
いその爺さんが先日アップした記事が気になって、気になってねぇ~。眠れなくなってしまいました。 冒頭の写真は氏の記事から拝借 m(__)m ペコリ それは爺が召しあがった“かき揚げ丼”のお店「井筒」のことです。私も若いころはときどきここで呑んでいました。 実はこのすぐ近くに雀荘があって、私たちは毎週その店でマージャンを打っていたのですが、早く終わったときなどは「井筒」で打ち上げと称して呑み会を挙行していたものです。 私が眠れなくなってしまったのは、その「井筒」での想い出が次々と浮かんできたからではなく、いその爺さんがお書きになっていた建物の名称のこと。 氏の記事によると、「井筒」が入っているビルは同潤会ハイツと書かれていますが、正確には同潤会磯子ハイツ(または同潤会建物磯子ハイツ)というそうです。この同潤会という名前のおかげで眠れなくなってしまったのね。 「同潤会」といえば、関東大震災後に頑丈で近代的な住宅を供給する目的で設立された団体です。その組織が建設したのが同潤会アパート。横浜では平沼のほかに山下町が有名でしたね。 それらは昭和2,3年頃に建設されています。震災直後ですよね。 ![]() これは今昔マップから、1927~1939頃の比較です。左側は震災後の地図。現在、同潤会磯子ハイツが建っている場所は海でした。 ちなみに金沢方面が空白になっているのは、この方面が海軍の要塞地帯だったからです。 ![]() そして昭和34年ごろから始まる根岸湾埋め立て工事によって、旧海岸がどんどん沖の方へ延びていき、新しい土地が生まれます。その土地を利用して根岸線が磯子駅まで延伸してきたのが昭和39年。 この今昔マップは1965~1968頃の比較です。問題の場所にはまだ建物はなく、ほとんど空き地のようでした。 ということで、同潤会磯子ハイツが建設されたのは、もっとあとのことだったようです。 ネットで不動産情報を調べてみたら、1970年(昭和45)の建築であることが判明しました。 いったい、なぜ、このビルに「同潤会」という名称がついているのでしょうか? 不思議です。 この謎を調べるため中央図書館へ。 ついでに大正時代の新聞を閲覧していたら、こんな記事がずいぶんと目にとまり、同潤会の調査どころではなくなってしまいました。 ![]() 美人の屍体 ![]() 美人死体 ![]() 水死美人 当時の新聞記者の感覚が分かるような気がします。 こんなとこに時間を取られてしまい、結局、「同潤会磯子ハイツ」の謎は解けないまま図書館をあとにしました。 もちろん、そのあとはピオシティの地下へ潜ったことは言うまでもないかな。 ![]() |
バブルの頃にりっぱなマンションになったかと思いますが、懐かしいなぁ… 幼稚園児の頃の記憶しかありませんが、コザレタ感じを記憶しています。
もらえるのでしょうねえ。
それを言うなら、「人並み死体」とか
「醜女死体」もないとねえ。
私は写真でしか見たことがありませんが、
山下町のと雰囲気がそっくりですね。
http://namikikatutoshi.web.fc2.com/02-06hiranuma.html
女性なら全員、「美人死体」になっていたのでしょうか。
だから「首なし美人死体」もあったかもしれません。
このGW中に…と思ったりしていたので先を越されたーと思いました (笑)
もっともヌシも結局は行けませんでしたけど (再笑)
いまどき媒体で
下手に美人死体だなんて書いたらあちこちから叩かれますね
久々に「井筒」に行きたくなりましたよ。
でも時間がない…
お勧めです。