鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

春がまだあった。

2006-03-09 17:00:27 | 直言!
春の訪れにもう1つ
3月12日は東大寺のお水取りの最後、クライマックスである。町の人たちは「もう春ですな」と季節の言葉をかけあう。私はお水取りが終ると土筆が気になる。線路の土手に行けばたくさん土筆が顔を出している。
今はそうでもないが私の子どものころは在日同胞の食卓には土筆がのらなかった。タンポポの食材はよくあったが土筆はなかった。
小学校高学年のころ近所の子どもたちだけで土筆とりを木津駅周辺の土手に取りに行って日本の人が教えてくれたように袴を向いて水につけてアクをだして胡麻油で痛めた。
これが私の口にあった。また土筆取りにいってせっせっと袴をむいて調理して食べた。
(線路の側なので土筆を取ってくると父は危ないから行かないようによく言っていたが私は内緒で何どもとってきては袴をむいた。父に隠れての土筆とりだった)
春を告げるほんの一瞬だけ食材になってあとはスギナになっていく。
ほんの一瞬の食材である。
土筆が食べたいと思うと無性に食べたくなるが土筆を摘みに行く時間もない。
運がよかったらスーパーで見つけると幾つもかってきて袴をむいて胡麻油で炒めて醤油と砂糖で味付けをして卵をはって食べた。
結婚した当時、土筆が食べたいと言ったら夫は「あんな草や」とバカにされた。そして何年か月日が立つうちに在日同胞は土筆の食材をあまり作らないことがわかった。
1世たちの食材のレレシピに入っていない。
さては韓国では土筆ができないのだろうか。
近年は夫も土筆の季節感がわかってきたの土筆のできているところを通ったときは必ず土筆を摘んで大事に袋に入れて持って帰ってくる。ほんの少し小鉢ほどだが春の訪れの匂いと香りに私は小躍りして食べている。
今年も食べたい。もうすぐ土筆が土の中から顔をだすころだ。
昔土筆とりをした木津駅まで行ってこようかと思うときがあるが何もそこまでして---と思っているうち土筆を食べないで過ぎていくこともある。
ほんの一瞬の春、土筆にも自然のおりなす生命、不思議だと思いながらまた私は相変わらず怠惰な生活をしている。
けなげに春を待って顔を出す土筆、しかし旬の植物、アクは強い。けれどエネルギーをたくさんもらう食材なのだろう。土筆好きにはあの香ばしい味はたまらならい。
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