鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

夜になると底冷えするようになってきた。

2007-10-24 08:31:43 | 直言!
足の底が冷えてくる。靴下を履いているのに冷えてくる。厚い靴下を履くのにまだ早いと思ってホットカーペットを入れた。暖かい。足の底がぽかぽかしてくる。
それしても夫は咳がよくでる。
夜中もゴンゴン咳をしている。
病院に行って薬をもらってきても途中で薬を飲むのはやめてしまう。
そして売薬を買って来てのんでいる。
わからない。夫の考えていることがわからない。
医師が出す風邪薬、5日で治ると見込んで薬を出す。風邪がきつい時は5日飲んだあともう1度病院にいって1・2日飲むと風邪が治っている。後の薬が残ってくる。

今日はこれから堺市の三国ヶ丘に行かないといけない。
その前に名刺屋さんにより名刺の出来上がりを受け取って次に郵便局によって立替払いした金額を引き出さないといけない。
また今日も朝からバタバタと済ませなければならない所用がある。

先日、朗読コンサートで作家・金真須美さんとお会いした。小説はフィクションだという。ロスの舞台、現場に入って取材しているが全部フィクションだと言った。
なるほど。私は自分では小説は書けないと思っている。
長い間、記者として現場取材、みたままのそのままの真実を記事にしてきたので作り話は書けないと思っていた。
それが金真須美さんとお会いして話しをしていると想像で小説が書けそうな気がした。
そんなことであれこれ思いめぐらすと若いときの体験ならこれとこれをあわせれば後は創作にすると考えてメモにしてみた。
メモしているときはできそうな気がした。
そしてメモの空間をまたあれこれ物語の骨を入れてみるが私の体験はそんなに対したことはないと感じ始めると小説の難しさがまた私の頭をもたげてくる。
やっぱり無理だな。
3日間ほど小説のストリーを考えてみたが私は普通の主婦、平凡な人生にただ記者という仕事をしただけでこれという人と違う体験もない。
やはり無理だな。
小説、体験をフィクションにして膨らませていくのはやはり才能なんだとまたしみじみ考えている。
子どものこと。通名、本名、帰化そして結婚とつながる息子のことも小説にできるが息子の顔が浮かぶ。
「お母さん。僕のことは書かんといてや」と。
平凡に会社員として生活している。子ども2人の父親と家族4人の生活を大事にしている息子のことはまだ書けない。やはりやめておこう。
私も若いときは日本人と少し恋をしたがそれも親に引き裂かれて見合い結婚した。それぐらいで恋と言うのはたいてい片思いで終わった。
やはり書く材料はないなと考えている。

そんなことで1950年代にでた「太陽の季節」の小説は活気的だった。書いた作家は在日韓国人の諸問題については反対派なのでそれをほめてとしまうと私の心が納得しないがやはりあの時代にこの小説を発表したことはすごいことだったと改めて気がつく。
もう外出の準備をしよう。
今日は晴天、秋晴れ。
そういえば小学校の同級生は車が運転できるので近場なら一緒に行こうと言ってくれている。ありがたい。
現場の仕事のない時は1度、木津川市木津町になった町を回ってみたい。文化施設などたくさんできているのに入ったこともない。
木津町に住んでいる同級生どうしはどこかで一緒に集ったりしているが私はずっと小学生の同級生と縁がなかった。
友だちの出来ない私は誰も親しい人がいなかった。
それでも小学校のときにいじめられて助けて貰った人は何人か印象に残っている。高校時代一緒だった同級生は賑やかでお転婆になった私を知っているが中学校で離れた人は私が新聞記者をしていることで驚く人が多い。
まして小学校の私からは今の私は想像ができないだろう。
しかしヒラカワという名前でなくてチョンヨンスンと名乗るようになって同級生は私の生き様を理解してくれていると思う。在日コリアンのさまざまな生きたが在日コリアンと理解してくれているだろう。
けれどメールや電話で「ヒラカワさん」と呼ばれると私が甦ってくる。
以前、日本に駐在されていた韓国の総領事が私に注意をしたことがあった。
「自分の生まれた家のことは大事にしなさい」
この年になってきて自分が通名で「ヒラカワ」で過ごした23年間のことも自分である。その自分も大事にしないといけないと分かるようになった。
男尊女卑で育った私の実家が大嫌いだった。
しかしそれもあったから私は大学ノートに我が家の不満を書いて心の消しゴムにしてきた。それがつたないが物書きになった。
これも私の人生、まして小学校時代は1951年から6年間、そして後半は中学校である。1960年から3年間過ごした高校時代、どれも小学校の同級生とつながっている。年を重ねて何でも話ができるのが小学生だともわかった。日本の国が戦争に負けて何もないところから這い上がってきた様子を子どものころから見てきた。そんな戦後の話しをできるのも小学校の同級生である。
いずれ時間をみつけて近場をドライブしよう。

さあ。支度支度。空は秋晴れ。うれしい。あの猛暑の暑さから解放され
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