アジア映画巡礼

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『マルガリータで乾杯を!』カルキ・ケクラン・インタビュー(上)

2015-10-21 | インド映画

いよいよ今週土曜日、10月24日から、インド映画『マルガリータで乾杯を!』が公開されます。詳しい公開情報は公式サイトをご覧いただきたく思いますが、現在発売中の「キネマ旬報」P.110には、ショナリ・ボース監督(下写真)へのインタビューが掲載されています。

 

そのボース監督の前日にインタビューさせてもらったのが、主人公の脳性マヒの女子大生ライラを演じたカルキ・ケクラン。今回は2回にわたって、彼女とのインタビューをお伝えしましょう。カルキは1984年1月10日インドのポンディシェリー生まれ。両親はフランス人で、南インドで大きくなった人です。

Q:イギリスで演劇の勉強をして、俳優として活動なさっていたのに、なぜインドに戻って俳優になろうと思われたのですか? 

カルキ:私はインドで生まれたので、インドが私の故郷なの。兄や両親もインドに住んでいるし、故郷のインドに戻って働くというのはごく自然の成り行きだったのよ。 

Q:お生まれは南インドで、タミル語圏で成長なさったんですよね? 

カルキ:そう。南インドのタミル語の地域で大きくなりました。 

Q:タミル語映画界ではなくて、どうしてヒンディー語映画界で活躍なさるようになったのですか?

カルキ:それは偶然そうなったの。特にボリウッドで働こうと思っていたわけではなく、それまで訓練を受けていた舞台俳優の仕事がしたいと思って探していたら、ムンバイのある劇団で仕事がみつかったんです。アトゥル・クマール(Atul Kumar)の劇団で、「カンパニー・シアター(Company Theatre)」という、そのものズバリの名前の劇団よ。その後も、いろんなオーディションを次々と受けたの。映画のオーディションもあれば、テレビのオーディションもあったりして、それで徐々に映画界で働くようになったわけ。でも、その頃は誰も、私がタミル語を話せるとは知らなかったのよ。タミル語映画界からオファーが来るようになったのは最近、ここ2年ぐらいね。とはいえ、まだ興味を引かれる作品がなくて。 

Q:最初の出演作は『デーヴD』(2009)でしたね。あの作品はとてもユニークでしたが、最初に映画にお出になってどうでしたか? 

カルキ:仕事が来たのが嬉しくて興奮した、というのが正直なところ。最初の映画って、ただただ「ワォ」という感じでしょ? 私にとって大変だったのは、それがヒンディー語の映画だったこと。その頃はまだ、南インド出身の私のヒンディー語はひどいものだったので、2ヶ月間にわたって、家庭教師にヒンディー語を特訓してもらいました。
それから、カメラの前で演技するのも初めての経験だったので、知らないことばかりだった。ロングショットならそれがどう写るのか、ということを理解するために、膨大なエネルギーを使う必要があったわ。
もちろん、脚本も気に入ったし、役柄も気に入ったんだけどね。古典的な物語である「デーヴダース」を現代的に解釈する、という、大変オリジナルな試みでしょ。幸運だったのは、監督のアヌラーグ・カシャプが私を生かすキャラクターを考えてくれたこと。憶えているでしょ、私が映画の中で、タミル語、フランス語、英語をしゃべる娼婦、という設定になっていたこと。 

Q:新しい解釈の「デーヴダース」ですが、あなたの役チャンダーは、以前のヴァイジャヤンティマーラーやマードゥリー・ディークシトが演じた娼婦チャンドラムキと重なるところがあって、オーソドックスな面も見えて面白かったです。 

カルキ:そうなのよ、あの役はヴァイジャヤンティマーラーやマードゥリーといったボリウッドの大女優がやってきた役でしょ。でも私が言われたのは、彼女たちと同じじゃダメだ、ということだった。この映画を『デーヴダース』だと思っちゃいけない、今のインドのお話なんだ、と言われたの。だから以前の映画をまねしたりしなかったし、映画自体もラストが全面的に変えてあるでしょ。『デーヴダース』のお話は、最後に主人公のデーヴダースが死ぬけれど、『デーヴD』では希望を持たせるラストになっているわ。 

Q:ラストシーンは、グル・ダットの『渇き』みたいでしたね。 

カルキ:私の大好きな映画! 『渇き』は大好きなヒンディー語映画の1本よ。『デーヴD』でも、最後は二人で去っていく形でしょ。 

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and Ishaan Talkies

Q『マルガリータで乾杯を!』は脚本を読んですぐに「やりたい!」とおっしゃったそうですが、どこに一番惹かれましたか? 

カルキ:それは、脚本を読み終わると同時に疑問がいっぱい出てきたこと、かしら。もし私が何でも知っていたら驚きもしなかったと思うけど、こういう分野は私にとって未知の分野だったの。障がいについては知っていたけれど、障がい者の性の問題についての映画なんて、聞いたことがなかったし、考えたこともなかった。だからこそ、私にはすごいインパクトがあったのよ。私はこんなに疑問だらけなのに、劇中の人物はそれを何も疑問に思っていない。これって、とても興奮するような、これまでにないユニークなテーマじゃない、と思ったわけ。 

Q:準備段階で、監督とはどういう話をしましたか? 

