7月に公開されるインド映画『裁き』の登場人物を追いかけるシリーズ、今回は弁護士にフォーカスします。名前は、ヴィナイ・ヴォーラー。まずは、予告編を見ていただきましょう。
ある歌手が裁判にかけられ…!映画『裁き』予告編
予告編の最初、警察署のシーンで手前に座っているのが、下の写真の右側、ヴィナイ・ヴォーラー弁護士です。
上の写真をご覧になっておわかりのように、きちんとなでつけた髪に知性的なメガネを掛け、口ひげとあごひげをたくわえてはいますが、むさ苦しいと言うよりはモダンな感じがする顔つきです。法廷なので白いワイシャツに黒い上着姿、そしてワイシャツのカラーの下には、イギリスの法廷弁護士の伝統を受け継ぎ、ネックバンドと呼ばれる白いリボン状のものをしています。ネックバンドは左の女性検事も着用していて、これが法服の代わりとなるようです。
ヴォーラー弁護士の初登場は予告編の最初のシーン、民衆詩人ナーラーヤン・カンブレが不当逮捕された日の夜警察署に事情を聞きに行くシーンで、見ている側は「カンブレはダリト(被差別カースト)の活動家なのに、ちゃんと弁護士がついていてくれるんだ」と安心します。ただ、警察の捜査官に対するヴォーラー弁護士の態度が大人しいのには、大丈夫かなあ、という気がすることも事実です。
続いて裁判所での第1回公判シーンでは、この事件が裁判所でどのように処理されるべきか、ということが決められるのですが、ヴォーラー弁護士は裁判長の「保釈は不可の案件だ」という言葉に、「裁判長の裁量で保釈をお願いします」と食い下がったものの、「いや、裁判に付すべき案件だな」と押し切られてしまいます。そこまでのヴォーラー弁護士のイメージは、物静かで、押しがあまり強くない人、という感じです。少々メタボ気味の体型や、ワイシャツのダサい着方も、誠実だけど何だかトロそうな印象を与えます。
そんなヴォーラー弁護士ですが、続いてのムンバイ報道協会での講演では明晰な口調で、警察によるでっち上げ事件と、別件を口実にした再逮捕の連鎖について語っていきます。それまでの鈍重そうなイメージを打ち破る、弁護士としての面目躍如たるシーンです。ところが、「いいね!」と思っていると、彼の話が佳境に入ったところで邪魔が入ります。報道協会の職員らしい人がスタンド型の扇風機を持って入ってきて、聴衆に向けてそれを演壇に据え付け始めるのです。冷房が故障でもしていたのでしょうが、ヴォーラー弁護士の講演は中断を余儀なくされ、会場の緊張感は緩んでしまいます。茶番みたいなこのちん入劇、見ている方も苦笑せざるを得ません。監督はどうも、「抑圧された者の味方である、人権派弁護士」というヒーロー像を描くつもりは、まったくないようです。
そして、続くシーンがまたまた180度のイメージチェンジ。それまでは、「清貧の人で、貧しい人の味方」と思いながら画面上で見ていたヴォーラー弁護士が、何と高級食品スーパーでお買い物をするのです。ムンバイにもいろいろスーパーがあって、庶民的なものには、ショッピングモールによく入っている「ビッグ・バザール」や、いかにも地元スーパーという感じの「アプナー・バーザール(自分のお店)」などがあり、中流クラスの人たちで賑わっています。貧しい人たちは露天のマーケットや小さな商店でお買い物をしますが、中流の人たちも時にはそういった所に足を向けます。一方お金持ちの人たちは、サーバントに買い物に行かせる時は庶民的スーパーや露天のマーケットに行かせ、自分たちで買い物に行く時は上のような高級食品スーパーに立ち寄るのです。
私も2、3度、ムンバイのマハーラクシュミー寺院の近くにある高級食品スーパー「ネイチャーズ・バスケット」に行ったことがありますが、今年3月にちょっとしたお買い物をした時も、その値段の高さに仰天したのでした。レシートを見てみると、ヨーグルトが1個38ルピー(約65円)、チョコマフィンが1個99ルピー(約170円)、お総菜として売っているチキンの小ぶりの肉団子が1個90ルピー(約150円)と、日本並み、いやそれ以上の高さでした。合計額は433ルピー(約740円)だったのですが、ムンバイでの金銭感覚で言うと、4,000円ぐらい使った、という感じです。そんなお店でヴォーラー弁護士は、冷蔵棚の食品やチーズ、ペリエの瓶入りウォーターなどをいくつも、手慣れた感じで無造作にバスケットにほりこんでいきます。最後には何と、ワインまで! 日本で言うと、スーパー紀ノ國屋で1万円超お買い上げ、に近いでしょうか。相当お金持ちだということがわかり、それとダリトの人たちの弁護を引き受けることがどうにも繋がらない感じで見ている方は混乱します。
その後も、裁判での弁論や被告の無罪の証拠集めなど、ヴォーラー弁護士の誠実な仕事ぶりを挟みながら、こちらで紹介した裕福な実家の生活や、ダブルデート風に友人たちとこじゃれたバーに行ったりする彼のオフの姿が描写されます。見ている側のヴォーラー弁護士に対する評価は、映画の進行に従って、あちらこちらと揺れ動くことになります...。
本当に上手な脚本で、エピソードを積み重ねることによって観客を翻弄しながら、『裁き』の場に参集する人々がどんな背景を持っているのかを多面的に見せてくれます。特にヴォーラー弁護士のパートでは、小さなどんでん返しが何度もあって、プラス評価とマイナス評価が入り乱れます。このあたりの面白さは、二度目に見てやっとわかったのですが、全部計算し尽くされて脚本が書かれているとしたら、脚本も担当したチャイタニヤ・タームハネー監督はタダモノではありません。撮影当時27才だったとは思えない、策士ですね。
そして監督のこの策が功を奏している一因が、前回のナーラーヤン・カンブレの所でも触れたように、人物造形の巧みさです。今回、この一見地味な金持ち青年弁護士を演じているのは、ヴィヴェーク・ゴーンバル。彼は本作のプロデューサーでもあるのですが、元々テレビドラマやインディーズ系作品にいろいろ出演してもいる俳優なので、本作でも出演を兼ねたのでしょう。チャイタニヤ・タームハネー監督とは演劇を通じて知り合い、本作の企画に賛同して製作費80万ドル(約8800万円)を拠出、製作会社ZOO Entertainmentも立ち上げました。下の写真、左側が素顔のヴィヴェーク・ゴーンバルです。
右のような巧みな扮装でヴォーラー弁護士を作り上げたヴィヴェーク・ゴーンバルですが、素顔と比べてみると、その化け方のうまさに拍手したくなります。体重もかなり増やしたそうで、スポーツジムによく通っていそうな素顔からは想像できない、メタボ弁護士ぶりでした。『裁き』の公式サイトには、上左側の写真とはまた別の素顔がアップされています。ぜひ覗いてみて下さいね。ジェームス・ディーンばりのカッコ良さです。また、こちらには、2015年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で監督と一緒に来日した時の、梁木ディレクターによるインタビューの様子がアップされています。かわいい高校生みたいなチャイタニヤ・タームハネー監督に、イケメンのモデルと言っても通るヴィヴェーク・ゴーンバル・プロデューサー。こんな2人のとんでもない仕事ぶりを、ぜひお見逃しなく!