インド映画のソフトが続々発売されている、というのは、この間もお伝えした通りです。公開作品のソフト化以外にも、DVDスルー作品と言って、公開されないけれど日本版DVDになって発売される、という作品も年に何本かあります。そしてここ数年、在日インド人の方が開催する映画祭からも、ソフト化作品が出るようになりました。今回ご紹介する『ウスタード・ホテル』は、「インディアンムービーウィーク2019」で上映された作品です。2012年製作のマラヤーラム語映画なのですが、少々前の作品でもこの映画祭で上映されるだけのことはある、と観客をうならせた名作でした。公開作となってもいいぐらいの質の高い作品なので、DVD化された機会に、少し詳しくご紹介したいと思います。まずは、映画のデータからどうぞ。
『ウスタード・ホテル』
2012年/インド/マラヤーラム語/151分/原題:Ustad Hotel
監督:アンワル・ラシード
出演:ドゥルカル・サルマーン、ニティヤ・メーノーン、ティラカン、シッディク、マームッコーヤ
<DVD発売データ>
提供:SPACEBOX
発売元:フルモテルモ
販売元:ハピネット・メディアマーケティング
発売日:2020年9月2日
物語は、主人公のファイジことファイザルが生まれる前から始まります。ここは南西インドケーララ州のカリカット。商売人のラザク(シッディク)は新婚の妻が妊娠したので大喜び。彼の夢は生まれた息子に「ファイザル」という名前を付け、「ファイジ」と愛称で呼びながら大きくし、ゆくゆくは息子と共に自分の事業を広げていくことでした。でも、生まれたのは女の子。それも4人続けて女の子が誕生してしまいます。ラザクは5人目を妊娠している妻を置いてドバイに働きに行き、その留守に妻は待望の男の子を出産するものの、続けての妊娠と出産で体を壊し、亡くなってしまいました。妻の死後、ラザクは5人の子供たちを連れてドバイで暮らすようになり、事業も大成功、やがて成長したファイジ(ドゥルカル・サルマーン)を残して姉たちは結婚してしまいます。MBAを取るために海外留学を、と強いる父に対し、ファイジは海外に行ったものの、シェフになる勉強をして、父がカリカットに建てた豪邸に帰国することに。ところがそれを告げるヒマもあらばこそ、ファイジは大金持ちで家柄のよい娘シャハーナ(ニティヤ・メーノーン)とお見合いをさせられてしまいます。ファイジがシェフ志望とわかってこのお見合いはおじゃんになるのですが、その時相手側の親族から聞こえてきた言葉が、「やっぱりコックの息子だからな」「料理人の家系じゃ無理だ」というものでした。これこそ父ラザクが一番気にしていた言葉で、ラザクの父はカリカットの海岸で「ウスタード・ホテル」という食堂を営む料理人カリーム(ティラカン)だったのです。父とケンカしたファイジは祖父カリームのもとへ行き、西洋世界で有名シェフになりたいという夢を抱いたまま、そこを手伝うことになります。店の支配人的存在ウンマル(マームッコーヤ)ら従業員に接し、「ウスタード・ホテル」名物のビリヤニ(炊き込みご飯)や祖父が淹れてくれるスレイマニ・ティー(ブラック・ティー)を飲んで暮らすうちに、ファイジの心はいろいろ揺れていきますが....。
「ホテル」はインドでは、「宿屋」のことも意味しますが、「食堂、レストラン」もまた「ホテル」と呼ばれます。そんなわけで「○○ホテル」は町のあちこちにあり、ニューデリーではコンノートプレイスにあるカケダ・ホテルなども、おいしい庶民の味を提供するレストランとして知られています。「ウスタード」は元々ペルシア語で、「師匠、先生、親方」といった意味になります。というわけで、「ウスタード・ホテル」は「シェフの食堂」といったようなネーミングになるわけですね。
本作の主人公は、祖父のカリームです。最初の部分ではシルエットとかでチラと出てくるだけですが、ファイジがウスタード・ホテルに行ってからは、作品の芯となるカリームが大きな存在感を発揮し、物語がぐっと面白くなります。演じているのは、1935年生まれで、撮影当時すでに75歳を過ぎていたベテラン俳優のティラカンですが、そのチャーミングさは見る人を引きつけずにはおきません。脚本もよかったのでしょうが、この俳優ティラカンなしでは本作は成立しなかったと思われるぐらい、存在感とその豊かな表情で観客を魅了します。残念ながら、『ウスタード・ホテル』が公開された2012年6月29日からしばらくして、同年の9月24日に77歳で亡くなってしまうのですが、このおじいさんのいるあの海辺の食堂に行ってみたい!と思った人が、世界中にいっぱいいたに違いありません。生涯に約300本の作品に出演した、大ベテランでした。
(テルグ語吹替版ポスター)
そして、ドゥルカル・サルマーンとニティヤ・メーノーンという人気カップルも、安定の演技を見せてくれます。ドゥルカル・サルマーンはマラヤーラム語映画の大物俳優マンムーティの息子で、日本でも主演作『チャーリー』(2015)が公開されていますが、『ウスタード・ホテル』は彼のデビュー2作目となります。母語のマラヤーラム語映画を中心に、タミル語、テルグ語、ヒンディー語などの作品にも出ていますが、ヒンディー語映画ではいまだブレイクならず。まあ、まだ34歳なので、全インド的スターになるまでがんばってもらいましょう。ニティヤ・メーノーンは彼よりも早く、2006年にデビューしており、バンガロール生まれなのですが母語はマラヤーラム語で、マラヤーラム語映画だけでなく、タミル語、カンナダ語、テルグ語と南インドの諸言語の映画に引っ張りだこ。昨年は、ヒンディー語映画『Mission Mangal(火星探査計画)』にも出演していました。この二人の共演作は、日本でも2015年の第28回東京国際映画祭で上映された『OK Darling』(2015)などがあるのですが、マニラトナム監督作品だったのに日本公開までには至っておらず、ちょっと残念です。まずは『ウスタード・ホテル』で、二人の魅力を知ってみて下さい。
あと、インドの食文化に興味のある人には、思わず前のめりになってしまうようなシーンがいっぱいあります。ファイジが修行していたパン作りのあのパンは、ケーララでは何と呼ばれているのでしょう? 登場人物の名前からわかるように、主人公たちはムスリム(イスラーム教徒)なのですが、アラブ世界と距離的にも(海を隔ててお隣さん)心情的にも近いカリカットのムスリム・コミュニティの描写も興味深く、この1本からいろんな世界が広がっていく秀作です。安宅直子さんの上手な字幕で、ぜひ楽しんで下さいね。最後に、予告編を付けておきます。そうそう、アマゾン沼の通販サイトはこちらです。ティラカン演じる祖父カリームのラストシーンも、見る者に勇気を与えてくれてステキですよ~。
ウスタード・ホテル 予告編
インディアンムービーウィークです。この度はご紹介くださいまして、誠にありがとうございました<(_ _)>
本文中には書きませんでしたが、実は字幕を担当なさった安宅直子さんからDVDを頂戴しまして。
普段は全部自費で買うのですが、ご苦労なさった字幕の記念作ということで、ありがたく頂戴しました。
今度のIMWでも、安宅さんを中心とした字幕翻訳者の皆さんや、宣伝その他の事務局の皆さんが、いつも以上にがんばっておられるようですね。
困難の多い今の時期ですが、インド映画ファンはみんな大きな期待を寄せていますので、がんばって下さいませ。
公式サイトの充実化等、また9月11日までにこのブログでご紹介する予定です。