テレビ討論を少し原稿にした。
それが昼間できなかった。風邪気味になってきた。風邪気味になるタンが喉に絡んで苦しくなるので引かないようにしなければとあわてて昼間、風邪薬を飲んで昼寝した。1時から30分ほど新聞を読んだが睡魔で読めない。1時半ごろコトンと寝てしまった。ぐうぐうと寝てしまった。
起きると夕方の5時である。
今日の予定は未定になった。
仕方がない。ボーとしていた。
それから米を研いで炊飯器に仕掛けた。
そしてごぼうのきんぴらと韓国の惣菜、味噌鍋を作った。なすび1個を塩もみして箸休めの惣菜を1品作った。
今夜の夕食は魚焼いて冷蔵庫に残っている春雨と胡瓜の酢の物を少し変えた。ごま油を入れて酢は捨てて唐辛子を入れて韓国風の酢の物にした。
夫は秋刀魚の刺身を買ってきた。新しい秋刀魚である。何切れか食べたが美味しかった。
今日はボクシングあった。
亀田と内藤、2人の試合、私はあんまり見たくないので夕食の後、風呂に入ってすぐパソコンの前にすわった。
そしてテレビ討論の原稿を作っているとこんな時間になった。
夜のニュースステイションが見そびれた。
ああ。いつもこんなのである。
明日は地方紙の会合がある。奈良県知事の講演である。
奈良ホテルだがここは便利なようで少し不便、天理行きのバスにのらないといけない。タクシーで行くと地方紙の先輩記者に恥ずかしい。私の器はどんなものか知っている。そん対したことない者がここにタクシーで行くことがやっぱり恥ずかしい。だからなるべくバスの時刻にあわせて乗るようにしている。
そういえば昨日、小学校の同級生から電話があった。
私の小学生時代の写真、そのときの担任と一緒に撮影しているという。私の家にはない。さて親がなくなって私の小学校時代のアルバムもあるはずだがそれはあるだろうか。
もう弟の家族が家の中を整理しているのであるのかないのかまったく想像がつかないが送ってあげるという。楽しみである。ちっとも可愛くなかった。器量の悪い子どもで会話ができない。友達ができない。そんな子どもだった。高校になってよく話すようになって父親によく叱られた。女は黙ってろ。静かにしていろと言われた。
けれど話さないと誰も振り向いてくれない。話さないといけない。大人になってそして記者生活をするようになってこれが大事なことだと分かった。
写真を送ってくれるTさんに感謝。ほんま雨あられの感激、感謝。
昨日Tさんから携帯に電話がかかった。
それがネットの会合を大阪でしているときだった。
また電話をしますと言って少し話しをして切った。写真を見て電話をしょう。
小学生の友だちは私そのものの歴史である。
友だちのできない不器用な子どもだった。あれも私である。今、私のまわりの友人・知人は信じられないというがそれが私だった。
こんなにおしゃべりになったのは高校時代の友人たちである。
クラスでも面白い賑やかな同級生と話しをするようになってよく話すようになった。
さて、もう寝なければならない。休もう。
それが昼間できなかった。風邪気味になってきた。風邪気味になるタンが喉に絡んで苦しくなるので引かないようにしなければとあわてて昼間、風邪薬を飲んで昼寝した。1時から30分ほど新聞を読んだが睡魔で読めない。1時半ごろコトンと寝てしまった。ぐうぐうと寝てしまった。
起きると夕方の5時である。
今日の予定は未定になった。
仕方がない。ボーとしていた。
それから米を研いで炊飯器に仕掛けた。
そしてごぼうのきんぴらと韓国の惣菜、味噌鍋を作った。なすび1個を塩もみして箸休めの惣菜を1品作った。
今夜の夕食は魚焼いて冷蔵庫に残っている春雨と胡瓜の酢の物を少し変えた。ごま油を入れて酢は捨てて唐辛子を入れて韓国風の酢の物にした。
夫は秋刀魚の刺身を買ってきた。新しい秋刀魚である。何切れか食べたが美味しかった。
今日はボクシングあった。
亀田と内藤、2人の試合、私はあんまり見たくないので夕食の後、風呂に入ってすぐパソコンの前にすわった。
そしてテレビ討論の原稿を作っているとこんな時間になった。
夜のニュースステイションが見そびれた。
ああ。いつもこんなのである。
明日は地方紙の会合がある。奈良県知事の講演である。
奈良ホテルだがここは便利なようで少し不便、天理行きのバスにのらないといけない。タクシーで行くと地方紙の先輩記者に恥ずかしい。私の器はどんなものか知っている。そん対したことない者がここにタクシーで行くことがやっぱり恥ずかしい。だからなるべくバスの時刻にあわせて乗るようにしている。
そういえば昨日、小学校の同級生から電話があった。
私の小学生時代の写真、そのときの担任と一緒に撮影しているという。私の家にはない。さて親がなくなって私の小学校時代のアルバムもあるはずだがそれはあるだろうか。
もう弟の家族が家の中を整理しているのであるのかないのかまったく想像がつかないが送ってあげるという。楽しみである。ちっとも可愛くなかった。器量の悪い子どもで会話ができない。友達ができない。そんな子どもだった。高校になってよく話すようになって父親によく叱られた。女は黙ってろ。静かにしていろと言われた。
けれど話さないと誰も振り向いてくれない。話さないといけない。大人になってそして記者生活をするようになってこれが大事なことだと分かった。
写真を送ってくれるTさんに感謝。ほんま雨あられの感激、感謝。
昨日Tさんから携帯に電話がかかった。
それがネットの会合を大阪でしているときだった。
また電話をしますと言って少し話しをして切った。写真を見て電話をしょう。
小学生の友だちは私そのものの歴史である。
友だちのできない不器用な子どもだった。あれも私である。今、私のまわりの友人・知人は信じられないというがそれが私だった。
こんなにおしゃべりになったのは高校時代の友人たちである。
クラスでも面白い賑やかな同級生と話しをするようになってよく話すようになった。
さて、もう寝なければならない。休もう。
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