昼間は冷房を入れないと過せません。
夫は家にいる。
私はまだ夏風邪が治りきっていない。
まだ休養をしないといけない。
少しはよくなっているものの休養をしないといけない。
こんな時でも自分の担当の画面構築が気になってきた。
なかなか書く材料がみつからなくてまだ頭の中は試誤錯誤していた。
けれど今朝、各材料は決まったが自分の不勉強さに頭を打つがなんとかインターネットで資料を探してそこから文章をつないでいくことにした。
それも10行程度作ってやめた。
今日はもう1日、休養しないといけないので少し書いて保存にした。
このプログも長くかけない。
適当なところで置いて休憩です。
朝、7時前に起きて玄関を網戸にするがやはり暑い。
太陽が東から昇ってくると暑い。
また玄関の戸を閉めて冷房を入れた。
それでも台所に入ると暑いです。
夫は自分の朝食、ラーメンを作ることになったが普段し慣れていない。
フライパンもあるところ教えているのにまた忘れている。
また私に怒られている。
そしてラーメンを炊くと水が少なくて焼きそばになっている。
このへん、し慣れていないことはこんなことです。
毎回、自分でできることは自分でするようといっている。
しかし馬の耳に念仏です。
しまいに「お前がいなかったら、している」という。
そんな憎たらしい言葉につい私は思わず「私がいなくなったらどうするの」と。いうと少しは効き目になるのか1日・2日は自分のできることはしている。
3日目になるとまた世の男性と同じです。
高齢者の男性たちは育った時代の影響か、育てた母親が悪かったのか。
家事は女がするものと頭から離れない。
手の空いている者ができることからしていくと、何度も何度もここ20年ほどいっているが夫の耳は馬の耳に念仏です。
68歳の主婦は結局、し慣れていない夫にも家事をしつけようとここ20年近く試みた。試みるたびに夫婦喧嘩をしてきた。
しかし子どものころに受け付けられた母親のしつけはマイドコントロールされていて昔の母親のいったこと。今の時代についていけない言葉でも体にインプットされている。核家族で高齢者の2人暮らし、私は今の時代に合わせた生き方をしてやっているうちに覚えていく。それはいつのまにか自分の生きる力になる。
しかし夫もそうだが昭和20年前後生まれの男性たちはそのときに植え付けられた社会感覚は今も体に染み付いている。
憎たらしいほど染み付いている。
結局、あれこれというのがしんどくなって私がすれば早いし夫婦喧嘩もしなくてすむと思って自分でしてしまう。
それでもまだ私は夫を結婚した当時から比べると大分、気質を改善した。
「男が買い物に行くのも男の沽券にかかわる」といっていたのを私は「単身赴任の男性は自分で買い物して自分で自炊している」といったら、夫は目からウロコだった。それからは私が頼んだ買い物をしてくれるようになった。
40代は夜も昼もなく働き、魚や肉類が買えなくて夫に頼むようになった。
そして60歳過ぎてからは手に握力がなくって重い買い物袋が持てない。
かさばる物などは夫に頼むようになった。
これでも私は夫を改善したと思っている。
けれど町の病院の看護師さん。共働きをしてきた中で夫の家事の役割分担をこなしてこられた。そんな人から見ると私は看護師さんからいわれる。
「ご主人を甘やかせてきたから、これはあんたの責任です」と。
なるほど-----。
こんな言葉を私より年輩の80代の高齢者婦人が聞くとどうなるのだろうかと思う。
ただ1人の80代の高齢者婦人はいわれた言葉がある。
「私、ご主人が亡くなりました。もう今は楽で足のすころがすうすうして自由に友だちと会ったりしています。さびしいことはありません。ものすごく楽になりました」と。
こんな人はごくごく少ないと思う。
夫がいて自分がいる。
2人でつつましくお互いに負担にならないように助け合っていきたいものです。
喧嘩していても夫が家にいれば安心です。
私が仕事に行く時は家の戸締りを気にせずにいけるのです。
これは別におのろけでも何でもありません。
年をとってくると戸締りにもだんだんしんどくなってくる。
何度も確認するのでしんどくなってくる。
やっぱり年をとりたくない。
若いときは夫の何もしないことを心に不満を持ちながら皆、自分で家のことを遣り通したのにこの頃はもうしんどいが先です。ふと言葉にでています。
さて休憩です。
夫は家にいる。
私はまだ夏風邪が治りきっていない。
