京都に着いたのは10時40分ごろ、簡単に昼食をとって11時4分の米原行き各駅停車にのって石山にでた。石山から石山寺までタクシーに乗っていく。石山寺に入って受け付けて自分の身分を名乗ってパンフなど余分に頂いた。拝観料は払った。どうしても拝観料を払わないと気がすまない。私なりの気持ちでこれは私のために拝観料を払う。
目的の場所まで200段近い階段を上って降りた。
遊びだったら多分そんなつづら折りの階段を上らないだろう。
仕事だから上った。源氏物語のゆかりのある寺である。
ゆかりのものを撮影した。
資料は買う物は買ってまたタクシーに乗った。JR石山駅にでてコンビニを探すとあった。宅急便の書く文書をもらって隣のハンバガーの店に入った。コーヒー100円、私は昔人間でドーナーツの店のコーヒーは飲めるのになぜかここのは飲めないそして食べられない。昔から食べられない。椅子と机を借りたと思うことにして100円のコーヒーを頼んだ。宅急便の資料を整理してまたコンビニに戻って宅急便を送った。時計は1時25分になっていた。
隣接する京阪石山駅に行くとベーカリーとコーヒーの店があった。ここでホットコーヒーとミルクパン1個を食べると1時45分、急いで電車のホームに降りた。ここから電車に乗って石場に向かった。
ピアザ淡海でシンポジュウムがある。その現場は2時半から始まる。10分ほど待つと始まった。
最初はバイオリンとピアノの演奏会。
水と花と月がテーマである。中国の歌は月の歌で韓国の歌は水のテーマとしてイムジン江、花はトラジだった。そして演奏会の最後は「琵琶湖周航歌」を全員で4番まで歌った。
会場に入る前すぐ側に琵琶湖の波がよるやかに波をうっているのが見えた。
はるか向こうにヨットがいくつも浮かんでいる。湖東三山と湖、波の小さな音に命の鼓動を感じたが足早に通り過ぎた。
そしたら演奏会また最後は「琵琶湖周航歌」だった。
さっき見てきた琵琶湖は思い出さないでおこうと足早に通り過ぎてきたのに「イムジン江」で涙ぐんできて「琵琶湖周航歌」でこみ上げてくるものがあって泣きそうになった。
そんなに思い出がいい思い出ではないのにこみ上げてくるものがあった。なきそうになった。そういえばもうすぐ7回忌になるだろう。
「思い出してくれ」とどこかで叫んでいるのだろうか。
神経質そしてバカとアホがつくほどの頑固、同僚たちはこれでは苦労したとふと漏らしていた人もいた。頑固一徹だった。こんな人の嫁さんに絶対になりたくないほどの頑固者だった。この人の人生の中で最初にであった人、社内恋愛で結ばれていればもっと穏やかな人生をおくれていただろうと思ったりする。
地方紙に入社してしばらくして恋愛して結婚寸前までいったのに結婚ができなかった。これが人生をから回りして命を縮めたのだろうか。
ピアザ淡海をでてJR大津駅までタクシーに乗っている中でそんなことを考えていた。
同僚だったK氏の方がもっとつきない思い出がいっぱいあるだろう。
今日は無性に泣きそうになった。
「俺を思い出してくれ」と叫んでいるのだろうか。
季節のよい5月の終わりに命ははてたけれど石山寺あたりでウロウロしているのだろう。無性になきそうになった。
夕方暗くなると自宅にもどるのに気がせく。シンポはあと20分ほどで終わるが会場からでた。JR大津駅から京都行きに乗って京都駅に着くと5時54分。橿原神宮行き6時15分に乗って西大寺で乗り換えようと急ぎながらもゆっくりと近鉄奈良駅に向かった。近鉄京都駅の特急券売り場で「奈良行きを下さい、西大寺で乗り換えないといけませんが」と言うといや「6時の奈良行きがあります」という。私は「もう乗れませんでしょう」というと「いや。乗れます」と言って特急券をすばやく出してくれた。
駅の時計を見ると5時57分すぎ。急いで飛び乗った。
ほんま、昨日も難波駅で3分ほどしか余裕がないのに特急にとびのった。