カルキ:すごくたくさん話をしたわ。まず、障がいのある人を正確に描かないといけないということがあった。監督の従妹のマリニは障がい者なので、私は彼女と一緒に長い時間を過ごしたの。彼女は素晴らしい人で、私を自分の生活の中に受け入れてくれた。彼女の日常を辿らせてくれて、家に一緒に住まわせてくれた。私たちは一緒に出かけてお酒を飲んだり、映画を見たりしたわ。彼女の職場にも行ったし、彼女が身体療法士や発声療法士の所に行くのにも付いていった。
だから、外で彼女がどういう風に見られて、どういう風に扱われるのかということもよくわかった。彼女は自宅にいる時のくつろぎを、外では得られていない。いくら周囲の人が理解があってもね。彼女はADAPTという障がい者センターで働いていて、同僚はみんな障がい者だから問題は起こらない。でも、インドでは、外で障がい者を見かけるというのはまれなの。街は段差がいっぱいあるし、障がい者にはやさしくない。こういうことは頭ではわかっていたし、本もいっぱい読んで、筋肉の動きとかも理解してたんだけどね。
本当に、実際にやってみないと何事もわからないのよね。訓練は1日おきにあって、肉体の動きがどうなっているのか、とかがわかるようになってきた。そして、マリニが何よりも私に教えてくれたの。ある日私たちは車椅子に乗って、揃って外出した。最後にさようなら、と言ったらマリニは、「1日が終わればあなたは車椅子から立ち上がり、歩いて行ける。それが私とあなたの違いね」と言ったの。
それを聞いて私は、ずっと車椅子生活を続けてみることにした。ズルを一切しないで、四六時中ライラになること。それをやってみて、映画にとても役立ったわ。フラストレーションも感じたしね。だって、ほとんどの人が私を本当の障がい者だと思って見るし、そのように扱おうとしたんだから。 

Q:マリニさんはどういう女性でした? 

カルキ:彼女はライラそのものだったわ。とっても明るくて、いたずら好きで、生きる楽しさを知っている人。絶えず前に向かって進む人ね。恋に憧れを抱いてて、ミルズ&ブーン社のロマンス小説なんかよく読んでいるの。そして、障がいを持つ女性の性行動について書いたりもしている。とても情熱的だけど、同時にシャイでもある。
彼女は人が自分をどのように見るのかがよくわかっていて、それにいらだつこともあるけれど、同時にとても謙虚なの。協調性があって、いつも接する人をリラックスさせようとしてくれる。彼女に接する人がちょっと神経質になっていると、冗談を言ったりして和ませようとしてくれる、そういう人なの。 

Q:障がい者としての演技は、彼女をかなり参考にしたのですか? 

カルキ:大部分はね。でも、彼女をまねしたり、コピーしたりはしなかった。というのは、障がい者の人って、みんなそれぞれに違っているの。同じ人なんて絶対にいない。ライラを作り上げる時、マリニの障がいとか話し方や動き方は参考にはしたけれど、それはマリニのコピーではないわ。私は障がい者の人をたくさん見て、ライラを作り上げた。でも、マリニの態度というか、どういう風に微笑むかとか、笑うのかとか、そういうのはまさにマリニよ。
とはいっても、私はマリニを丸々コピーしたわけではなく、私なりの習慣--いや、習慣じゃないわね、身体的動きとでも言うか、う~ん、説明しにくい...。あなたがもしミュージシャンだとしたら、いちいち考えて演奏したりしないでしょ? それはもう身体の一部になっていて、体が記憶している。そういうやり方にしていったの。何度もやるうちに、体が憶えていくわけね。だから、撮影が終わってから出かけた時に、無意識にコップをこんな風に(と、ライラがやるようにコップに手をかぶせて持つしぐさ)持ってしまってたの(笑)。自分の生活の一部になってしまってたのね。 


Q:ライラという女性のキャラクターに関してはどう思われますか? ほんとにフツーの女の子みたいで、恋もするし、振られたらもう大学にいたくない、とわがまま言うし。 

カルキ:それがこの映画の脚本が素敵なところよね。普通障がい者が主人公の映画と言ったら、主人公のキャラクターは天使みたいで完璧な人、と決まっている。どの主人公もすごい人ばかり。障がい者で有名な人、ホーキング博士やクリスティ・ブラウン(『マイ・レフトフット』の主人公)の映画がそうよね。私たちはごくごく普通の障がい者が主人公の映画って、見たことがない。
だから、この映画は見てるととても新鮮に感じると思う。ライラは完璧じゃないし、いたずら好きで、ずうずうしくて、気まぐれだから、しばらく見てるうちに観客は彼女の障がいを忘れてしまう。普通の十代の女の子と、彼女の感情の動きを見ているつもりになってしまうのよ。そこがこの映画のいいところなの。
つまり、障がい者だって、ほかの人と同じように見るべきなのよ。だって、私たちも、みんなそれぞれ不自由なところを持っているわけでしょ。人それぞれに限界があるんだし、生きていく上でそれにどう対していくか、というのは同じじゃない?

※(下)に続く。


 


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