ずーっと前の記事に、「私の2010年インド映画一押しベストワンは....。それはまた今度」とか書いておきながら、「今度っていつやねん!」状態になっていました。あれから5ヶ月(汗;;;)、今日はその映画のお話をちょっと書いておきたいと思います。
私の2010年一押しベストワンはこの作品でした。
『願い』 (2010/原題:Guzaarish グザーリシュ/ヒンディー語・英語)予告編
監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー
主演:リティク・ローシャン、アイシュワリヤー・ラーイ
<物語>
ゴアの古い館に住むイーサン・マスカレーニャス(リティク・ローシャン)は、マジシャン時代の14年前の事故がもとで、首から下がまったく動かなくなっていた。それでも彼はFMラジオのDJをつとめ、その明るい口調と前向きな考え方でリスナーに勇気を与える存在だった。彼の身の回りの世話一切は、12年前から美しい看護師ソフィア・デスーザ(アイシュワリヤー・ラーイ)が引き受けていたが、彼女は通いではあるものの、他の使用人にも頼られてイーサンの家にはなくてはならない人となっていた。そんな一見充実した生活を送っているように見えたイーサンだったが、ある時顧問弁護士のデーヴヤーニー(シェールナーズ・パテール)を呼んで「お願いがあるんだ」と切り出す。その願いとは、「裁判所に請願を出してほしい、僕が死ぬための請願を」という驚くべきものだった。自殺のできないイーサンは、自分を尊厳死させてくれることを望んでいたのだ。同じ頃、イーサンの所にマジシャン志望という青年オマル(アーディティヤ・ラーイ・カプール)が現れる。オマルの本当の目的は? イーサンの請願は裁判所で承認されるのか? 不穏な空気をはらみながら、物語は少しずつ進行していく....。
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<物語>を読んでいただければおわかりのように、非常に特異なストーリーの作品です。首から下が動かない人が雄々しく生きていく、というストーリーなら、『潜水服は蝶の夢を見る』などにも通じる感動のドラマになるのですが、それに尊厳死の問題がからんでくるのです。イーサンがなぜ尊厳死を望むのか、という点については、彼の日常生活を描いて見せることと、それと対比するかのようにマジシャンとして活躍していた姿を何度か挿入することで、ある程度伝わってきます。マジシャン時代のイーサンは、イリュージョニストと言った方がいいような数々のマジック・ショーを行い、空中に浮揚することも朝飯前だったのです。そんな重力からさえも自由だった肉体が、今はまったく自分の思い通りにならない。どんなにソフィアが尽くしても、それすらも彼にはもどかしい。時にはソフィアを苛みたくなったりするイーサンの心情を、リティク・ローシャンが顔と声だけで見事に表現しています。
それまでほとんど館の中だけで進行していた物語が、突然たががはずれたように開放されるシーンがあります。裁判所が判断を下すにあたって、イーサンの陳述を聞くために彼を出廷させるシーンで、イーサンは久しぶりに外出するのです。オープンカーでゴアの町を走り、裁判所では下の写真のように多くの支持者やジャーナリストに囲まれるという、彼の静かな日常生活とは180度違ったシーンが出現します。
さらに帰途海辺に寄り、最後にはレストランで付き添いのソフィアやオマルと共に食事をするのですが、そこで今度はソフィアのたががはずれます。完璧な看護人として、禁欲的雰囲気すら漂わせていたソフィアは、レストランの歌手が歌う歌に徐々に乗っていき、最後には一緒にフラメンコ風の踊りを踊り出してしまうのです。ここの歌は「飛んだ」(原題:Udi)という題ですが、まさにソフィアは「飛んで」しまいます。このシーンのメイキング映像がこちら。監督のサンジャイ・リーラー・バンサーリーの姿も見えます。
バンサーリー監督は、『ミモラ 心のままに』 (1999)や『デーウダース』 (2002/原題:Devdas)のような娯楽大作も撮っていますが、その一方で障害を持つ人へのこだわりがあるようで、第1作の『沈黙のミュージカル』 (1996/原題:Khamoshi: The Musical)はヒロインの両親が聾唖の人に設定されているほか、第4作『暗闇』 (2005/原題:Black)はアメリカ映画『奇跡の人』を元にしたインド版ヘレン・ケラー物語です。また、『沈黙のミュージカル』の舞台はインドの中の西洋と言える旧ポルトガル領のゴアでしたし、『暗闇』もヒル・ステーション(山の避暑地)のシムラを舞台に、西洋風の生活をする人々が描かれました。今回の『願い』も同様なので、なぜかバンサーリー監督の中では、インドの障害者=欧米風の生活をする人々、という図式ができているようです。その方が、いろんな制約やさしさわりがなく描けるのかも知れません。
実は、これまでのバンサーリー監督の「西洋に思い入れのある描き方」はあまり好きではなかったのですが、この『願い』ではそんな不満も忘れて物語の中に引き込まれてしまいました。それは多分に、主役の2人、リティク・ローシャンとアイシュワリヤー・ラーイの演技に負うところが大きいと思います。特に、リティク・ローシャンのマジック・シーンとアイシュワリヤー・ラーイの「飛んだ」シーンは、娯楽映画好きの私をも満足させてくれるほど魅力十分でした。
BGM的な使用ですが、歌も結構使われています。最後にソング・プロモをひとつどうぞ。『願い』、機会があったらぜひご覧になってみて下さい。