今日、所用ができて外出しなければならない。
早く出て早く帰って来ないといけないな。
昨日、届いたある参加の会合、届いてから何がしを振り込まないといけないので銀行で何がしを引き出して振り込みをしないといけない。
抽選ということで駄目だったらそれでもいいと思っていたが参加できることになった。
準備する人は大変です。
イベントや会合の準備、若いときはせっせとしたが今は人が準備してくれたところに参加するだけでよいと思っている。だんだん大儀なことが面倒になってきた。寄る年端をひしひしと感じている。
民主党の鳩山由紀夫さん。今回の衆議院議員選挙に出場しないという。
昨日の夜、テレビのニュース速報のテロップで流された。
そして今朝もそのニュースが出ていた。
民主党が燃え始めていたころ、小泉政権時代だったか。郵政民営化で全国が刺客で走り回っていたころか。その前なのか。
その頃、午後の昼下がり、上本町から奈良行き特急に乗ったときに同じ電車に乗り合わせた。
まさか私の後方に灘波から乗っている人が鳩山由紀夫さんとは気がつかなかった。当時は民主党の党首だった。
携帯電話が入ってデッキに私は行った。
デッキに行くと黒い背広の男性2人が私の側に密着した。
それでも私は民主党の党首が電車に乗っているとは気がつかなかった。
用件の携帯が終わって自分の席に戻っていくと私の顔をじっと見ている人がいた。その視線に私はその方向を見るとなんと、鳩山由紀夫さんが座っていた。
それでやっと私は民主党の党首、鳩山由紀夫さんがこの電車に乗っていて秘書やSPなどたくさん乗っていて私の電話になにげなくさりげなく携帯の内容を聞きに来られたことがわかった。
別に何も悪いこと話していない。
編集局からその日の現場の内容を聞いて記事のスペースが大きくできるか小さくなるかの内容だった。少しだけ韓国語を話していた。
私は鳩山由紀夫さんに気がついた。
そのまま自分の席に座ろうとしたがもし万が一、誤解されてずっと監視されてもかなわんと思って鳩山由紀夫さんの前にいって挨拶をして私の仕事の名刺を出した。どこから名刺がでたのか私のもう目の前に鳩山由紀夫さんの名刺が出されていた。奈良まで一緒だったが私は名刺交換をした後、ずっと自分の席で夕刊紙を読んでいた。
鳩山由紀夫さんは奈良にこられて近鉄奈良駅前の行基菩薩の噴水前につけた選挙カーにのって民主党の政権をアピールしていた。
私は少しだけ演説を聞いていたがすぐにいきつけの喫茶店にいった。
真夏のことで日が長いので帰りもほんのひと時の休憩で立ち寄った。
民主党の政権に一般市民が期待を寄せ始めたころだった。
その政権が与党になって日本の政治を担ってきたが脆く崩れていこうとしている。政治の「いろはにほへと」が知なすぎたところもあった。
そうといって自民党の政権の作った様々な事柄に対して尻拭きをしてきたことも確かだった。原発事故も自民党のあいまいさで生じたものだ。
鳩山由紀夫さんは沖縄基地問題で失脚ということになった。
沖縄問題も自民党政権が作った負の遺産、日本の戦後、講和条約まで遡って研鑽しなければならないほど複雑そのものです。
素人の私には何がどう、これがこうとは何もいえない。
天皇・皇后両陛下が今、沖縄に訪問しておられる。
両陛下の沖縄の思い、私には計り知れない思いが沖縄にあるのだろう。
この天皇陛下が生まれた時、私の父親は5歳で渡日して京都市立小学校に在籍していた。やっと生まれた未来の天皇陛下に日本全国をあげて喜んだ。
京都市民たちも喜んだ。
男子誕生、未来の天皇の誕生に父親たち小学生は学校から提灯を持って御所まで提灯行列に参加した話をかつて昔、父親は話してくれた。
皇太子時代、結婚された頃、父親は話してくれた。
日本植民地時代を日本で過した父親の回顧だった。
そして沖縄県に訪問した天皇・皇后陛下、那覇市では5000人が集る提灯行列になったという。那覇市内に住む息子たち家族はどうしていたのだろうかとふと気になった。
私の父親が今の孫の年と同じ頃に今生天皇の生誕にお祝いの提灯行列に参加している。もし長生きしていたらこの那覇市の思いと自分の子どものころとどう重ね合わせていただろうか。
そんなことを思った沖縄訪問のニユースだった。
さてこれから身支度をして外出します。
早く出て早く帰って来ないといけないな。
