訴える。

    足の浮腫みは水分不足?と云われ、夫は納得する。

     足湯に入れて貰う。

   

    訪問看護師は30代の男性、緊急もすぐに駆け付けてくれ

    訪問日でない時も様子を看に来てくれた。

     帰り際にギリギリまでの在宅介護をお願いした。

  

  夕方、兄の家に行く。同病になってから兄弟愛が親密になった。

 

11/6  (水)  テレビ・新聞も見ない…  一日中ベット…

  「痛い痛い」しか言わない。 オプソもかなり本数を服用してる。

  

  朝はパジャマから普段着に着替えさせて

   3度の食事も食卓に座って、栄養ドリングを飲ませた。

  寝込まれたら終わりになると思った… 

     夫は辛かったと思う…   後悔してます…

 

 

11/7 (木)   鎮痛剤で眠っている時が多くなってきた。

  

  妄想が頻繁に出てきた。

    いきなり「珍しいじゃ~」と叫ぶ。

    勤務していた時の仲間が来たと言う…

   私が「お父さん、しっかりして!大丈夫?」と言うと

    我に返り「おかしいなぁ~」と苦笑い。

 

    昼・夜・・・少々 ビールだけは飲む

  

 この日、私の母親に「電話して~」と言う

     二人は大きな声でお互いの身体を気遣う会話していた。

 88歳の母はこの数日後に娘婿が亡くなるとは思わなかったでしょう…

 

 

 週花は葉牡丹  サラダにしたら美味しそう~^^

   

 

 

 11/8(金)    がんセンター通院日。

   私はこの日も朝から店が予約客で忙しかった。

    仕事に行く時、夫はソファーに座ってTVを見ていた。

   午後から通院なので昼に閉店して自室に戻ると

    夫は朝のままの状態で眠っている… 一歩も動いてなかった…

 

  限界が近くなってきたようだったので

       息子と3人でがんセンターに行く。

  

 夫は主治医に痛みを訴えるが

  「検査はショックを受けるのでしない。痛み止めを各種処方、

     自宅酸素の手配、次の通院日は2週間後」で診察終了。

  

  夫に息子は酸素の手続きをすると云い、先に私と診察室から出た。

  息子が今の状態と今後の事を主治医に訊いた。

  

 「無治療になっているので、いつどうなってもおかしくない。

    余命は年末か年明け… 

  急変した時は必ず救急車で来ること。

     延命処置はしない。入院はいつでもできる」

   

    最後の通院になった…

 

 センターの帰路、兄の家に行きたいと言うので寄る。

  息子に車から降ろして貰うが歩けず、兄夫婦が駆け寄って来た。

   この日が兄弟最後の会話になる…

 

 夕方、自宅酸素の設置に業者が来た。

  夫は「必要ない」と頑固に断っていたが、

     主治医の手配だからと言い聞かせる。

  業者の方の身の上話を聞くと夫は涙を流しながら「偉いな~」

    (育児放棄された障害のある子供を引き取り育ててる)

   そこまで泣く?と私は思った…

 

11/9 (土) 朝食、一切れのパンが飲み込めずに苦しがる。 

     無理に食べさせるのはやめようと思った。

   

  喉がゴロゴロなるのが気になる…

   SpO2値は酸素をしてるからか安定してるようだった。

  

  私はこの日も店が忙しくて仕事~

   (夫の具合が悪くなると繁盛する?)

  

 日中は息子、娘一家が来ていた。

  後で聞いた話だと、、、、

   夫は自分の財布から

     一番小さな孫、3歳のayanoに小遣いをあげたらしい。

   

  そして、娘婿に

    「〇〇君は一番年長だから、これから頼むよ」と云ってた。

 

  着脱を手伝ってお風呂に入れた。トイレも自力で行けた。

    夫婦の会話は普通だった。

 

      

   

 

 11/10 (日)   生前 最後の日

  日に日に状態が悪くなっているのがわかる…

  

  もう朝の着替えも洗顔もできそうにない。ベットで眠っている。

   明日、入院させる準備をした。

  

 私は仕事があったので、息子と娘に朝から来てもらう。

  (余命は年末と聞いていたので、まだ仕事ができると思っていた)

  

 夫は薬のせいか寝てばかりいたそうだ。妄想もあった。  

 

  朝も昼も食べない。ベットで水分だけは取らせる。

   大量の薬を飲み込むのも一苦労…

  

  11月になってからは食事は殆ど食べれなくなっていた。

 

  それでも、夕食の時に「ビール飲む?」と聞いてみる。

   「飲もうかな」と返事!

  ヨロヨロと食卓に座る。TVは好きな相撲が観えた。

  相撲で負けた力士に「ダメだぁ~」とタメ口を吐きながら

   135ml缶のアサヒスーパードライを飲んだ!

 

 18:00 ベットに横になった。娘と息子は一旦帰宅した。

 

 20:30 「おかあさん~薬の時間だよ」と私を呼ぶ。

   21:00の薬の時間を忘れてなかった…

  

  21:00 薬を飲む時に時に息子が来てくれた。

    1錠の薬が飲み込めず、首を上下に振りながらやっと飲んだ。

     

    睡眠前のトイレに息子が寄り添うと

    夫は「一人で行ける」と断り、おぼつか無い足取りだが

     何とか用を足してベットに戻る。

   

   そして、生前最後の水分補給は

    大好きなコカ・コーラドクターペッパーをストローで飲んで

     私と息子に「ありがとう」と言い寝た。

 

   息子が帰った後に夫が「ドライブスルーに行って来た」と言う。

   私が「どこのドライブスルー?マクドナルド?」聞くと

    考えながら「どこだったかな… 明日教えるよ」と言い目を閉じた。

 

 夫の様子は変わりないようだったので

   私も23:00頃に入眠剤を服用して寝た。

  

   喉のゴロゴロが昨日より一層大きく聞こえた…

 

[命日ブログからの追加記]

  昨年11/11(月)の回想…

 午前2時になぜか?目が覚めたので夫の様子を見ると

  異変が起きていた。

 息子を呼んで救急車でがんセンターに向かう。

     3時に到着。

 

 8時20分に逝ってしまった…

  親子4人だけの5時間、意識はなかったが

  身体を摩られ、声を掛けられながら

     幸せな最期だったと思いたい。