鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

「空間浮遊欠陥人間」の浮き彫り

2009-04-24 08:28:39 | 直言!
空間の区別がつかない若者たち、万博が生んだ世代とも言える。
東京オリンピックはまだ日本の一般は中流にもなれなくて中流階級になりたいと日夜、働き蜂だった。
それが大阪の万国博覧会で半年間開催された会場、世界各国の展示館に魅了し世界各国の人と触れた。国境のない生活を半年間体験した。
万博が終わってもグローバルな感覚はまだ残っている。その余韻が当時の大人たちは少しでもあの国に近づきたいという感覚にとらわれて日本の持っている文化を蔑視し始めた。
そこがもともと日本文化が崩れ去っていった1つの要因になる。
万博会場で見たものは歩きながら物を食べる。
ところかまわずどこでも飲食をして化粧をする。
こうした大人たちが育った親の子どもである。
日本の文化、躾を心得てから外国文化を学ばなければならなかったが西欧文化にかぶれた日本人は外国と同じことをしていた。
日本の国は狭い。そして四季折々の季節を文化にして日本文化をたしなんできたがそれがもろくも崩れてしまった。
日本は食べ物にあふれて満足感、今度は捨てる文化になり今度はやせるために食べない人とストレスで食べる人と分かれていった。
この中で何を育んだのか。
アメリカ文化の導入に皆、必死になったがアメリカは土地が広い。車で走っても走ってもアメリカ大陸は広い。この中で生まれたのが歩きながら食べるアメリカ人気質だった。しかし日本の国土は狭い。
少し行けば食べ物屋さんがある。食堂に入ればいいがそうはいかなくなった。
忙しい生活は救いのコンビニができた。
コンビニ文化は若者たちに生活空間の欠陥人間を作ってしまった。
コンビニでおにぎりやパンを買って電車の中で食べる。
生活空間のけじめをなくした。これも1つ、コンビニにも要因がある。
アメリカナイズムに憧れた若者たちがまだ万博の余韻が残り少しでもアメリカ文化に近づきたい。歩きながら食べ物を食べて西欧かぶれしていた。
若者たちの周りは注意しなかった。親の見ていないところでしてきた。
昔は地域社会が地域の子どもを育てていたので近所の大人たちが注意したが核家族になりコンクリートの中で住むようになった若者たちと言葉1つ交わすことなく社会が作られて若者文化が走り出した。
そして「空間浮遊欠陥人間」を作り家と外の区別がつかないアホな若者が増えていき若者たちの目に余る行為は留まることなくエスカレートしている。

昨日もそうだった。
1時ごろ、近鉄奈良駅から電車に乗った。
静かに本を読んでいたのに進行方向に向かって縦座りの座席の後ろでごそごそしている。新大宮あたりからだった。
それでも知らん顔して本を読んでいたが学園前あたりになるとごそごそした音が大きくなる。生駒を越えた時に本を読むのをやめてすぐ後ろを振り返ると案の定、コンビニの袋を持って何かを食べている。食べながら化粧している。
呆れてしまった。3度後ろを振り返っても音は止まらない。
思わず後ろを振り返って顔を見るとこれまで3・4回注意した20代初めの女子だった。1度は奈良に向かって帰る夕方、通路を挟んで隣で化粧しているので「こんなところで化粧してはいけません」と言ったら睨んでいる。しばらくはやめようとしない。
そして前の座席があいたので私は前に移った。
優先座席でないところだったので携帯のメールを見た。
そしたらこの女の子、奈良で降りて私にかけよってきて「そちらは電車の中で携帯を見ていたではありませんか」と揚げ足を取ってきた。マナーモードにしていてもメールは見る。
私は「化粧と携帯のメールと違う。そんな区別も分からないのですか。あんたものすごくアホや」と何度か言ったらエスカレーターの階段を早足で駆け上がっていた。
携帯と化粧の区別がつかない。
これが奈良市内で生まれて育ったアホな女の子と思ったら奈良市の学校教育そして家庭教育に疑問を持ったものだった。
昨日も注意した女の子はこの子だった。
何度注意されても自分の非を認めていない。
電車の中での化粧がいけないという空間のけじめができていない。
もう家からそのままパジャマのまま、電車にのっている感覚、服だけはなんとか着ている。これは自我をまわりに認めさせるために人と同じにはできない。
裸スタイルのまま電車にのっている今時の女の子である。
それでまた降りて追いかけられたら困るので今里あたりで席を立って2つほど前の車両に歩いて移っていた。
1番後ろの車両に乗っている彼女は新大宮から乗っている。新大宮は改札入ってすぐが1番後ろの車両になるホームである。駆け込んで乗る人は1番後ろの車両になる。
私は今時の若い人が怖くて近年、車掌から見える1番後ろの車両に乗っている。9時半までは乗らない。女性専用車両でまた大奥なみの女性の修羅場を見るので絶対に乗らない。
人前の化粧、見たくない人が大勢いる。これは失礼な行為である。
飲食の人の飲食は見たくないし匂いが鼻につく。これも失礼な行為である。

