鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

プログ「かわやん」の鶯にあやかって--。

2006-03-08 20:04:51 | 直言!
プログ「かわやん」の鶯の鳴き声で思い出した。
今は奈良市内の真ん中に住んでいてマンションの周りも建物が多く立ち森らしき森は奈良公園までいかなければならない。奈良公園には徒歩で20分もあればいけるところである。
ここにくるまでは奈良市の郊外、佐紀町に住んでいた。佐紀新町で県営住宅の中の奥まったところ、雑木林の横に2軒長屋の借家に住んでいた。湿気の多い家だった。しかし裏に出ると雑木林が広がっていた。普請の悪い借家だったが季節の移り変わりが目からも耳からも知ることができた。
少しばかりの部屋を建て増しした息子の部屋にいくといろんな鳥の鳴き声が聞こえた。
春が近づいてくるといつのまにか鶯が「ホーホケキョ」と鳴いていた。
春がそこまできていることが耳から感じとれることができた。
私の家からは瓢箪山古墳に近く季節の移り変わりを目で知らせてくれた。何よりも木漏れ日は素晴らしく行く道にレース模様のように日陰を作った。自然が作るレース模様に生きる活力を何どももらった。
結婚してしばらくして私は結婚生活に慣れなくてストレスで神経症の病気になった。何年間は苦しんだ。そのとき自転車で山道を降りて病院や買い物に行く途中でみた木漏れ日のレース模様は自然の愛しさを感じた。
やがてレース模様をかもし出していた木々の葉っぱは若葉色になって新芽をいっぱい出していた。新芽の息吹にまた私は生きる力をもらった。
普請の悪い家は建て付けも悪く隙間風と斜めに歪んだ建物にいつかは引越しをしなければと考えていた。
日本政府は1981年、ベトナム難民の受け入れで「難民条約批准」をした。在日韓国・朝鮮人も住宅ローンの制度が受けられるようになった。運が良かったのか未だにローン支払いをしているので運が悪かったのか分らないがマンションの物件購入の縁があって購入して現在のところに移ってきた。
不思議にことに雑誌記者になってから自分にあったやりがいのある仕事にやる気を起こさせたのかお蔭さまで病気は治癒した。
あの歪んだ湿気の多い家は健康にも悪かったと思っている。安い家賃で住んでいたから仕方がなかった。ここに引っ越してきて日当たりのいい部屋で寝起きするようになった。
遠くで鳩の鳴き声が聞こえる。からすも鳴いている。市内循環道路に面しているのでパトカーや救急車は頻繁に通る。この騒音になかなかなれなかった。佐紀町はここが奈良市内と思うぐらい静寂な町だった。
近年は加齢になったのか少しは事故現場をマンションの上から見られるようになったので救急車やパトカーがマンションの近辺あたりに停まるとベランダにでて見ている。しかし下まで降りていって見るほどの勇気はまだない。
奈良市内に移って交通至便になった。
が、春を告げる鶯の鳴き声は聞くことはなくなった。奈良公園の春日山山麓に行けば聞くことができるだろうが歩く勇気がない。佐紀町にいたころは日常に自然と向き合って暮していた。近くには平城宮跡もあった。広い草原のような宮跡で子どもたちはよく遊んだ。遊び場には困らなかった。
ただ池が多いので水難自事故にならないように親は神経を過敏にしていた。けれど初夏になると大きい水上池の中に蓮の花がいっぱい咲き地域の人たちに季節感の情調を教えてくれた。
春を告げる鳥、耳で春を知らせてくれた鶯、今もあの雑木林で鳴き始めているだろうか。
私は今年も奈良公園の梅林を見て春の訪れを目で見てこよう。
市内循環のバスに乗って春日大社表参道で降りて梅林を見てこよう。もうそろそろ満開の梅林が見られる。梅林はそんなに多くはないがここからも早春賦が愛でることができる。
そして地域の人たちと共存している鹿も春の日差しにうれしそうにしているだろう。観光客にお辞儀をして鹿せんべいをおねだりする光景もみられるだろう。奈良公園を散策するのもまた気分転換になりそうだ。
今年も相変わらず遠出ができず近場の春を満喫しそうになりそうだ。


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