頭が痛いときがある。
落合恵子さんの「積極的その日暮らし」のタイトルは「わたし『アレ』に怒っているの」。何かなと思って読んでいるとたとえば花の名前が思い出せなくて「アレ」「アレ」と言っている。
なるほど以心伝心の人は伝わるかもしれないが------。
私は「アレ」と言う言葉は使うのは少ないがいつも夫に「思い出せない。名前は上がわかっても下が手でこない。上の名前がサ行だったがそれから思い出せない」のがたびたびである。
テレビの「漢字テスト」も頭の中でわかっているのに言葉に手でこない。
10年前はまだこんなことができたのに-----と思う。
先日はもっと大変にことをしていた。
知人から買った化粧品のクリームが2個ともう1つ日焼け止めのクリーム2個を残っていることは記憶していた。そして1個を使い切るのに後1週間ほどしかない。それで家の中の思い当たるところは探すがない。仕方がない。知人にメールを入れておいた。しばらくすると電話がきた。「どうしたの」と聞く。たぶん彼女もおかしいなと思っ田だろうが電話をしてきた。そして送ると言ってくれた。
そして届いたクリームを開けて1ヶ月ほど経ってから衣装がかかっている部屋の棚を少し整理した。そしたら化粧品を探しているときには目の前にある袋に気がつかなかった。某デパートの袋に入れて棚においていた。
探しているときはこの袋は他の物が入っていると思い込んでいた。そのままクリーム2つともう1つ日焼け止めのクリームが2つ入っていた。
どこに置いたのか忘れるがそれでもたいてい化粧台の近辺においているのですぐわかったがなぜまったく違う部屋に置いたのか。置く時はここにおいてもすぐ分かると思い込んでいるが何日かするともうすっかり忘れている。
こんなことはこれまでなかったと思うと老いにショックを受ける。
老いも一緒に受け止めているはずなのにショックを受けた。
落合恵子さんと同じ忘れ方を私もしている。
コーヒーである。電話がかかったりFAXが流れてくるとコーヒーを入れたことを忘れて対応している。対応が終わってコーヒーを飲もうと思ったら冷めている。レンジで温めなおすこともたびたびである。私はインスタントコーヒーなので味はそんなに変らないが、ここでコーヒーを出す言葉を忘れてしまった。
コーヒーの容器で出しているコーヒー(この道具の言葉をど忘れしてでてこない)だったら冷めて温めなおすと味はどうなるのだろうか。
このブログを書いていて思い出した。
昨日の「韓日マダン」でボランテイア活動していた人たち、在日韓国人系の金融機関若手の職員だったのでは----。
私は写真を必死に取っている。
韓国の歌手の時は前まで行って何回もアップのアングルを取った。
そしたらボランテイア活動をしていた若手の男性が私に屈んでくれという。
屈めるなら屈む。しかし屈むたびに足の膝が痛いので中腰になれない。
腕章をつけていないときも後ろの婦人たちがあまりにもうるさいので報道の腕章をつけた。そしたら少しましになったらまたこのボランテイア活動の若手の青年がいう。私は腕章をつけているのに。側まで行ってアップの写真も必要で写真を取っているのにと思うと腹がたってきた。
そして前まで出てきている婦人たち、日本人か在日韓国人かしらないが韓流の歌手に夢中になっても日本植民地時代の歴史を知ろうとしないこの矛盾にものすごく不愉快になった。
私は婦人たちの方を見て「うるさいわ」と5・6回声を出していっていた。
もちろん歌手の歌で私の言葉はかき消されているが----。
もうこれ以上歌手の写真を取るのはやめた。
観客の席に行ってカキ氷が生ぬるくなったカキ氷のジュースを頂いて飲んだ。喉が渇いていて美味しかった。それからここでもコメントを取ってコメント取りに歩いた。そんなことで最後の舞台の韓国伝統楽器演奏は遠くから取った。おそらく写真には使えないだろう。記者席がどこかに必要だったな----。
それに私に注意したボランテイア活動していた若手の男性、はては私の従姉妹の子どもだったのだろうか。協賛した金融機関に昨年から勤務しているという。私は従姉妹の子どもの顔を覚えていないが向こうは覚えているかもしれない。私の親の葬儀などにきているので覚えているだろう。
そんなことでつい注意をしたのだろうか。
彼には私が言った「うるさいわ」の言葉が聞こえているかもしれない。
望遠レンズを持っていけばよいという人もいる。
私はカメラ用の望遠レンズは持っているがこれがもう重くてもう持てなくなったので持ち歩かなくなった。デジカメのズームで撮影している。
写真を取る人も必死なのである。
どうも我がままな婦人たちが増えているように思えてしょうがない。
