私は5日から新年会に出かける。
今日は夫が年始恒例の親しい仲間の人たちとマージャンをするために10時半頃に出かけていった。いつも3日はこんなことになっているらしい。
私は7時15分に起きた。
家事をしていく。
家事を終えて朝食の支度、食卓には大皿に御節を並べてトックを作った。
美味しい。今日もトックを美味しく食べた。
テレビを見ているとバライテイーだがまだ見られる番組内容だったので見た。この後がいつもの「よーいドン」が始まった。
新春ということで月亭八方さんと子息の八光さん、親子で大阪梅田をぶらり。
やはり「親子トーク」この2人のトークは面白い。
聞いていても飽きない。つい見てしまっている。
前半の後、後半があるが番組の途中で放映ということでその間、流れる番組を見ていた。奈良の筆「あかしや」さんが紹介された。
芸人のロダンが訪ねていくが若社長になって店舗も変わっていた。新しくなっていた。
私の取材は今から28年か29年前である。
奈良の冬は観光客が少ない。
そこで冬の奈良に観光客を呼び込むための「冬の奈良キャンペーン」で私が雑誌記者時代、「月刊奈良」編集局で3ページか4ページの写真グラビアページを作ったが。レイアウトは上司がした。私も幾つもの担当のページを持っていて取材して原稿作って寄稿原稿も担当、レイアウトもしていた。昔のやり方でのレイアウト。今はパソコンでレイアウトをするので私の仕事の仕方は化石になった。
当時の上司と一緒に、奈良県の西部・高山の茶筅の伝統工芸を周り、奈良市内にある「あかしや」の筆の会社に訪れた。墨を作る所も訪問したのに墨を作る会社の名前も茶筅の会社の名前も忘れてしまったが「冬の奈良に出会いたい」というキャッチフレーズで取材した。写真は上司が撮影、私は取材してノートにメモしていた。
まだまだ新米記者の私だったがとにかくいいものを作ろうと意気込んで取材していた。新米記者が取材したグラビア写真の記事ができたときはうれしかった。
雑誌から伝わる奈良の風景に胸をワクワクして見ていた。
テレビを見ていてまた在りし日の私の若い頃を思い出していた。
後半の月亭八方と八光の親子ブラリは11時45分に終わった。
後、まだ番組が続くがダラダラテレビを見ていてはいけないと思ってテレビを消した。
今日、初めてのブログとなった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日は奈良新聞の家庭面「雑記帳の集いの年賀挨拶」が掲載された。見開きのページで会員の年賀原稿が寄せられている。
昨年12月8日が締切だった。
12月6日頃に送った。
100字以内の年賀原稿でしたが書いた。
素材に何日間は考えた。
リニヤモータカー、昨年は奈良に朗報をもたらした。
何を書こうと考えていた。東日本大震災も福島原発事故も大方の人が書くだろう。昨年から奈良を素材にしたものを年賀原稿にし始めたので今年の年賀も奈良に関すること。それで書いたものが今日、奈良新聞の紙面に掲載されていた。
奈良新聞「雑記帳」の投稿者らがつくる「雑記帳の集い」の会員の年賀原稿に託したのは
「リニヤ中央新幹線、
奈良市通過の朗報、先
人達の悲願、今世代か
ら次世代に。交通、観
光、企業、生活の拠点、
情報網は伊勢湾から大
和路、近畿圏から関西
国際空港、奈良の宝を
守って二十一世紀の玄
関口は奈良から」
10文字10行の原稿です。
その時、一緒にメールで送った「雑記帳」の投稿欄に寄稿したものを一緒に掲載。12月の半ばに掲載された。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
奈良の古社寺にも高齢者者対策を
鄭容順(奈良市67歳)
奈良市内にある東大寺、興福寺の建物に私は近年、なんとかならないものかと考えるようになった。
地元奈良市に住んでいる者は東大寺や興福寺にそう何度も行くことがない。
時には海外からの観光客や韓国からの新任の駐在職員を東大寺に案内する。困るのが高い石段を上らないと目的の建物の中に入れない。先日も韓国から赴任された職員を東大寺に案内した。東大寺の大仏さんが鎮座している大仏殿は高い石段を上らないといけない。手すりもなく膝を痛めている私は石段に恐怖で中に入ることができない。
