昨日は午後3時頃まで断続的に雨が降っていた。
こんな雨の日は外出するのも嫌なものである。
仕事以外に昨日は外出の所用があったが夫が早く帰ってくる。
風呂の湯を入れないといけない。雨の日は熱い風呂に入るのが好きな夫、それに昨日は家で仕事すると夫に言っていた。
そんなことで昨日は外出しないで正解。夫が早く帰ってきた。
私が仕事の場合、夫はシャワーを浴びてすませるが今は寒くなっている。
熱い湯の風呂がいいことに決まっている。
それに11月21日の講演会の参加要請があったが残念ながら当日は午前と午後、2ヶ所で仕事が入っている。
12月13日も他の人から講演参加の要請があったがこの日も鶴橋で仕事がある。
今朝は朝から1本、仕事の原稿を作った。
そのまえに問合せのFAXの文書を作ってFAX送信をした。
さてこの仕事の原稿1本作っていて思い出した。
「ジャーナリスト・ネットの画面に紹介します」と主催者側に言って置きながら忘れていた。この取材は東京の編集者が取材したものと抱き合わせになることから原稿を送稿していてネット画面構築をすることをすっかれ忘れていた。
仕事の原稿を作ってからまたもう1本、同じ原稿を作るがまさか仕事の原稿と同じ原稿をネットにあげるわけにはいかない。
また1から文章を作った。
写真も入れて画面構築すると10時過ぎた。
そしてプログの原稿となった
朝から風邪なのか頭が痛い。
なんか年を感じてしまう。
それこそ雨森芳洲庵によく行ったころは40代の半ばだった。
民団京都の左京・右京・上京支部は「歴史探訪教室」がよく行われて貸し切りバスを利用して滋賀県や奈良県の渡来文化巡りに同行取材をした。
このときによく雨森芳洲庵にも行った。このとき湖東三山巡りが盛り込まれて滋賀県内に点在する渡来文化史跡もよく見学した。
こんなときに「額田の王」のことを知って本をよくむさぼり詠んだ。
石塔寺も何度も訪れた。百済寺もよく訪れた。
初めてみる渡来文化の史跡に感動したものだった。
当時は日刊紙の新聞で毎日取材して(かけもちもしょっちゅう)記事を起して当時はFAX送信だった。FAX送信しながらかかってきた電話にも応対していた。この光景に同僚だった女子事務員がびっくりしていた。
猛烈に働いた当時の様子を知っている人である。
当時のことを思うと懐かしくもあるが生活は火の車だった。
沖縄の大学に行った息子の生活費と学資を送るために私は働いていた。
私の働いたものは息子への仕送りになった。
そんなことも思い出してしまう。
そして毎晩毎晩、9時10時の帰宅で夫のことはほったらかしだったことも思い出してせつない気持ちになってしまう。
つい自分で言い訳をしている。
「あの時は猛烈に忙しく働いた。夫もほったらかしで仕事してきた結果が今日の私があって夫にも感謝している」と。
今も忙しいが今の忙しさとは比べ物にならない。
今は夜の現場、若い記者がほとんど行ってくれている。そして1ヶ月に2・3回の発行の機関紙で空いた時間を見て記事の送稿ができる。
もちろん締め切り間際の現場は自宅に戻って原稿を作ることも度々あるが自宅でパソコンを置いての原稿書き、夫の夕食を済ませてからもできる。
家でする仕事にも一長一短があるが家のこと、夫のことをほったらかんしにした5年間のことを思うとこれぐらいはなんともないことである。
民団京都の人たち一緒に貸し切りバスを利用して同行取材をした。
今も忘れられない紅葉が三井寺の紅葉である。
紅葉のアーチは素晴らしかった。もう1度、仕事を離れて行きたいところである。飛鳥の里にも行ったことがあった。10月11月は行事が多いので9月の下旬、飛鳥探訪に同行した。
そのとき見た彼岸花、壮観だった。またあんな風景を見たいと思っている。
雨森芳洲の原稿を作っていていろんなことを思い出した。
これから休憩して昼食の支度をしよう。
こんな雨の日は外出するのも嫌なものである。
