「インド映画♪脇役賛歌」今回は、『きっと、うまくいく』のドゥシャント・ワーグ君の登場です。以下はネタバレにもなりますので、まだ映画をご覧になっていない方は、観賞後にお読み下さい。
ドゥシャント・ワーグという名前を聞いても、ピンと来ない方が多いでしょう。まだ映画での活躍は少ないのですが、『きっと、うまくいく』のラダックの小学校シーンで登場した、成長版「ミリ坊主」を演じたのが彼です。そう言うと、ピア、ラージュー、ファルハーンの3人をランチョーの部屋に連れて行き、3人にゆかりの品々を見せて説明するチョッキ姿の彼がすぐ浮かんでくると思います。
ドゥシャント・ワーグは1987年1月23日ムンバイ生まれ。映画撮影時は21歳でした。インタビューはある偶然から実現したのですが、それは最後に書いておきます。インタビューが行われたのは本年3月14日。ムンバイのジュフーにあるホテル・サン&サンズのレストランでした。すっかりハンサムな若者となったドゥシャント・ワーグとのインタビュー、長くなってしまったので2回にわけて掲載します。
Q:映画界に入ったきっかけは何だったのですか?
ドゥシャント:僕は、バルマン・ヴィディヤ・マンダル学校で学んだんですが、そこにヴィディヤー・パトワルダンという先生がいらしたんです。彼女はヒンディー語映画界、それから特に地元の言語であるマラーティー語の映画界にコネがあって、知り合いが多かったんですね。そのパトワルダン先生がある日学校で、「マヘーシュ・マンジュレーカル監督が映画を撮るので、子役を捜しているのよ。やってみる?」と声を掛けて下さったんです。俳優なんてやったことがなくてちょっと迷ったんですが、やってみようと思って映画に出ました。このマヘーシュ・マンジュレーカル監督の作品が僕のデビュー作です。
Q:何という映画だったんですか?
ドゥシャント:『君と僕は一緒にいよう(Tera Mera Saath Rahen)』という映画です。2001年の秋、ディワーリー祭の時に公開されました。
Q:初めての俳優体験はどうでした?
ドゥシャント:素晴らしかったです。主役はアジャイ・デーウガンで、ソーナーリー・ベーンドレーとナムルター・シロードカルも出演していました。マヘーシュ・マンジュレーカル監督との仕事は、とてもいい経験になりました。
Q:どんな役だったんですか?
ドゥシャント:僕の役は、身体障害者の少年でした。アジャイ・デーウガンが演じた主人公の弟で、両親はすでに亡く、兄弟だけで暮らしている、という設定です。兄の方は、弟の面倒を見るのが自分の役目だと思っているし、弟にとってはお兄さんが世界のすべてなんですね。障害があって、外の世界との接触があまりない、とても恥ずかしがり屋で内気な少年、という役でした。
(主題歌のシーンはこちら。幼いドゥシャント君の達者な演技が見られます)
Q:それですっかり、演技することの虜になった、というわけですか?
ドゥシャント:そう言えますね。とは言え、当時は学校の生徒だったので、学校を卒業することがまず第一でした。卒業してから、俳優を本格的に目指してみてもいいんじゃないか、と思うようになったんです。
Q:『君と僕は一緒にいよう』のあとは、どんな作品に出演したのですか?
ドゥシャント:この映画を撮ったのは8年生の時で、その後卒業までの間に、自分の母語であるマラーティー語の映画に何本か出ました。母語の映画の方がやっぱりやりやすいですし、勉強との両立にも負担になりませんでしたから。この期間に、4本のマラーティー語映画に出ました。あとテレビドラマにも出演したので、卒業する頃にはマラーティー語の俳優としては認知されていました。
Q:『きっと、うまくいく』の役には、どうやってキャスティングされたのですか?
ドゥシャント:『君と僕は一緒にいよう』でデビューしたあと、オーディションを受けたんです。それはVVC映画社、つまり『きっと、うまくいく』のプロデューサーであるヴィドゥ・ヴィノード・チョプラ氏の会社の映画で、『その調子で、ムンナ・バーイー(Lage Raho Munna Bhai)』(2006)という映画の出演者オーディションでした。残念ながらその時僕は選ばれなかったんですが、スタッフからこう言われたんです。「君の経歴書はこちらにあるし、君と面識もできたから、いつか電話するよ」
そして3年後、VVC映画社から電話がかかってきて、「今、『きっと、うまくいく』という映画を製作中で、小さな役なんだけど、とても重要な役があるんだ。やってみる気はあるかい?」と言われました。「もちろんです!」と僕は答えたわけです。こんなすごい作品に出られるなんて、と嬉しかったですね。
Q:それで、ラダックのロケに参加したわけですね。ラダックでのロケはどのぐらい、撮影期間がかかったのですか?
