疲れていると8時ごろまで寝てしまう。しかし今日は6時に目がさめて寝付けない。仕事の原稿作成があってものんびり7時ごろまで寝ているのに今日は原稿はあせることはないのに寝付けない。
それなのに今日は寝付けない。どうやらネット原稿、月曜日の連載のことである。
昨日夜1行だけ書き込んで保存してパソコンを閉じた。睡魔のために寝ようと思った。少しテレビを見てからと思ってニユースを見ているうちに12時になっていた。あわてて寝た。遅く寝たのに6時に目が覚めた。
することをしなければ落ち着かないと考えて6時半に起きた。
そしたら夫も起きてきて2人とも日曜日なのに早い朝食を済ませた。
朝7時半ごろからバソコンの前に座って月曜日連載の原稿をいろんな書籍をパソコンの前や隣の机に並べてバソコン入力をした。
1時間ほどして休憩をした。20分ばかり休憩してまた作成していく。ようやく打ち込んだ。12時10分前である。
昼食の支度をした。
1昨日すき焼き風の煮込みをしたのを昨日私はまたここに京油揚げを入れて豆腐とねぎも足して出しつゆも足して煮込みを作った。
これがまだ少し残っていた。ここにうどんを2個入れて煮込みうどんを作った。いろんな具のだしがでていてものすごく美味しい。
しばらくテレビを見た。
「新婚さんいらっしゃい」の番組を見た。終わるとまたパソコンの前に座って朝作った原稿を推敲してエントリーをした。
それからプログを書き込んだ。また今度は木曜日の連載の原稿を作り始めた。そして4時15分でやめて夕食の支度もあるが洗濯を取り入れたりしていると外出していた夫が戻ってきた。夕食は巻き寿しを買ってきたのでインスタントの吸い物を作って冷蔵庫の保存食を出してそれで今日は済ませた。
あとは風呂に入ったりテレビみたりしていた。
今日「にっぽんの歌」を見た。布施明さんの声量はすごい。芸能生活40年以上になるという。すごい。それでもあの声量、びっくりした。
プレスリー「ラブミーテンダー」をアレンジして「優しく愛して」を女性歌手、渡辺真知子と一緒に歌った。この人も上手い。
ほんまんもんのプロの歌手はこうして長く続けて活動をしていることがわかった。
プレスリーの「ラブミーテンダー」懐かしい。
私の40代の始めを思い出す。
あるときある場所で「ラブミーテンダー」を歌った男性がいた。
高校時代に何度も聞いていた歌なのにまた違う新鮮さがあった。
高校時代、英語の授業はまともにしていない。小説ばかり書いていた。
それで英語の意味がわからない。
新鮮な歌に歌詞の意味が知りたくなった。
英語の勉強した若い男性に訳してもらった。
長いこと私の心の中でそれこそ優しく大事にしまっていたが今日、布施明が歌っているのを聞いてさりげなく懐かしく聞けるようになった。
何に向かっていたのだろうか。40代まの始め、こんな歌を聞いただけで新鮮な気持ちになった。あれから長い年月、プレスリーの歌は今も愛されて歌いつがれている。もちろん「ラブミーテンダー」も。
今日、穏やかにこの歌を聞きながらよくここまで生かされたものだとしみじみ思っていた。
ある男性が「ラブミーテンダー」を歌った。歌詞の意味がわかったとき男性は女性よりすごいロマンチックな人だと初めて分かった。
仕事に邁進していも心のどこかにロマンチックな気持ちを持っているのだろう。
ひさしぶりに聞いた「ラブミーテンダー」私の40代の初めを思い出した。
まだまだ自分にはいっぱいの可能性があると信じて書くということにチャレンジしていたころだった。
日本も世界も高級志向に向かいバブルになる世相の段階だった。
しかし私はまだまだ暮らしは楽でなかった。息子の大学生活の仕送りに追われていた。それでもまだまだチャレンジ精神が満タンしていた。
今日久しぶりに聞いた「ラブミーテンダー」、懐かし歌、思い出ははるかに遠くになった。そして自分の能力の限界も悟った。
できる範囲でまず健康に気をつけて日々の暮らしを大切にしている。穏やかな優しい生活に近づけるように努力している。
しかし時にはいろんなハプニングにあう。
そんなことにもぶつかりながら日々の夫との暮らしを大切にしている。
プレスリーってすごい。今なおまだファンの心の中に残っている。もし生きていれば今ごろ日本にきて京都や奈良の旅行三昧をして古都にとりつかれて大原三千院あたりに隠れ家があったかもしれない。
ひょとしたら日本人の彼女だったりして----。大原の里で染物をしている穏やかな老人になっていたかもしれない。
もし生きていれば、また素晴らしい歌声を聞かせてくれていただろうか。
こんなことを話していると「太陽がいっぱい」の映画音楽も懐かしいな。
なんかいろんなすてきな映画音楽があった。題名が思い出せない。
「昭和」の時代、戦争の時代だったがまた古きよきの時代だった。
地域文化があって人情の人づくりがあってレトロの時代をふと思いだしていた。・