昨日、届いたある参加の会合、届いてから何がしを振り込まないといけないので銀行で何がしを引き出して振り込みをしないといけない。
抽選ということで駄目だったらそれでもいいと思っていたが参加できることになった。
準備する人は大変です。
イベントや会合の準備、若いときはせっせとしたが今は人が準備してくれたところに参加するだけでよいと思っている。だんだん大儀なことが面倒になってきた。寄る年端をひしひしと感じている。
民主党の鳩山由紀夫さん。今回の衆議院議員選挙に出場しないという。
昨日の夜、テレビのニュース速報のテロップで流された。
そして今朝もそのニュースが出ていた。
民主党が燃え始めていたころ、小泉政権時代だったか。郵政民営化で全国が刺客で走り回っていたころか。その前なのか。
その頃、午後の昼下がり、上本町から奈良行き特急に乗ったときに同じ電車に乗り合わせた。
まさか私の後方に灘波から乗っている人が鳩山由紀夫さんとは気がつかなかった。当時は民主党の党首だった。
携帯電話が入ってデッキに私は行った。
デッキに行くと黒い背広の男性2人が私の側に密着した。
それでも私は民主党の党首が電車に乗っているとは気がつかなかった。
用件の携帯が終わって自分の席に戻っていくと私の顔をじっと見ている人がいた。その視線に私はその方向を見るとなんと、鳩山由紀夫さんが座っていた。
それでやっと私は民主党の党首、鳩山由紀夫さんがこの電車に乗っていて秘書やSPなどたくさん乗っていて私の電話になにげなくさりげなく携帯の内容を聞きに来られたことがわかった。
別に何も悪いこと話していない。
編集局からその日の現場の内容を聞いて記事のスペースが大きくできるか小さくなるかの内容だった。少しだけ韓国語を話していた。
私は鳩山由紀夫さんに気がついた。
そのまま自分の席に座ろうとしたがもし万が一、誤解されてずっと監視されてもかなわんと思って鳩山由紀夫さんの前にいって挨拶をして私の仕事の名刺を出した。どこから名刺がでたのか私のもう目の前に鳩山由紀夫さんの名刺が出されていた。奈良まで一緒だったが私は名刺交換をした後、ずっと自分の席で夕刊紙を読んでいた。
鳩山由紀夫さんは奈良にこられて近鉄奈良駅前の行基菩薩の噴水前につけた選挙カーにのって民主党の政権をアピールしていた。
私は少しだけ演説を聞いていたがすぐにいきつけの喫茶店にいった。
真夏のことで日が長いので帰りもほんのひと時の休憩で立ち寄った。
民主党の政権に一般市民が期待を寄せ始めたころだった。
その政権が与党になって日本の政治を担ってきたが脆く崩れていこうとしている。政治の「いろはにほへと」が知なすぎたところもあった。
そうといって自民党の政権の作った様々な事柄に対して尻拭きをしてきたことも確かだった。原発事故も自民党のあいまいさで生じたものだ。
鳩山由紀夫さんは沖縄基地問題で失脚ということになった。
沖縄問題も自民党政権が作った負の遺産、日本の戦後、講和条約まで遡って研鑽しなければならないほど複雑そのものです。
素人の私には何がどう、これがこうとは何もいえない。
天皇・皇后両陛下が今、沖縄に訪問しておられる。
両陛下の沖縄の思い、私には計り知れない思いが沖縄にあるのだろう。
この天皇陛下が生まれた時、私の父親は5歳で渡日して京都市立小学校に在籍していた。やっと生まれた未来の天皇陛下に日本全国をあげて喜んだ。
京都市民たちも喜んだ。
男子誕生、未来の天皇の誕生に父親たち小学生は学校から提灯を持って御所まで提灯行列に参加した話をかつて昔、父親は話してくれた。
皇太子時代、結婚された頃、父親は話してくれた。
日本植民地時代を日本で過した父親の回顧だった。
そして沖縄県に訪問した天皇・皇后陛下、那覇市では5000人が集る提灯行列になったという。那覇市内に住む息子たち家族はどうしていたのだろうかとふと気になった。
私の父親が今の孫の年と同じ頃に今生天皇の生誕にお祝いの提灯行列に参加している。もし長生きしていたらこの那覇市の思いと自分の子どものころとどう重ね合わせていただろうか。
そんなことを思った沖縄訪問のニユースだった。
さてこれから身支度をして外出します。
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