今朝は河瀬直美さんが制作した映画の取材メモをパソコンに打ち込みながら途中に中断してその映画のDVDをパソコンで見た。
約40分の短編映画。これは先日7月4・5日にこの映画の上映会が桜井市で行なわれたが私は4日は金剛学園の現場に入っていた。5日は美容院、髪も真っ白になってもう限界にきていた。そしてオーナーにカットしてもらわないとやっぱり髪がまとまらなかった。オーナーは他に事業をしているので日曜日しか美容室にいないので日曜日は美容院にあてた。
この上映会の記事を見つけたので「こんなことをあります」と、新聞記事を編集局にFAX送信をしていていたが何も返事が来ないのでこの企画記事は編集会議で通らなかったものと思っていた。
そしたら他の編集委員から連絡が入った。記事掲載にするということで取材交渉のアポの要請が入った。忙しい人で日程が取れないので他の方法ほ考えての記事掲載の取材になった。
先日見られなかった映画のDVDを借りてきた。
パソコンの打ち込みをやめて約40分、DVDを見た。
そしてまたパソコンのキーボードを叩いた。
11時過ぎにやっと終って今日の初めてのブログを書いている。
外は雨が降りそうだがまだ降っていない。テレビの気象予報では雨が降ると言っていたのにまだ降っていない。
しかし暑い。本当に暑い。暑すぎる。
なんとかならないのか。
今朝、6時に起きて昨日の新聞を整理袋に入れながら私は思っていた。
「もう夏が飽きた」と。
まだこれから7月も8月も9月も越さないと秋らしい季節が来ないのに。
そして10月になって季節のいいころになると町の中では年賀状が売り出されるニュースに早々と年末を意識しなければならない。
そして「もう正月」と思う。
正月前になると私の苦痛が1つ増える。
雑誌記者時代はまめに拭き掃除していたのに、現在の仕事になってかなりハードな日程になったので最低限の家事しかできなくなった。
掃除機をかけて気になるところはそのたびに拭いているがかつて専業主婦をしていたころのように毎日の拭き掃除はできなくなった。
それでも雑誌記者時代は日曜日はたいてい休日だったので日曜日に拭き掃除していたのに現在の仕事になって時間があるようで時間のない生活。
仕事の原稿以外に他に作成する原稿やブログを抱えているのでこまめに拭き掃除ができなくてふと気になると時間を見つけてはふいているものの納得した掃除ではない。
しかし年末はそんなことで年が越せないので、本棚から本棚と全部、きちんと拭き掃除をすると3時間かかる。若いときはこれも苦痛にならなかったのに60歳を越えてから年末の拭き掃除が苦痛になったので近年、なるべく拭き掃除をまめにするようにしているが埃というものはすぐにたまっていく。
他の物がたまればいいのに埃はすぐにたまっていく。
こんなことで年末を意識すると拭き掃除が気になる。
気になったときに全部してしまおうかなと思うが埃は拭いてもまた埃が積もってくるのでやっぱり年末にまとめてしょうかなとなる。
屈んでする根気もなくなった。
年をとるということはこんなことかとつくづくと思う。
しかし、暑いのはもう飽きた。涼しい気候が待ち遠しい。
夫は夏バテしていると言っていた。
それでそんなとき、夫は母親を思い出すのだろう。
こんなときは鰯とズイキの汁を作っていたという。
それで夫は「ズイキと鰯、買ってくるわ」と言っている。
私もスーパーでズイキを見つけるとこの季節、買ってくる。夫の好きな鰯とズイキの汁を作るがちょっと見かけなかったことと暑いから汁の献立が浮かんでこなかったこともある。
夏バテには韓国や在日の家庭では鰯とズイキの汁を作ってさんしょうの粉を入れて食べる。私の母親は風邪をひく。また夏に体力が落ちてくるとすぐ鶏を1匹つぶしたものを買ってきてスープにして食べさせた。ここに高麗人参とニンニクを入れると体の滋養にものすごくいい。
こんなこと私は実家にいた頃は嘘みたいな話だとばかり思ってそんな美味しくないスープを食べなかった。母親はそのたびに怒っていた。
しかし結婚してしばらくしてから雑誌記者になって奈良新聞の人と今も活躍する荒井敦子さんが活躍する音楽活動の1つとして子どもたちを連れて中国北京に行った。1986年の7月だった。私はもともと子どものころから食べ物に神経質で出されたものを全部食べられることができなかった。
中国の北京と言えども当時はまだまだ発展途上国、衛生管理は不十分だった。
