〜かたることばが歌になる風になる〜

G.Ph.テレマンへのオマージュ

日曜日、地元のサロンでチェンバロ、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、ソプラノによるバロック音楽を聴いてきた。






タイトルにある「オマージュ」はフランス語で「尊敬、敬意」というような意味。
最近よく使われる同じ意味の「リスペクト」は英語。

サロンは「自泉会館」という登録有形文化財の建物。
岸和田紡績(現ユニチカ前身の一つ)創設者の寺田甚与茂の長男甚吉氏が、寺田財閥のサロンとして建設したものだそうだ。
鹿鳴館時代を彷彿とさせるような空間になっていて、現在は文化施設として音楽会などに利用されている。

バロック音楽といえば巨匠の一人で、西洋音楽の基礎を作ったヨハン・セバスチャン・バッハは生涯に1000曲以上も作曲したというので驚かされるが、テレマンは、その4倍の4000曲を残したというクラシック音楽史上最多の作曲をしているそうだ。私は勉強不足でこの作曲家の音楽をきちんと聞く機会はあまり無い。

プログラムノートに寄ると、自身のコンサートの「チケット予約販売」「楽譜の予約販売」をしたり、楽譜の出版に関しても、曲の途中までを2週間に一度のペースで出版し、次号の購買意欲を掻き立てるような手法を使ったりするという、音楽家には数少ない「商才」に長けた人物だったようだ。
テレマンの作風は、バロック音楽の特徴である「対位法」という手法は少なく、簡潔な和音や流麗なメロディーでわかりやいようだ。
「対位法」というのは、それぞれ独立した旋律を担う声部をいくつか組み合わせて構築して行く作曲技法のことで、私たちクラシックの器楽学科の人たち、特に私はピアノだが、ピアノを習い始めのテキストはほとんど右手が「主旋律」左手は単音でも和音でも「伴奏」という形式で、バッハやテレマンのようなバロック時代の対位法の音楽を習うのはもっと修練してからになる。
バッハのピアノ曲を習いだした当初私はこの形式に慣れるのに苦労したが、次第にその魅力を知っていき好きになった作曲家の一人だ。

さて、プログラムの4曲めまでは4楽章形式だが、それぞれはそれほど長くなく、楽器の数は少ないけれど、チェロが「通奏低音」として低い音で支えて、ビオラ、2つのヴァイオリン、あるいはビオラも入って、安定した幅広い響きを出し、特に弦を引っ掻いて鳴らすチェンバロのかすかな響きが、古い時代のイタリアやイギリスのドラマのバックに流れている貴族風で穏やかな音楽となり、秋の午後の時間を中世にタイムスリップさせてくれた。

最後の曲はソプラノの歌が入り、カナリアが猫に?食べられて死んだことをとても悲しく、怒っているというような歌。
一緒に聞きにきた妹と、カナリアの死は多分なにかの例えなんだろうねと話していたが、どうもそうじゃなく歌詞そのままだった(笑)
食べられた小鳥が、猫の?胃袋と腸も噛み砕いて吐き出すまでは「喰らえ、裂けてしまえ!」と怒っている。
「芸術に熟達したカナリアの為の葬送の音楽」という(大仰な?)タイトルに込められているのは、カナリアの死を悲嘆している人の慟哭なのだろうと思うが、テレマンはどういう感覚で作曲したのだろう?
こんな疑問を抱く私ってほんとに俗人だと思う。

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「鑑賞」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事