申し訳ないとは思いながら「膝を痛めています。この石段が恐くて上ることができません。私はここで待っています。1人で見学して下さい」といった。
線香を立てての厄除け、柱の通り抜けも説明もできない私は心の中で「すみません」と詫びていた。
一方、また今秋、興福寺で開かれた「国宝特別公開―三重塔・北円堂」に夫と一緒に見学、私は石段の前でとまった。夫に手をとってもらって上ることができたが石段の下りが気になって気もそぞろで見学ができない。じっくり見学している夫をそのままにして建物から出た。幸いにボランテイアの若い女性の助けで降りることができた。
建物の保存、古代の姿を観光客に見せることも大切、しかし高齢者も観光に訪れている。古社寺も高齢者の見学に少し配慮して建物の景観を損なわないようにスロープをどこかに設置してもらいたい。
そしてここでこの原稿に反響あったもののクレームの反響だった。
東大寺にはエレベーターなど高齢者対策として見学ができやすいようになっているという。チケットを買う受付でそのことを話すと高齢者が見学できやすいように対応して下さるという。それで担当デスクからお電話を頂いて恐縮、恐縮、電話の前で私は頭を下げていた。
暖かくなったら1度、東大寺を訪ねて自分で確認をしてみよう。
こんなところは仕事でないところがでて資料不足となった。恥ずかしい。
仕事となれば念入りに調べないと後で大変なことになる。
クレームの電話で終わればいいが担当の編集委員は時には「始末書」を書くこともあるので頭の中はいつもそんなことを考えてしつこいほど関係者に取材している。しつこいほど資料請求をする。しつこいほどインターネットで資料を検索して担当の編集委員に転送している。
趣味の原稿も手を抜いてはいけないとひしひしと身に染みた師走の半ばでした。
原稿、10日まで作るもの2本控えている。雑記帳の冊子原稿と10日担当のメデイアウオッチング、今から作ろうと思っていたが少し休憩をします。
テレビをダラダラと見すぎた。
テレビを見るとまたしたいことができなくなるので昼間はテレビを見ないが正月ぐらいはいいかなと思っていたが、だらだらと見すぎた。
今日は夫が年始恒例の親しい仲間の人たちとマージャンをするために10時半頃に出かけていった。いつも3日はこんなことになっているらしい。
私は7時15分に起きた。
家事をしていく。
家事を終えて朝食の支度、食卓には大皿に御節を並べてトックを作った。
美味しい。今日もトックを美味しく食べた。
テレビを見ているとバライテイーだがまだ見られる番組内容だったので見た。この後がいつもの「よーいドン」が始まった。
新春ということで月亭八方さんと子息の八光さん、親子で大阪梅田をぶらり。
やはり「親子トーク」この2人のトークは面白い。
聞いていても飽きない。つい見てしまっている。
前半の後、後半があるが番組の途中で放映ということでその間、流れる番組を見ていた。奈良の筆「あかしや」さんが紹介された。
芸人のロダンが訪ねていくが若社長になって店舗も変わっていた。新しくなっていた。
私の取材は今から28年か29年前である。
奈良の冬は観光客が少ない。
そこで冬の奈良に観光客を呼び込むための「冬の奈良キャンペーン」で私が雑誌記者時代、「月刊奈良」編集局で3ページか4ページの写真グラビアページを作ったが。レイアウトは上司がした。私も幾つもの担当のページを持っていて取材して原稿作って寄稿原稿も担当、レイアウトもしていた。昔のやり方でのレイアウト。今はパソコンでレイアウトをするので私の仕事の仕方は化石になった。
当時の上司と一緒に、奈良県の西部・高山の茶筅の伝統工芸を周り、奈良市内にある「あかしや」の筆の会社に訪れた。墨を作る所も訪問したのに墨を作る会社の名前も茶筅の会社の名前も忘れてしまったが「冬の奈良に出会いたい」というキャッチフレーズで取材した。写真は上司が撮影、私は取材してノートにメモしていた。
まだまだ新米記者の私だったがとにかくいいものを作ろうと意気込んで取材していた。新米記者が取材したグラビア写真の記事ができたときはうれしかった。
雑誌から伝わる奈良の風景に胸をワクワクして見ていた。
テレビを見ていてまた在りし日の私の若い頃を思い出していた。
後半の月亭八方と八光の親子ブラリは11時45分に終わった。
後、まだ番組が続くがダラダラテレビを見ていてはいけないと思ってテレビを消した。