あわただしい電車の乗り方である。奈良に着くと6時半過ぎ、琵琶湖での泣きそうになったことはもうすっかり忘れて家路に急いだ。
目的の場所まで200段近い階段を上って降りた。
遊びだったら多分そんなつづら折りの階段を上らないだろう。
仕事だから上った。源氏物語のゆかりのある寺である。
ゆかりのものを撮影した。
資料は買う物は買ってまたタクシーに乗った。JR石山駅にでてコンビニを探すとあった。宅急便の書く文書をもらって隣のハンバガーの店に入った。コーヒー100円、私は昔人間でドーナーツの店のコーヒーは飲めるのになぜかここのは飲めないそして食べられない。昔から食べられない。椅子と机を借りたと思うことにして100円のコーヒーを頼んだ。宅急便の資料を整理してまたコンビニに戻って宅急便を送った。時計は1時25分になっていた。
隣接する京阪石山駅に行くとベーカリーとコーヒーの店があった。ここでホットコーヒーとミルクパン1個を食べると1時45分、急いで電車のホームに降りた。ここから電車に乗って石場に向かった。
ピアザ淡海でシンポジュウムがある。その現場は2時半から始まる。10分ほど待つと始まった。
最初はバイオリンとピアノの演奏会。
水と花と月がテーマである。中国の歌は月の歌で韓国の歌は水のテーマとしてイムジン江、花はトラジだった。そして演奏会の最後は「琵琶湖周航歌」を全員で4番まで歌った。
会場に入る前すぐ側に琵琶湖の波がよるやかに波をうっているのが見えた。
はるか向こうにヨットがいくつも浮かんでいる。湖東三山と湖、波の小さな音に命の鼓動を感じたが足早に通り過ぎた。
そしたら演奏会また最後は「琵琶湖周航歌」だった。
さっき見てきた琵琶湖は思い出さないでおこうと足早に通り過ぎてきたのに「イムジン江」で涙ぐんできて「琵琶湖周航歌」でこみ上げてくるものがあって泣きそうになった。
そんなに思い出がいい思い出ではないのにこみ上げてくるものがあった。なきそうになった。そういえばもうすぐ7回忌になるだろう。
「思い出してくれ」とどこかで叫んでいるのだろうか。
神経質そしてバカとアホがつくほどの頑固、同僚たちはこれでは苦労したとふと漏らしていた人もいた。頑固一徹だった。こんな人の嫁さんに絶対になりたくないほどの頑固者だった。この人の人生の中で最初にであった人、社内恋愛で結ばれていればもっと穏やかな人生をおくれていただろうと思ったりする。
地方紙に入社してしばらくして恋愛して結婚寸前までいったのに結婚ができなかった。これが人生をから回りして命を縮めたのだろうか。
ピアザ淡海をでてJR大津駅までタクシーに乗っている中でそんなことを考えていた。
同僚だったK氏の方がもっとつきない思い出がいっぱいあるだろう。
今日は無性に泣きそうになった。
「俺を思い出してくれ」と叫んでいるのだろうか。
季節のよい5月の終わりに命ははてたけれど石山寺あたりでウロウロしているのだろう。無性になきそうになった。
夕方暗くなると自宅にもどるのに気がせく。シンポはあと20分ほどで終わるが会場からでた。JR大津駅から京都行きに乗って京都駅に着くと5時54分。橿原神宮行き6時15分に乗って西大寺で乗り換えようと急ぎながらもゆっくりと近鉄奈良駅に向かった。近鉄京都駅の特急券売り場で「奈良行きを下さい、西大寺で乗り換えないといけませんが」と言うといや「6時の奈良行きがあります」という。私は「もう乗れませんでしょう」というと「いや。乗れます」と言って特急券をすばやく出してくれた。
駅の時計を見ると5時57分すぎ。急いで飛び乗った。
ほんま、昨日も難波駅で3分ほどしか余裕がないのに特急にとびのった。
あわただしい電車の乗り方である。奈良に着くと6時半過ぎ、琵琶湖での泣きそうになったことはもうすっかり忘れて家路に急いだ。
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