最初の晩餐会、燕の巣なんてもちろん食べられない。私は何も食べられなかった。奈良新聞の人も荒井敦子さんも何も臆することなく食べているのに私は食べられない。そして最後のデザートぐらいは食べられると思ったが器の底に黒いものがついている。スプーンでこすると取れた。
よく器を洗っていないので水垢だった。
それから何にも食べられなくなって5日間の旅はただコカコーラだけで通した。
奈良に戻ってくるともちろんドタンバタンになった。かかりつけの病院で点滴を打ち続けるが3日目になっても体力が回復しない。
しかし仕事はしないといけない。
何を食べると体力が回復するのか。考えた。
こんなとき母親は何をしたのか考えた。
そして思い出したのが鶏1匹、丸ごとのスープだった。
近くのスーパーに行き当時はまだ肉屋さん、鶏肉屋さん、天ぷら屋さん、魚屋さん、お惣菜屋さんなどと個別に店頭が並んでいたので鶏肉屋さんで鶏1匹を裁いたものを買ってきた。フラフラの体力だったが大鍋を出してここに母親からもらった高麗人参を大切にしまってあったのがあったのでそれを1本入れた。ここにニンニクの少し入れて、鶏が柔らかくなるまでゴトゴトと始めは強火だが後は4時間程度中火より弱めの火加減で煮込んだ。汁が少なくなるとまた水を足した。
そしてやっと鶏が箸でくずれるようになってスープを丼に入れて塩を少し入れてゆっくり飲んだ。これを2回、頂いて体が普通に戻った。
この鶏のスープ、医食同源ということをはっきり確認した。
韓国人は暑い時にサムゲタン(参鶏汁)を食べて夏バテを防止していることが自分の体を通してはっきり分かった。
それが今は町で鶏を1匹つぶして売っている店が少なくなった。
鶏1匹にいろいろな体の滋養が入っている。鶏1匹に意味があるらしい。
鶴橋に行くとサムゲタンの袋入りが売っている。持って帰るのが面倒で買ったことがない。
韓国料理店に行くとあるが私は近年、韓国料理が食べられない。
それでそんなに好きではないが鰻を買ってきたりする。
もう12時、昼食をしないといけない。
昼から少し休憩して、月曜日連載の原稿を作成しないといけない。
まだ仕事の原稿は3本残っているが来週は新聞作業がないので月曜日の連載を先にしないといけない。
約40分の短編映画。これは先日7月4・5日にこの映画の上映会が桜井市で行なわれたが私は4日は金剛学園の現場に入っていた。5日は美容院、髪も真っ白になってもう限界にきていた。そしてオーナーにカットしてもらわないとやっぱり髪がまとまらなかった。オーナーは他に事業をしているので日曜日しか美容室にいないので日曜日は美容院にあてた。
この上映会の記事を見つけたので「こんなことをあります」と、新聞記事を編集局にFAX送信をしていていたが何も返事が来ないのでこの企画記事は編集会議で通らなかったものと思っていた。
そしたら他の編集委員から連絡が入った。記事掲載にするということで取材交渉のアポの要請が入った。忙しい人で日程が取れないので他の方法ほ考えての記事掲載の取材になった。
先日見られなかった映画のDVDを借りてきた。
パソコンの打ち込みをやめて約40分、DVDを見た。
そしてまたパソコンのキーボードを叩いた。
11時過ぎにやっと終って今日の初めてのブログを書いている。
外は雨が降りそうだがまだ降っていない。テレビの気象予報では雨が降ると言っていたのにまだ降っていない。
しかし暑い。本当に暑い。暑すぎる。
なんとかならないのか。
今朝、6時に起きて昨日の新聞を整理袋に入れながら私は思っていた。
「もう夏が飽きた」と。
まだこれから7月も8月も9月も越さないと秋らしい季節が来ないのに。
そして10月になって季節のいいころになると町の中では年賀状が売り出されるニュースに早々と年末を意識しなければならない。
そして「もう正月」と思う。
正月前になると私の苦痛が1つ増える。
雑誌記者時代はまめに拭き掃除していたのに、現在の仕事になってかなりハードな日程になったので最低限の家事しかできなくなった。
掃除機をかけて気になるところはそのたびに拭いているがかつて専業主婦をしていたころのように毎日の拭き掃除はできなくなった。
それでも雑誌記者時代は日曜日はたいてい休日だったので日曜日に拭き掃除していたのに現在の仕事になって時間があるようで時間のない生活。
仕事の原稿以外に他に作成する原稿やブログを抱えているのでこまめに拭き掃除ができなくてふと気になると時間を見つけてはふいているものの納得した掃除ではない。