まだ休養をしないといけない。
少しはよくなっているものの休養をしないといけない。
こんな時でも自分の担当の画面構築が気になってきた。
なかなか書く材料がみつからなくてまだ頭の中は試誤錯誤していた。
けれど今朝、各材料は決まったが自分の不勉強さに頭を打つがなんとかインターネットで資料を探してそこから文章をつないでいくことにした。
それも10行程度作ってやめた。
今日はもう1日、休養しないといけないので少し書いて保存にした。
このプログも長くかけない。
適当なところで置いて休憩です。
朝、7時前に起きて玄関を網戸にするがやはり暑い。
太陽が東から昇ってくると暑い。
また玄関の戸を閉めて冷房を入れた。
それでも台所に入ると暑いです。
夫は自分の朝食、ラーメンを作ることになったが普段し慣れていない。
フライパンもあるところ教えているのにまた忘れている。
また私に怒られている。
そしてラーメンを炊くと水が少なくて焼きそばになっている。
このへん、し慣れていないことはこんなことです。
毎回、自分でできることは自分でするようといっている。
しかし馬の耳に念仏です。
しまいに「お前がいなかったら、している」という。
そんな憎たらしい言葉につい私は思わず「私がいなくなったらどうするの」と。いうと少しは効き目になるのか1日・2日は自分のできることはしている。
3日目になるとまた世の男性と同じです。
高齢者の男性たちは育った時代の影響か、育てた母親が悪かったのか。
家事は女がするものと頭から離れない。
手の空いている者ができることからしていくと、何度も何度もここ20年ほどいっているが夫の耳は馬の耳に念仏です。
68歳の主婦は結局、し慣れていない夫にも家事をしつけようとここ20年近く試みた。試みるたびに夫婦喧嘩をしてきた。
しかし子どものころに受け付けられた母親のしつけはマイドコントロールされていて昔の母親のいったこと。今の時代についていけない言葉でも体にインプットされている。核家族で高齢者の2人暮らし、私は今の時代に合わせた生き方をしてやっているうちに覚えていく。それはいつのまにか自分の生きる力になる。
しかし夫もそうだが昭和20年前後生まれの男性たちはそのときに植え付けられた社会感覚は今も体に染み付いている。
憎たらしいほど染み付いている。
結局、あれこれというのがしんどくなって私がすれば早いし夫婦喧嘩もしなくてすむと思って自分でしてしまう。
それでもまだ私は夫を結婚した当時から比べると大分、気質を改善した。
「男が買い物に行くのも男の沽券にかかわる」といっていたのを私は「単身赴任の男性は自分で買い物して自分で自炊している」といったら、夫は目からウロコだった。それからは私が頼んだ買い物をしてくれるようになった。
40代は夜も昼もなく働き、魚や肉類が買えなくて夫に頼むようになった。
そして60歳過ぎてからは手に握力がなくって重い買い物袋が持てない。
かさばる物などは夫に頼むようになった。
これでも私は夫を改善したと思っている。
けれど町の病院の看護師さん。共働きをしてきた中で夫の家事の役割分担をこなしてこられた。そんな人から見ると私は看護師さんからいわれる。
「ご主人を甘やかせてきたから、これはあんたの責任です」と。
なるほど-----。
こんな言葉を私より年輩の80代の高齢者婦人が聞くとどうなるのだろうかと思う。
ただ1人の80代の高齢者婦人はいわれた言葉がある。
「私、ご主人が亡くなりました。もう今は楽で足のすころがすうすうして自由に友だちと会ったりしています。さびしいことはありません。ものすごく楽になりました」と。
こんな人はごくごく少ないと思う。
夫がいて自分がいる。
2人でつつましくお互いに負担にならないように助け合っていきたいものです。
喧嘩していても夫が家にいれば安心です。
私が仕事に行く時は家の戸締りを気にせずにいけるのです。
これは別におのろけでも何でもありません。
年をとってくると戸締りにもだんだんしんどくなってくる。
何度も確認するのでしんどくなってくる。
やっぱり年をとりたくない。
若いときは夫の何もしないことを心に不満を持ちながら皆、自分で家のことを遣り通したのにこの頃はもうしんどいが先です。ふと言葉にでています。
さて休憩です。
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