ドゥシャント:僕の撮影は2回にわたっていて、最初のは7日間、2回目は5日間でした。というのも、ラダックは天候が悪くて、最初の時撮影が順調に行かなかったんです。だから撮り直しに行ったんですが、最初の時は移動も含めると7日間、後の方は5日間かかりました。ただ、撮影隊自体はラダックに1ヶ月半ほどいたのでは、と思います。
Q:ラダックの撮影はどうでした?
ドゥシャント:場所そのものが素敵な所でした。自然の景観がすごかったですね。ラダックの中心地レーから、ラストシーンを撮影したパンゴン湖までは7時間半かかります。もちろんヘリコプターで飛んでも行けますが、撮影隊は陸路を辿って行ったんです。その7時間半は、忘れられない旅になりました。途中でチャングラ峠を越えるんですが、17.800フィートだかあって(注:5360m)、そこを越えたらまた下りになるんです。すごい光景でした。
それに僕、生まれて初めて雪を見たんですよね(笑)。素晴らしかったです。
撮影隊はロケ地に到着すると、丸1日休みを与えられたんです。酸素が薄いので、体を慣らすためですね。1日休みをもらえた僕らは、その辺を見て回りました。と言っても、そんなに見る所もないんです。なぜならそこは軍の管轄地なので、自由にウロウロすることはできないんです。でも、景色はすごかったですよー。
ⓒVinod Chopra Films Pvt Ltd 2009. All rights reserved
Q:アーミル・カーンさんはどんな方でした?
ドゥシャント:僕は一度しか会ってないんです。残念なことに、アーミルSirと一緒に出るシーンはなかったんですよね。でも、2回目の撮影に行った時、出番が終わって僕がもうムンバイに戻るという日にアーミルSirがラダックにやってきたんです。僕は夕方にホテルをチェックアウトすることになっていたんですが、アーミルSirが着いたという知らせを聞いて会いに行きました。「ご一緒に仕事ができて嬉しかったです。残念ながら同じシーンに出ることは叶いませんでしたが」と言ったらアーミルSirがすぐ、「違うよ、君はクライマックスのシーンに出てるじゃないか」と言ってくれたんです。
あと、1回目と2回目の撮影は実は7ヶ月の間が空いていて、僕の外見がちょっと変化していたんですね、成長しちゃってて。それだと、前との繋がりがうまくいかないかも知れない。ラージクマール・ヒラニ監督からは、「あんまり違って見えると、君のシーンをカットせざるを得ないね」と言われていたんです。そのことをアーミルSirに言うと、「それは残念だね。でも、気にしないで。僕らはまた一緒に仕事しようよ、近い将来にね」と言ってくれたんです。アーミル・カーンにそう言ってもらえるなんて、すごいことじゃないですか。その時はヒンディー語で言うと、「第七天国に舞い上がった」という感じでしたね(笑)。
とても率直な人で、全然偉そうにしない人です、アーミルSirは。
(つづく)
驚きました。
そして歓喜!すばらしい!
ありがとおおおございます。
短い出演でしたが胸がいっぱいになるシーンでした。
こ、こんな美男子になって!!
後半が待ちきれない!
わわわ!素晴らしいインタビューありがとうございます(≧▽≦)
「きっと、うまくいく」キャスティングといい、撮影そのものといい、じっくり制作してることが分かって大変興味深かったです。
後編も楽しみにしています(^o^)
先日のシネマート新宿では失礼しました~。『恋する輪廻』のマサラ上映の時にご一緒だったお仲間の方にも紹介していただき、ありがとうございました。「締めの三三七拍子!」をやって下さった方、お若いですねー。次世代インド映画ファンを増やして下さって心強いです。
ドゥシャント君、そうなんですよ~、美男子になってしまってて、あの素朴な青年と同一人物とは思えませんでした。後半の最後には、彼と私を結んでくれた人物も登場します。お楽しみに~。
後編は明日ぐらいになると思いますので、ちょっとお待ち下さいね~。後半でも、ロケの話などが出てきます。あと、彼が今出演しているテレビドラマの話なども。お楽しみに!