鶴橋から奈良に戻ってきて市内循環バスがきたので飛び乗った。
若い女性が料金の入れるところでモタモタしている。千円札がしわになっていて入らないのだろう。小銭を両替してくることなんてない。
なかなか入らない。なんとかやっと入ったら今度は運賃を入れるのにモタモタしている。
外は寒い風が吹いているので後ろに並んでいる者は1歩と歩幅を進めている。それでも知らん顔して一方に寄らない。次の若い女性も料金を両替するのに一方に寄らないでいる。次の年輩者はそこをすり抜けようとしたらやっと一方による仕草をした。料金が入ったので年輩の人がカードを機械に置いた。
次ぎは私、180円を入れて座席に座った。
さきほどモタモタしていた女性は前でおやつを食べている幼児を見て自分もチョコレートの入った箱を出してチョコレートを食べている。
目の前だったので私は注意した。
「いい大人がバスの中で食べたらあかんでしょう。前は子どもだからしょうがいけれどあんたはいい大人でしょう」と言ったらチョコレートの箱を鞄にしまった。
隣の座席に座っていた年輩の女性は「子どもも親はバスの中で食べ物を食べてはいけないと躾をしないといけない。私たちが子どもを育てていたころはそんな躾もして乗り物に乗せていました」と話された。
この言葉を聞いた若いお母さん。乗り物という空間、外で歩く空間、公園にいる空間、家にいる空間の区別をきちん教えてもらいたい。

今日も私は王寺の現場に出かける。
JR大和路線も背もたれのある縦ならびに座席が並んでいる。
また飲食や化粧に遭遇する。
家と外の区別の分別ができない「空間浮遊欠陥人間」にまた遭遇するだろう。
家と外との区別をたしなんでいるものは現在の車両は地獄なのである。
こんなことを文部科学省それとも総務省が見直して教育指導をしなければならない。「空間浮遊欠陥人間」は日本文化を破壊し日本人気質も破壊している。
こんなことでは日本の文化は作れない。国会議員は日本人でしょう。日本人のマナーを見直すのが先決です。
他の外国にない日本文化、立て直す必要がある。

韓国には儒教文化がまだ残っている。
アジアの国の中で唯一、礼儀の文化が残っている国である。
韓流に夢中になるならこうしたことも学んでもらいたい。
窮屈な儒教文化だが窮屈の所作をたしなんで品格が出てくることも知ってもらいたい。
私は若い頃は父親や叔父たちの儒教文化の礼儀に辟易して反発していたが年を重ねて気が着いた。
父親や叔父たちは品格があった。
それは日常生活で身についた儒教の所作があったからだったとやっと気が着いた。日本の国もかつてはあった礼儀の1つである。
もう1度見直して「空間分別人間」にしてもらいたい。

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1 コメント

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これも区別しないといけません。 (チョンヨンスン)
2009-04-25 07:53:40
ローカルの通勤電車の中と長距離列車との飲食に区別があります。
JR西日本の湖西線、琵琶湖線、ここは一般乗客と一緒に乗っている旅行者、旅行者の飲食にもここは一般乗客が多いのでこの電車にのるたびに縦列の座席に閉口しています。
このへん、JR西日本は飲食専用車両と飲食禁止の車両を設けてもらいたいほどです。
雷鳥などの長距離列車は旅行目的で作った車両です。そして遠距離利用者の車両です。これは仕方がないでしょう。飲食のブログを書くとコメントをかくあなたは電車の中で飲食しているのでしょう。家庭の躾ができていない大人子ども人間だとおもっています。
世の中の仕組みを勉強して下さい。
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