今朝、更新したフエイすブックを貼り付けておきます。
6月24日(日)曇、朝方、雨がふっていたが、いまはやんでいる。しかし空は今にも雨が降りそうだ。今朝、7時40分の室温は26度、湿度は61%。今朝、食べたものはご飯、豆もやしの汁、さつまあげ1枚、豆もやしおひたし。ほうれん草のおひたし、焼鮭とエゴマで約300カロリー。
昨日はケアハウスに行った。昼食はご飯、ささみのてんぷら、大根おろしと天つゆ、キノコの炒めもの、青梗菜の炒めもの、キュウリの漬け物、味噌汁は麩、500カロリーです。昨日はケアハウスに出張美容がこられて、次から次とカットしてもらっていく。これから暑くなるとすそが伸びてくると暑い。すそが伸びているのでカッとしてもらっていた。また入居者や施設の利用者と話して、ひと時を楽しんだ。
2時半、自宅に戻り、3時からボヤキ川柳をラジオで聞いていた。いつも面白くて楽しんで聞いている。
夕方、夫がテレビを見ていて韓国の元首相がなくなったと私にいっている。私はスマーとフオンで検索すると、金鍾沁さんが93歳で他界されたとニユースで伝えていた。強烈な印象の人だった。私は仕事の中で何度かお会いしているものの接点は深くなかった。あるとき大阪のリーガロイヤルホテルに来ておられるという。日韓の記者たちはリーガロイヤルホテルに行った。金鍾沁さんが大勢いる記者の中で私を呼んだので側に行った。そして私に「ほしいものはなにか」と聞いた。私は恐れ多い人物と周りから聞いていたので、とてもそんなことがいえなくて黙って側を離れた。なぜだったのか。未だにわからないが、他界された。
金鍾沁さんは新年会になると民団大阪本部に来られていた。存在感の大きい人だった。それから大分の年月経て、韓国の現大統領と接点の深い新聞記者が大阪によく来ていて、元地方新聞社の記者ともよくあっておられた。私は関心がなかつた。しかし何度も何度も懇談の参加を要請、仕方がなく出席した。しかし参加していた日本の元記者たちは金大中さんとの親しさの話ばかりをしていた。私はここと一緒にされると困ると判断して、金鍾沁さん知っていると話した。出席者は一様に驚いた。そして金大中さんの話はそこで終り、私は早々と退席した。
しかしそれから韓国訪問して、得体のわからない人が私の宿泊しているホテルにこられた。ロピーにおられた。そしてそのときしばらくして、知人がきた。知人はその得体のしれない人に直感があったのだろう。知人は得体のしれない人に「この人はそんな人ではない」と何度も言葉を強くして訴えた。そしてその方はホテルをでて行かれた。日本に戻っていろいろ考えてみると、そのときの大統領は李明博さんだった。金大中さんとは水と油である。
それから私は親しき仲にも気をつけないといけないと身に染みて悟った。それから接点に距離を置いている。
私は何も取り柄もない平凡な記者、しかし韓国に行くと南北分断国家が現実である。気をつけて行動しないといけないのである。
金鍾沁さんの存在が大きかった。接点は深くなかったが日本植民地支配化で教育を受けた人、日本語も堪能で新年会の挨拶は日本語でされた。私の心の中に深く刻まれた人である。朴槿恵さんも1度、仕事でお会いして、目の前でお会いしている。頭の賢い人だったが女性という立場、韓国の政治の中ではできないこともたくさんあるだろうと思っていた。女性という立場が重要でなかなか思うように動けないところは多々あると思っている。大統領になってよかったのか。悪かったのか、私は何かしら、疑問符になってしまう。今日はこれまで。
6月24日(日)曇、朝方、雨がふっていたが、いまはやんでいる。しかし空は今にも雨が降りそうだ。今朝、7時40分の室温は26度、湿度は61%。今朝、食べたものはご飯、豆もやしの汁、さつまあげ1枚、豆もやしおひたし。ほうれん草のおひたし、焼鮭とエゴマで約300カロリー。
昨日はケアハウスに行った。昼食はご飯、ささみのてんぷら、大根おろしと天つゆ、キノコの炒めもの、青梗菜の炒めもの、キュウリの漬け物、味噌汁は麩、500カロリーです。昨日はケアハウスに出張美容がこられて、次から次とカットしてもらっていく。これから暑くなるとすそが伸びてくると暑い。すそが伸びているのでカッとしてもらっていた。また入居者や施設の利用者と話して、ひと時を楽しんだ。
2時半、自宅に戻り、3時からボヤキ川柳をラジオで聞いていた。いつも面白くて楽しんで聞いている。
夕方、夫がテレビを見ていて韓国の元首相がなくなったと私にいっている。私はスマーとフオンで検索すると、金鍾沁さんが93歳で他界されたとニユースで伝えていた。強烈な印象の人だった。私は仕事の中で何度かお会いしているものの接点は深くなかった。あるとき大阪のリーガロイヤルホテルに来ておられるという。日韓の記者たちはリーガロイヤルホテルに行った。金鍾沁さんが大勢いる記者の中で私を呼んだので側に行った。そして私に「ほしいものはなにか」と聞いた。私は恐れ多い人物と周りから聞いていたので、とてもそんなことがいえなくて黙って側を離れた。なぜだったのか。未だにわからないが、他界された。
金鍾沁さんは新年会になると民団大阪本部に来られていた。存在感の大きい人だった。それから大分の年月経て、韓国の現大統領と接点の深い新聞記者が大阪によく来ていて、元地方新聞社の記者ともよくあっておられた。私は関心がなかつた。しかし何度も何度も懇談の参加を要請、仕方がなく出席した。しかし参加していた日本の元記者たちは金大中さんとの親しさの話ばかりをしていた。私はここと一緒にされると困ると判断して、金鍾沁さん知っていると話した。出席者は一様に驚いた。そして金大中さんの話はそこで終り、私は早々と退席した。
しかしそれから韓国訪問して、得体のわからない人が私の宿泊しているホテルにこられた。ロピーにおられた。そしてそのときしばらくして、知人がきた。知人はその得体のしれない人に直感があったのだろう。知人は得体のしれない人に「この人はそんな人ではない」と何度も言葉を強くして訴えた。そしてその方はホテルをでて行かれた。日本に戻っていろいろ考えてみると、そのときの大統領は李明博さんだった。金大中さんとは水と油である。
それから私は親しき仲にも気をつけないといけないと身に染みて悟った。それから接点に距離を置いている。
私は何も取り柄もない平凡な記者、しかし韓国に行くと南北分断国家が現実である。気をつけて行動しないといけないのである。
金鍾沁さんの存在が大きかった。接点は深くなかったが日本植民地支配化で教育を受けた人、日本語も堪能で新年会の挨拶は日本語でされた。私の心の中に深く刻まれた人である。朴槿恵さんも1度、仕事でお会いして、目の前でお会いしている。頭の賢い人だったが女性という立場、韓国の政治の中ではできないこともたくさんあるだろうと思っていた。女性という立場が重要でなかなか思うように動けないところは多々あると思っている。大統領になってよかったのか。悪かったのか、私は何かしら、疑問符になってしまう。今日はこれまで。
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