韓国で暮らしておられる人はまだまだおられます。1年に1・2回の訪韓、それも4泊5日の滞在の中で取材できるのが3人程度である。なかなか半日ほどの時間はとっていただく人は少ない。
中には半日いや1日付き合って下さった建国大学校教授の梁淳子さんもおられました。心から感謝をしている。
お茶のことは語るよりも「見て知って茶道に自らしてわかっていくもの」と暗黙の中で教えて下さった申雲鶴さん。
申雲鶴さんが地下鉄安国駅にある「高麗抹茶茶道宗家」の茶室を案内して下さった。教室には2・3人の主婦が茶道しておられた。写真撮影をしたがその写真撮影、当時カメラだった。そしてフイルムは他の写真と一緒にそのまま東京の編集局に送っていたので筆者の手元にない。
あの写真だけでも筆者に送り返してもらったほうがよかったと反省している。残念である。ソウル市庁の前、大通りを隔てたこところにコリアナホテルがある。そこで1時間半ばかり取材しただけでインタビュー内容はとても手薄である。もう1度、茶室を訪問して写真撮影をしてこなければならないと思っているが。
それがふと足が止まってしまう。
日本社会で活動する韓国茶道、中でも関西で活動している在日韓国人の茶道グループはここから枝分かれしたものである。原点は申雲鶴さんにあるということを知ってもらいたい。人間だから互いに理解できないところもあるだろうが茶道は感謝の心でもてなしをされた献茶から始まったものである。和は輪にして心寄せて活動してもらいたいものである。
姉に教えてもらって日本で普及した妹さん。活動する中で人間関係は様々につきものである。双方譲歩しあって関西で活躍する活動グループとして1対にしていくことが妹さんの今後の大きい課題で宿題でもある。そうすれば姉が韓国で韓国の高麗茶と日本の茶道の心得など独自に生み出した原点が浮き彫りにされると信じている。
ここに申雲鶴さんがパンフレットに書き込まれた挨拶文を紹介したい。
妹さんを思う気持ちにも触れられている。
この挨拶文は2003年6月21日、神戸で開かれた「異文化の芸術―心の時代―フェスティバル茶道主題(高麗圖経接賓茶禮)から抜粋している。
このとき裏千家淡交会の人たちが日韓茶道交流で参加された。
「実行委員長の申○○先生(妹さんのこと)ともに厚く感謝をいたします。世界中の人種が違っても人間であることは変わりありません。世界中の茶の種類が違っても茶の木であることは変わりありません。世界中の風習が違っても人間の心には変わりありません。異文化それぞれの国の特徴が違っていても文化のルーツは1本の流れから伝わっていることは確かです。ですから世界の人々は多種な文化面においても共通点を見出すことができお互いの心の和をもって交流できるのではないでしょうか」と挨拶されてお手前される解説について話された。
「高麗抹茶も日本のお抹茶ももとをたどれば1つの流れから来たものです。中国から日本に伝わった唐物や韓国から伝わった唐津の陶芸品を見てもわかると思います。ですから世界の文化は西から東、東から西と1つの紐がつながりシルクロードに通じるのではないかと思います。異文化の中に互いの共通点を生み出し世界の和を広め心の時代にめざして行くべきだと願っております」と述べている。
この時の交流の中で「主題―接賓茶禮」については「高麗時代に徐競がある官人に招待されてその家を訪ねた時の話であるとして説明。「皆が一行の列に座った後その家の亭主の息子が茶菓子をもてなし美しい若者が茶碗を配りその時右手の茶で茶を点てる。左手には湯瓶を持ち上席から茶をつぎながら下の席に至るまでの姿は丁寧で優雅であった」ということが文献に記されているとした。
筆者は申雲鶴さんの紹介で資料を読むことになって韓国で高麗抹茶茶道を広められた自負心が伝わってきた。訪韓の折にはもう1度、茶道教室を訪ねて写真に撮ってきたいと考えている。
【写真説明】申雲鶴さんが茶道交流を通して韓国の抹茶そして利川のぼり釜で焼かれた器もパンフレットの中に盛り込んでおられる。
たぶん茶道教室で使用されているのだろうと考えて紹介をした。韓国抹茶は湖南茶園、自然豊かな地質のよいところで育った全羅南道光州広域市で生産されている。
