
この写真は昭和50年(1975)にマリンタワーから撮影したもの。 山下ふ頭は、日米安保条約により在日米軍が使用することとなった瑞穂ふ頭(ノースピア)の代替施設として、昭和28年に着工し10年かけて昭和38年に完成した。昭和40年には山下埠頭駅が置かれ、山下公園前の高架を機関車が走っていた。 ![]() 昭和54年(1979)の山下ふ頭。この頃はまだまだ元気だった。 ![]() 昭和58年(1983)4月の撮影。 ![]() 貨物線の駅が見える。 ![]() 1990年代には、まだこんなおじさんがいた。何をやっているところか分かりますか。ロープの先に大きなフックを取りつけ、それを海に放り投げて海底をさらうと、昆布だかワカメが採れるんだそうだ。 あの頃は、山下公園前の海岸でも、牡蠣や海藻を採っている人たちが結構いたもんである。 ![]() こちらは現在の大さん橋と新港ふ頭の間の海。ペリー艦隊の一行が上陸した地点である。それにちなむ碑でもあればいいのだが、ここには2009年に港湾関係の碑が移設されてきた。 ![]() 横浜港港湾労働者供養塔。 ![]() これ、もともとは山下ふ頭の中に建っていたのだが、開港150周年の2009年に移設された。案内板には横浜港運協会会長のお名前が刻まれている。 港湾労働者は山下ふ頭で荷物にに上げや荷降ろしで働いていたが、新港ふ頭近くの通船待合所からボートに乗って沖の貨物線に向かって行く人たちもいた。 それで中間地点であるこの場所に移したとも考えられるけど……。 山下ふ頭が再開発されるということで、問題にならないうちに早めに移転させたのかな。 ![]() |
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