仕事以外に昨日は外出の所用があったが夫が早く帰ってくる。
風呂の湯を入れないといけない。雨の日は熱い風呂に入るのが好きな夫、それに昨日は家で仕事すると夫に言っていた。
そんなことで昨日は外出しないで正解。夫が早く帰ってきた。
私が仕事の場合、夫はシャワーを浴びてすませるが今は寒くなっている。
熱い湯の風呂がいいことに決まっている。
それに11月21日の講演会の参加要請があったが残念ながら当日は午前と午後、2ヶ所で仕事が入っている。
12月13日も他の人から講演参加の要請があったがこの日も鶴橋で仕事がある。
今朝は朝から1本、仕事の原稿を作った。
そのまえに問合せのFAXの文書を作ってFAX送信をした。
さてこの仕事の原稿1本作っていて思い出した。
「ジャーナリスト・ネットの画面に紹介します」と主催者側に言って置きながら忘れていた。この取材は東京の編集者が取材したものと抱き合わせになることから原稿を送稿していてネット画面構築をすることをすっかれ忘れていた。
仕事の原稿を作ってからまたもう1本、同じ原稿を作るがまさか仕事の原稿と同じ原稿をネットにあげるわけにはいかない。
また1から文章を作った。
写真も入れて画面構築すると10時過ぎた。
そしてプログの原稿となった
朝から風邪なのか頭が痛い。
なんか年を感じてしまう。
それこそ雨森芳洲庵によく行ったころは40代の半ばだった。
民団京都の左京・右京・上京支部は「歴史探訪教室」がよく行われて貸し切りバスを利用して滋賀県や奈良県の渡来文化巡りに同行取材をした。
このときによく雨森芳洲庵にも行った。このとき湖東三山巡りが盛り込まれて滋賀県内に点在する渡来文化史跡もよく見学した。
こんなときに「額田の王」のことを知って本をよくむさぼり詠んだ。
石塔寺も何度も訪れた。百済寺もよく訪れた。
初めてみる渡来文化の史跡に感動したものだった。
当時は日刊紙の新聞で毎日取材して(かけもちもしょっちゅう)記事を起して当時はFAX送信だった。FAX送信しながらかかってきた電話にも応対していた。この光景に同僚だった女子事務員がびっくりしていた。
猛烈に働いた当時の様子を知っている人である。
当時のことを思うと懐かしくもあるが生活は火の車だった。
沖縄の大学に行った息子の生活費と学資を送るために私は働いていた。
私の働いたものは息子への仕送りになった。
そんなことも思い出してしまう。
そして毎晩毎晩、9時10時の帰宅で夫のことはほったらかしだったことも思い出してせつない気持ちになってしまう。
つい自分で言い訳をしている。
「あの時は猛烈に忙しく働いた。夫もほったらかしで仕事してきた結果が今日の私があって夫にも感謝している」と。
今も忙しいが今の忙しさとは比べ物にならない。
今は夜の現場、若い記者がほとんど行ってくれている。そして1ヶ月に2・3回の発行の機関紙で空いた時間を見て記事の送稿ができる。
もちろん締め切り間際の現場は自宅に戻って原稿を作ることも度々あるが自宅でパソコンを置いての原稿書き、夫の夕食を済ませてからもできる。
家でする仕事にも一長一短があるが家のこと、夫のことをほったらかんしにした5年間のことを思うとこれぐらいはなんともないことである。
民団京都の人たち一緒に貸し切りバスを利用して同行取材をした。
今も忘れられない紅葉が三井寺の紅葉である。
紅葉のアーチは素晴らしかった。もう1度、仕事を離れて行きたいところである。飛鳥の里にも行ったことがあった。10月11月は行事が多いので9月の下旬、飛鳥探訪に同行した。
そのとき見た彼岸花、壮観だった。またあんな風景を見たいと思っている。
雨森芳洲の原稿を作っていていろんなことを思い出した。
これから休憩して昼食の支度をしよう。
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