落合恵子さんの「積極的その日暮らし」のタイトルは「わたし『アレ』に怒っているの」。何かなと思って読んでいるとたとえば花の名前が思い出せなくて「アレ」「アレ」と言っている。
なるほど以心伝心の人は伝わるかもしれないが------。
私は「アレ」と言う言葉は使うのは少ないがいつも夫に「思い出せない。名前は上がわかっても下が手でこない。上の名前がサ行だったがそれから思い出せない」のがたびたびである。
テレビの「漢字テスト」も頭の中でわかっているのに言葉に手でこない。
10年前はまだこんなことができたのに-----と思う。
先日はもっと大変にことをしていた。
知人から買った化粧品のクリームが2個ともう1つ日焼け止めのクリーム2個を残っていることは記憶していた。そして1個を使い切るのに後1週間ほどしかない。それで家の中の思い当たるところは探すがない。仕方がない。知人にメールを入れておいた。しばらくすると電話がきた。「どうしたの」と聞く。たぶん彼女もおかしいなと思っ田だろうが電話をしてきた。そして送ると言ってくれた。
そして届いたクリームを開けて1ヶ月ほど経ってから衣装がかかっている部屋の棚を少し整理した。そしたら化粧品を探しているときには目の前にある袋に気がつかなかった。某デパートの袋に入れて棚においていた。
探しているときはこの袋は他の物が入っていると思い込んでいた。そのままクリーム2つともう1つ日焼け止めのクリームが2つ入っていた。
どこに置いたのか忘れるがそれでもたいてい化粧台の近辺においているのですぐわかったがなぜまったく違う部屋に置いたのか。置く時はここにおいてもすぐ分かると思い込んでいるが何日かするともうすっかり忘れている。
こんなことはこれまでなかったと思うと老いにショックを受ける。
老いも一緒に受け止めているはずなのにショックを受けた。
落合恵子さんと同じ忘れ方を私もしている。
コーヒーである。電話がかかったりFAXが流れてくるとコーヒーを入れたことを忘れて対応している。対応が終わってコーヒーを飲もうと思ったら冷めている。レンジで温めなおすこともたびたびである。私はインスタントコーヒーなので味はそんなに変らないが、ここでコーヒーを出す言葉を忘れてしまった。
コーヒーの容器で出しているコーヒー(この道具の言葉をど忘れしてでてこない)だったら冷めて温めなおすと味はどうなるのだろうか。
このブログを書いていて思い出した。
昨日の「韓日マダン」でボランテイア活動していた人たち、在日韓国人系の金融機関若手の職員だったのでは----。
私は写真を必死に取っている。
韓国の歌手の時は前まで行って何回もアップのアングルを取った。
そしたらボランテイア活動をしていた若手の男性が私に屈んでくれという。
屈めるなら屈む。しかし屈むたびに足の膝が痛いので中腰になれない。
腕章をつけていないときも後ろの婦人たちがあまりにもうるさいので報道の腕章をつけた。そしたら少しましになったらまたこのボランテイア活動の若手の青年がいう。私は腕章をつけているのに。側まで行ってアップの写真も必要で写真を取っているのにと思うと腹がたってきた。
そして前まで出てきている婦人たち、日本人か在日韓国人かしらないが韓流の歌手に夢中になっても日本植民地時代の歴史を知ろうとしないこの矛盾にものすごく不愉快になった。
私は婦人たちの方を見て「うるさいわ」と5・6回声を出していっていた。
もちろん歌手の歌で私の言葉はかき消されているが----。
もうこれ以上歌手の写真を取るのはやめた。
観客の席に行ってカキ氷が生ぬるくなったカキ氷のジュースを頂いて飲んだ。喉が渇いていて美味しかった。それからここでもコメントを取ってコメント取りに歩いた。そんなことで最後の舞台の韓国伝統楽器演奏は遠くから取った。おそらく写真には使えないだろう。記者席がどこかに必要だったな----。
それに私に注意したボランテイア活動していた若手の男性、はては私の従姉妹の子どもだったのだろうか。協賛した金融機関に昨年から勤務しているという。私は従姉妹の子どもの顔を覚えていないが向こうは覚えているかもしれない。私の親の葬儀などにきているので覚えているだろう。
そんなことでつい注意をしたのだろうか。
彼には私が言った「うるさいわ」の言葉が聞こえているかもしれない。
望遠レンズを持っていけばよいという人もいる。
私はカメラ用の望遠レンズは持っているがこれがもう重くてもう持てなくなったので持ち歩かなくなった。デジカメのズームで撮影している。
写真を取る人も必死なのである。
どうも我がままな婦人たちが増えているように思えてしょうがない。
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