しかし年末はそんなことで年が越せないので、本棚から本棚と全部、きちんと拭き掃除をすると3時間かかる。若いときはこれも苦痛にならなかったのに60歳を越えてから年末の拭き掃除が苦痛になったので近年、なるべく拭き掃除をまめにするようにしているが埃というものはすぐにたまっていく。
他の物がたまればいいのに埃はすぐにたまっていく。
こんなことで年末を意識すると拭き掃除が気になる。
気になったときに全部してしまおうかなと思うが埃は拭いてもまた埃が積もってくるのでやっぱり年末にまとめてしょうかなとなる。
屈んでする根気もなくなった。
年をとるということはこんなことかとつくづくと思う。
しかし、暑いのはもう飽きた。涼しい気候が待ち遠しい。
夫は夏バテしていると言っていた。
それでそんなとき、夫は母親を思い出すのだろう。
こんなときは鰯とズイキの汁を作っていたという。
それで夫は「ズイキと鰯、買ってくるわ」と言っている。
私もスーパーでズイキを見つけるとこの季節、買ってくる。夫の好きな鰯とズイキの汁を作るがちょっと見かけなかったことと暑いから汁の献立が浮かんでこなかったこともある。
夏バテには韓国や在日の家庭では鰯とズイキの汁を作ってさんしょうの粉を入れて食べる。私の母親は風邪をひく。また夏に体力が落ちてくるとすぐ鶏を1匹つぶしたものを買ってきてスープにして食べさせた。ここに高麗人参とニンニクを入れると体の滋養にものすごくいい。
こんなこと私は実家にいた頃は嘘みたいな話だとばかり思ってそんな美味しくないスープを食べなかった。母親はそのたびに怒っていた。
しかし結婚してしばらくしてから雑誌記者になって奈良新聞の人と今も活躍する荒井敦子さんが活躍する音楽活動の1つとして子どもたちを連れて中国北京に行った。1986年の7月だった。私はもともと子どものころから食べ物に神経質で出されたものを全部食べられることができなかった。
中国の北京と言えども当時はまだまだ発展途上国、衛生管理は不十分だった。
最初の晩餐会、燕の巣なんてもちろん食べられない。私は何も食べられなかった。奈良新聞の人も荒井敦子さんも何も臆することなく食べているのに私は食べられない。そして最後のデザートぐらいは食べられると思ったが器の底に黒いものがついている。スプーンでこすると取れた。
よく器を洗っていないので水垢だった。
それから何にも食べられなくなって5日間の旅はただコカコーラだけで通した。
奈良に戻ってくるともちろんドタンバタンになった。かかりつけの病院で点滴を打ち続けるが3日目になっても体力が回復しない。
しかし仕事はしないといけない。
何を食べると体力が回復するのか。考えた。
こんなとき母親は何をしたのか考えた。
そして思い出したのが鶏1匹、丸ごとのスープだった。
近くのスーパーに行き当時はまだ肉屋さん、鶏肉屋さん、天ぷら屋さん、魚屋さん、お惣菜屋さんなどと個別に店頭が並んでいたので鶏肉屋さんで鶏1匹を裁いたものを買ってきた。フラフラの体力だったが大鍋を出してここに母親からもらった高麗人参を大切にしまってあったのがあったのでそれを1本入れた。ここにニンニクの少し入れて、鶏が柔らかくなるまでゴトゴトと始めは強火だが後は4時間程度中火より弱めの火加減で煮込んだ。汁が少なくなるとまた水を足した。
そしてやっと鶏が箸でくずれるようになってスープを丼に入れて塩を少し入れてゆっくり飲んだ。これを2回、頂いて体が普通に戻った。
この鶏のスープ、医食同源ということをはっきり確認した。
韓国人は暑い時にサムゲタン(参鶏汁)を食べて夏バテを防止していることが自分の体を通してはっきり分かった。
それが今は町で鶏を1匹つぶして売っている店が少なくなった。
鶏1匹にいろいろな体の滋養が入っている。鶏1匹に意味があるらしい。
鶴橋に行くとサムゲタンの袋入りが売っている。持って帰るのが面倒で買ったことがない。
韓国料理店に行くとあるが私は近年、韓国料理が食べられない。
それでそんなに好きではないが鰻を買ってきたりする。
もう12時、昼食をしないといけない。
昼から少し休憩して、月曜日連載の原稿を作成しないといけない。
まだ仕事の原稿は3本残っているが来週は新聞作業がないので月曜日の連載を先にしないといけない。
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