今日、初めてのブログとなった。
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今日は奈良新聞の家庭面「雑記帳の集いの年賀挨拶」が掲載された。見開きのページで会員の年賀原稿が寄せられている。
昨年12月8日が締切だった。
12月6日頃に送った。
100字以内の年賀原稿でしたが書いた。
素材に何日間は考えた。
リニヤモータカー、昨年は奈良に朗報をもたらした。
何を書こうと考えていた。東日本大震災も福島原発事故も大方の人が書くだろう。昨年から奈良を素材にしたものを年賀原稿にし始めたので今年の年賀も奈良に関すること。それで書いたものが今日、奈良新聞の紙面に掲載されていた。
奈良新聞「雑記帳」の投稿者らがつくる「雑記帳の集い」の会員の年賀原稿に託したのは
「リニヤ中央新幹線、
奈良市通過の朗報、先
人達の悲願、今世代か
ら次世代に。交通、観
光、企業、生活の拠点、
情報網は伊勢湾から大
和路、近畿圏から関西
国際空港、奈良の宝を
守って二十一世紀の玄
関口は奈良から」
10文字10行の原稿です。
その時、一緒にメールで送った「雑記帳」の投稿欄に寄稿したものを一緒に掲載。12月の半ばに掲載された。
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奈良の古社寺にも高齢者者対策を
鄭容順(奈良市67歳)
奈良市内にある東大寺、興福寺の建物に私は近年、なんとかならないものかと考えるようになった。
地元奈良市に住んでいる者は東大寺や興福寺にそう何度も行くことがない。
時には海外からの観光客や韓国からの新任の駐在職員を東大寺に案内する。困るのが高い石段を上らないと目的の建物の中に入れない。先日も韓国から赴任された職員を東大寺に案内した。東大寺の大仏さんが鎮座している大仏殿は高い石段を上らないといけない。手すりもなく膝を痛めている私は石段に恐怖で中に入ることができない。
申し訳ないとは思いながら「膝を痛めています。この石段が恐くて上ることができません。私はここで待っています。1人で見学して下さい」といった。
線香を立てての厄除け、柱の通り抜けも説明もできない私は心の中で「すみません」と詫びていた。
一方、また今秋、興福寺で開かれた「国宝特別公開―三重塔・北円堂」に夫と一緒に見学、私は石段の前でとまった。夫に手をとってもらって上ることができたが石段の下りが気になって気もそぞろで見学ができない。じっくり見学している夫をそのままにして建物から出た。幸いにボランテイアの若い女性の助けで降りることができた。
建物の保存、古代の姿を観光客に見せることも大切、しかし高齢者も観光に訪れている。古社寺も高齢者の見学に少し配慮して建物の景観を損なわないようにスロープをどこかに設置してもらいたい。
そしてここでこの原稿に反響あったもののクレームの反響だった。
東大寺にはエレベーターなど高齢者対策として見学ができやすいようになっているという。チケットを買う受付でそのことを話すと高齢者が見学できやすいように対応して下さるという。それで担当デスクからお電話を頂いて恐縮、恐縮、電話の前で私は頭を下げていた。
暖かくなったら1度、東大寺を訪ねて自分で確認をしてみよう。
こんなところは仕事でないところがでて資料不足となった。恥ずかしい。
仕事となれば念入りに調べないと後で大変なことになる。
クレームの電話で終わればいいが担当の編集委員は時には「始末書」を書くこともあるので頭の中はいつもそんなことを考えてしつこいほど関係者に取材している。しつこいほど資料請求をする。しつこいほどインターネットで資料を検索して担当の編集委員に転送している。
趣味の原稿も手を抜いてはいけないとひしひしと身に染みた師走の半ばでした。
原稿、10日まで作るもの2本控えている。雑記帳の冊子原稿と10日担当のメデイアウオッチング、今から作ろうと思っていたが少し休憩をします。
テレビをダラダラと見すぎた。
テレビを見るとまたしたいことができなくなるので昼間はテレビを見ないが正月ぐらいはいいかなと思っていたが、だらだらと見すぎた。
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