昭和57年~58年宅配勢いに乗る
おはようございます。
神奈川県愛川町は朝から小雨です。
脳内出血や脳梗塞など脳血管障害でお困りの方元気を出しましょう。
『片麻痺の生活リハビリ,不自由な片手で歯ブラシに練り歯磨きをつけるのに苦労ではありませんか?どのような工夫されていますか?』
リハビリ,片麻痺,歯磨き自助具コップ,片手で楽々歯磨きパラリンコップでおなじみの脳卒中片麻痺良好生活倶楽部の原田太郎です。
左片麻痺障害1種1級のjiji。支柱付き装具装着杖歩行,左肩亜脱臼上肢体幹麻痺,構音嚥下障害あり。68歳片手で運転。 ....... 自分と同じ脳卒中で片麻痺障害の苦しみを持つ片手が不自由な人たちが元気になる情報の発信をします。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺の生活自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎、
元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方,出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.38】
<昭和57年~58年宅配勢いに乗る>
50坪を目安に事務所の賃貸物件を探し渋谷の南口に引っ越した。
トラック業界はどこもかしこも宅配ブームマスコットは動物マークのオンパレードでした。
世間は人手不足に入った時代,学卒者採用にも難儀なころでした。
卒業予定者が企業訪問と称して下調べに来ますが新興の社名では応募者も少ないなかで,ライバル業者を志望の学生が訪問してきました。
事務所はコールセンターもかねていて大変忙しく見えたみたいです。
そこでこの学生は大きな戦力となる優秀な学生ゆえに会社の将来性を説き,入社希望の意思を取り付けました。卒業予定者のハンティングでした。
会社の規模は見る見る大きく成長に弾みをつけ,苦労も多い代わりに将来への夢の実現に皆燃えていました。
業務課長から支社長になったころ一流商社からヘッドハンティングをされて年配者が支社長に座りました。
このときも傑作でしたよ。
オーナーが来て突然皆を前にして「今日から東京支社長にに来てもらったH支社長です。」、、、、と。
支社の社員の視線がは当然わたしへ向けられます。本人の私もびっくり!。
で、オーナーは「あ、そうか原田が支社長だったな」「オイ!原田、お前は業務部長でいいな!」、、、、・
う~もす~もありません。
もともと役職にはあまりこだわらない原田です。
「ハイ、いいです」と応えていました。また、格下げです。
急激な会社の成長に人材不足であった事は間違いありません。
ほんとにアップダウンの激しい人生で、アップダウンはコレからも続くんですけどね。(^O^)/
ヘッドハンティングの支社長には車と運転手つきでした。えらい差~でした。
でもそのくらい大変な実力のある優秀な人で原田の人生の中で尊敬する上司として5本の指に入る人で今でもお付き合いがあります。
昭和59年は10月には九州の母の死など大きな出来事もありました。
全国の宅配業務の整備が不完全な為コールセンターへの問い合わせや苦情処理の仕事は深夜まで続き,休日の出勤など当たり前でした。
社名もカタカナ文字の「フッ,,,,,]と成りました。
赤白のとても派手なコレまでのトラック業界のイメージとはおおよそかけ離れたものでした。
「手から手へ愛のメッセンジャー」なんてね、、、、、。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺ぃ・良か婆ぁの生活リハビリを頑張りましょう。
片麻痺になると片手が使えずに困ることが多いことはわかります。
先ずは気持ちを強く持つこと,自立への執着心が大事です。
年齢を聞かれて若くて元気そうですねといわれるように心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
原田太郎が理事長をつとめる
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
バブルで売り手市場の時代、東京の学生さんはほとんど見向きもしてくれませんでしたよ。
ほんとに採用には苦労しました~!