中には半日いや1日付き合って下さった建国大学校教授の梁淳子さんもおられました。心から感謝をしている。
お茶のことは語るよりも「見て知って茶道に自らしてわかっていくもの」と暗黙の中で教えて下さった申雲鶴さん。
申雲鶴さんが地下鉄安国駅にある「高麗抹茶茶道宗家」の茶室を案内して下さった。教室には2・3人の主婦が茶道しておられた。写真撮影をしたがその写真撮影、当時カメラだった。そしてフイルムは他の写真と一緒にそのまま東京の編集局に送っていたので筆者の手元にない。
あの写真だけでも筆者に送り返してもらったほうがよかったと反省している。残念である。ソウル市庁の前、大通りを隔てたこところにコリアナホテルがある。そこで1時間半ばかり取材しただけでインタビュー内容はとても手薄である。もう1度、茶室を訪問して写真撮影をしてこなければならないと思っているが。
それがふと足が止まってしまう。
日本社会で活動する韓国茶道、中でも関西で活動している在日韓国人の茶道グループはここから枝分かれしたものである。原点は申雲鶴さんにあるということを知ってもらいたい。人間だから互いに理解できないところもあるだろうが茶道は感謝の心でもてなしをされた献茶から始まったものである。和は輪にして心寄せて活動してもらいたいものである。
姉に教えてもらって日本で普及した妹さん。活動する中で人間関係は様々につきものである。双方譲歩しあって関西で活躍する活動グループとして1対にしていくことが妹さんの今後の大きい課題で宿題でもある。そうすれば姉が韓国で韓国の高麗茶と日本の茶道の心得など独自に生み出した原点が浮き彫りにされると信じている。
ここに申雲鶴さんがパンフレットに書き込まれた挨拶文を紹介したい。
妹さんを思う気持ちにも触れられている。
この挨拶文は2003年6月21日、神戸で開かれた「異文化の芸術―心の時代―フェスティバル茶道主題(高麗圖経接賓茶禮)から抜粋している。
このとき裏千家淡交会の人たちが日韓茶道交流で参加された。
「実行委員長の申○○先生(妹さんのこと)ともに厚く感謝をいたします。世界中の人種が違っても人間であることは変わりありません。世界中の茶の種類が違っても茶の木であることは変わりありません。世界中の風習が違っても人間の心には変わりありません。異文化それぞれの国の特徴が違っていても文化のルーツは1本の流れから伝わっていることは確かです。ですから世界の人々は多種な文化面においても共通点を見出すことができお互いの心の和をもって交流できるのではないでしょうか」と挨拶されてお手前される解説について話された。
「高麗抹茶も日本のお抹茶ももとをたどれば1つの流れから来たものです。中国から日本に伝わった唐物や韓国から伝わった唐津の陶芸品を見てもわかると思います。ですから世界の文化は西から東、東から西と1つの紐がつながりシルクロードに通じるのではないかと思います。異文化の中に互いの共通点を生み出し世界の和を広め心の時代にめざして行くべきだと願っております」と述べている。
この時の交流の中で「主題―接賓茶禮」については「高麗時代に徐競がある官人に招待されてその家を訪ねた時の話であるとして説明。「皆が一行の列に座った後その家の亭主の息子が茶菓子をもてなし美しい若者が茶碗を配りその時右手の茶で茶を点てる。左手には湯瓶を持ち上席から茶をつぎながら下の席に至るまでの姿は丁寧で優雅であった」ということが文献に記されているとした。
筆者は申雲鶴さんの紹介で資料を読むことになって韓国で高麗抹茶茶道を広められた自負心が伝わってきた。訪韓の折にはもう1度、茶道教室を訪ねて写真に撮ってきたいと考えている。
【写真説明】申雲鶴さんが茶道交流を通して韓国の抹茶そして利川のぼり釜で焼かれた器もパンフレットの中に盛り込んでおられる。
たぶん茶道教室で使用されているのだろうと考えて紹介をした。韓国抹茶は湖南茶園、自然豊かな地質のよいところで育った全羅南道光州広域市で生産されている。
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