鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

4月16日(火)今日も昨日に続いていい天気です。

2013-04-16 09:59:21 | 直言!
朝、7時半からパソコンに座った。

「奈良おんな物語」の資料をインターネットから検索しないといけなかった。
少し資料引っ張り出して、先日、仕事で現場取材した原稿の作成をしょうと思ったが今日は外出です。頭の中がバラバラで集中力が入ってこないのでやめることにした。明日にすることにした。

今日は志賀直哉旧居に訪問します。
長いこと行っていない。
雑誌記者時代は何度か訪問したが転職してからは行っていない。その間に建物も修理されて管理もしっかりされていると聞いている。
志賀直哉が奈良で建てた家屋、古くなって取り壊しの話がでていたが文学フアンたちが保存に尽力されたと聞いている。
ずいぶん建物の周辺も変わっているだろう。

昨日は訃報が入った。
三国連太郎さんの訃報です。
今朝、ジャーナリスト・ネットを開くと「かわやん」こと、川瀬俊治さんが「三国連太郎」を偲んで追悼記事を書いておられた。何度もお会いされているらしい。私はお会いしたこともない。まして若いときはフアンでもなんでもなかった。私の記憶は女性週刊誌を賑わした大地喜和子との恋愛、当時の私は20代でこんなことが本当にあるのかとまた別の世界の人だった。
結婚して年を重ねて「釣りバカ日誌」を見ていて演技の上手さを初めて知った。
なるほどそれで三国連太郎さんを尊敬する人が多いのかと分った。
子息の佐藤浩市さんがいっていた。
「父親は語れないが役者の三国連太郎なら語れる」と----。
人生のすべては役者という演技の人生だったのだろうか。
また1つ、昭和の全盛期の映画スター、三国連太郎さんの訃報です。
昭和は1つ1つ遠くなっていくのに思い出すことは昭和時代です。

戦争も植民地もあり。敗戦から外国人とみなす機構が発布されて外国人の排除にそして第3国人といわれてまた違う民族差別にあっていく。
しかしここでもめげなかった1世の生活力と生きていくど根性。日本の経済構築の一部を担うほど経済構築をした1世の才知と生きる力です。
そんな中で2世たちは育ち、日本社会の矛盾、理不尽と戦ってきたのに「昭和」という時代を回顧してしまう。
私は1944年、敗戦の1年前に生まれているが日本の戦後の歴史とほぼ同じように歩いてきた。親は大変苦労した。子どもたちには親のできる範囲で学校にも行かせてくれた。子どもたちは日本語が言語で国には帰らない。いずれ日本で骨をうずめていくことを見越して日本の学校教育を選択した。
それが正解だったのかそれは私では判断できないが「ウリマル(我が言葉)」に惑わされて北朝鮮に帰国した同胞が大変痛ましい。最近入る北朝鮮のニュースにまた心が痛む。
父親は分断国家がずっと在日に尾が引くと判断していたのだろうか。子どもたちには日本社会で生きられるように躾をしてくれた。
これも良かったのか、悪かったのか。分らないが父親なりの子どもに対する愛情だったと思っている。

三国連太郎さんの訃報で「昭和」という時代を思い出した。
身支度します。また---。
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