渋谷も二年ほどでまた次の事務所用の賃貸物件探しになりました。
し~ゆ~
神奈川県愛川町は朝から小雨です。
脳内出血や脳梗塞など脳血管障害でお困りの方元気を出しましょう。
『片麻痺の生活リハビリ,不自由な片手で歯ブラシに練り歯磨きをつけるのに苦労ではありませんか?どのような工夫されていますか?』
リハビリ,片麻痺,歯磨き自助具コップ,片手で楽々歯磨きパラリンコップでおなじみの脳卒中片麻痺良好生活倶楽部の原田太郎です。
左片麻痺障害1種1級のjiji。支柱付き装具装着杖歩行,左肩亜脱臼上肢体幹麻痺,構音嚥下障害あり。68歳片手で運転。 ....... 自分と同じ脳卒中で片麻痺障害の苦しみを持つ片手が不自由な人たちが元気になる情報の発信をします。
脳卒中片麻痺歴6年,前立腺ガン全摘出術後歴1年半、片麻痺の生活自助具の楽々歯磨きップを開発したロマンシニアの原田太郎、
元気印で、今日も脳卒中障害者や高齢者のご本人はもとより、ご家族の悩み、苦しみを和らげ、明日への希望、未来への活力となっていくようなお話をします。
2009年5月22日より新連載「原田太郎の義と仁」の子供の時代からの人生小さな武勇伝と小さなロマンスから大人のロマンスまでも交えながら「ケンカ太郎」の記憶をたどり多少ランダムな綴り方,出来事の自分史です。
【ガキの武勇伝Vol.38】
<昭和57年~58年宅配勢いに乗る>
50坪を目安に事務所の賃貸物件を探し渋谷の南口に引っ越した。
トラック業界はどこもかしこも宅配ブームマスコットは動物マークのオンパレードでした。
世間は人手不足に入った時代,学卒者採用にも難儀なころでした。
卒業予定者が企業訪問と称して下調べに来ますが新興の社名では応募者も少ないなかで,ライバル業者を志望の学生が訪問してきました。
事務所はコールセンターもかねていて大変忙しく見えたみたいです。
そこでこの学生は大きな戦力となる優秀な学生ゆえに会社の将来性を説き,入社希望の意思を取り付けました。卒業予定者のハンティングでした。
会社の規模は見る見る大きく成長に弾みをつけ,苦労も多い代わりに将来への夢の実現に皆燃えていました。
業務課長から支社長になったころ一流商社からヘッドハンティングをされて年配者が支社長に座りました。
このときも傑作でしたよ。
オーナーが来て突然皆を前にして「今日から東京支社長にに来てもらったH支社長です。」、、、、と。
支社の社員の視線がは当然わたしへ向けられます。本人の私もびっくり!。
で、オーナーは「あ、そうか原田が支社長だったな」「オイ!原田、お前は業務部長でいいな!」、、、、・
う~もす~もありません。
もともと役職にはあまりこだわらない原田です。
「ハイ、いいです」と応えていました。また、格下げです。
急激な会社の成長に人材不足であった事は間違いありません。
ほんとにアップダウンの激しい人生で、アップダウンはコレからも続くんですけどね。(^O^)/
ヘッドハンティングの支社長には車と運転手つきでした。えらい差~でした。
でもそのくらい大変な実力のある優秀な人で原田の人生の中で尊敬する上司として5本の指に入る人で今でもお付き合いがあります。
昭和59年は10月には九州の母の死など大きな出来事もありました。
全国の宅配業務の整備が不完全な為コールセンターへの問い合わせや苦情処理の仕事は深夜まで続き,休日の出勤など当たり前でした。
社名もカタカナ文字の「フッ,,,,,]と成りました。
赤白のとても派手なコレまでのトラック業界のイメージとはおおよそかけ離れたものでした。
「手から手へ愛のメッセンジャー」なんてね、、、、、。
続きは又明日、、、、、。
さ~さ~今日も片麻痺なんかに負けないで
一つの動作でも自分で出来るように
無理せず日々コツコツと一つ上のちょうど良か爺ぃ・良か婆ぁの生活リハビリを頑張りましょう。
片麻痺になると片手が使えずに困ることが多いことはわかります。
先ずは気持ちを強く持つこと,自立への執着心が大事です。
年齢を聞かれて若くて元気そうですねといわれるように心と身体のバランスが大切です。
健康維持の為には「食べる事が生きること」です。
美味しく食べる為には口腔ケアを疎かにできませんね。
歯磨きはしっかり続けましょう。
片手で楽々片麻痺専用歯磨きパラリンコップParalymcup
脳内出血や脳梗塞による片麻痺障害において大事な事は自分の出来ることをひとつずつ自立をするという強い意志を持つことです。
リハビリテーション病院入院中の急性期回復期は改善も顕著ですが退院後の慢性期に入ると改善するスピードは畳みの目を数えるほどですが必ず改善はします。
あきらめずに日々強い意志と希望を持って努力を積み重ねましょう。
脳卒中片麻痺としっかりと向き合って日々を楽しめるようになるともうしめたものですよ。
そこに行き着くまでがこの病気の大変さでrといえるでしょうね。
片麻痺で戦ってるかた、原田太郎の体験がお役に立つのであれば左のメ~ル相談室をご利用下さい。
原田太郎が理事長をつとめる
福祉ものづくり集団【NPO法人たくみ21の店】もオープンしましたよ~。
【ブログポリシー】
■前立腺ガン全摘出の経過発信と片麻痺に関する元気情報の執筆を心がけます。
■守秘義務がある情報は一切執筆いたしません。
【片麻痺ゲンさんのあとがき】
バブルで売り手市場の時代、東京の学生さんはほとんど見向きもしてくれませんでしたよ。
ほんとに採用には苦労しました~!
渋谷も二年ほどでまた次の事務所用の賃貸物件探しになりました。
し~ゆ~
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