それなのに今日は寝付けない。どうやらネット原稿、月曜日の連載のことである。
昨日夜1行だけ書き込んで保存してパソコンを閉じた。睡魔のために寝ようと思った。少しテレビを見てからと思ってニユースを見ているうちに12時になっていた。あわてて寝た。遅く寝たのに6時に目が覚めた。
することをしなければ落ち着かないと考えて6時半に起きた。
そしたら夫も起きてきて2人とも日曜日なのに早い朝食を済ませた。
朝7時半ごろからバソコンの前に座って月曜日連載の原稿をいろんな書籍をパソコンの前や隣の机に並べてバソコン入力をした。
1時間ほどして休憩をした。20分ばかり休憩してまた作成していく。ようやく打ち込んだ。12時10分前である。
昼食の支度をした。
1昨日すき焼き風の煮込みをしたのを昨日私はまたここに京油揚げを入れて豆腐とねぎも足して出しつゆも足して煮込みを作った。
これがまだ少し残っていた。ここにうどんを2個入れて煮込みうどんを作った。いろんな具のだしがでていてものすごく美味しい。
しばらくテレビを見た。
「新婚さんいらっしゃい」の番組を見た。終わるとまたパソコンの前に座って朝作った原稿を推敲してエントリーをした。
それからプログを書き込んだ。また今度は木曜日の連載の原稿を作り始めた。そして4時15分でやめて夕食の支度もあるが洗濯を取り入れたりしていると外出していた夫が戻ってきた。夕食は巻き寿しを買ってきたのでインスタントの吸い物を作って冷蔵庫の保存食を出してそれで今日は済ませた。
あとは風呂に入ったりテレビみたりしていた。
今日「にっぽんの歌」を見た。布施明さんの声量はすごい。芸能生活40年以上になるという。すごい。それでもあの声量、びっくりした。
プレスリー「ラブミーテンダー」をアレンジして「優しく愛して」を女性歌手、渡辺真知子と一緒に歌った。この人も上手い。
ほんまんもんのプロの歌手はこうして長く続けて活動をしていることがわかった。
プレスリーの「ラブミーテンダー」懐かしい。
私の40代の始めを思い出す。
あるときある場所で「ラブミーテンダー」を歌った男性がいた。
高校時代に何度も聞いていた歌なのにまた違う新鮮さがあった。
高校時代、英語の授業はまともにしていない。小説ばかり書いていた。
それで英語の意味がわからない。
新鮮な歌に歌詞の意味が知りたくなった。
英語の勉強した若い男性に訳してもらった。
長いこと私の心の中でそれこそ優しく大事にしまっていたが今日、布施明が歌っているのを聞いてさりげなく懐かしく聞けるようになった。
何に向かっていたのだろうか。40代まの始め、こんな歌を聞いただけで新鮮な気持ちになった。あれから長い年月、プレスリーの歌は今も愛されて歌いつがれている。もちろん「ラブミーテンダー」も。
今日、穏やかにこの歌を聞きながらよくここまで生かされたものだとしみじみ思っていた。
ある男性が「ラブミーテンダー」を歌った。歌詞の意味がわかったとき男性は女性よりすごいロマンチックな人だと初めて分かった。
仕事に邁進していも心のどこかにロマンチックな気持ちを持っているのだろう。
ひさしぶりに聞いた「ラブミーテンダー」私の40代の初めを思い出した。
まだまだ自分にはいっぱいの可能性があると信じて書くということにチャレンジしていたころだった。
日本も世界も高級志向に向かいバブルになる世相の段階だった。
しかし私はまだまだ暮らしは楽でなかった。息子の大学生活の仕送りに追われていた。それでもまだまだチャレンジ精神が満タンしていた。
今日久しぶりに聞いた「ラブミーテンダー」、懐かし歌、思い出ははるかに遠くになった。そして自分の能力の限界も悟った。
できる範囲でまず健康に気をつけて日々の暮らしを大切にしている。穏やかな優しい生活に近づけるように努力している。
しかし時にはいろんなハプニングにあう。
そんなことにもぶつかりながら日々の夫との暮らしを大切にしている。
プレスリーってすごい。今なおまだファンの心の中に残っている。もし生きていれば今ごろ日本にきて京都や奈良の旅行三昧をして古都にとりつかれて大原三千院あたりに隠れ家があったかもしれない。
ひょとしたら日本人の彼女だったりして----。大原の里で染物をしている穏やかな老人になっていたかもしれない。
もし生きていれば、また素晴らしい歌声を聞かせてくれていただろうか。
こんなことを話していると「太陽がいっぱい」の映画音楽も懐かしいな。
なんかいろんなすてきな映画音楽があった。題名が思い出せない。
「昭和」の時代、戦争の時代だったがまた古きよきの時代だった。
地域文化があって人情の人づくりがあってレトロの時代をふと思いだしていた。・
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