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しーさるの鉄日記

釧網本線駅巡り(止別~北浜)


斜里川を渡り街を抜けると海沿いを走るようになる。周辺に民家がないため、知床斜里から止別までの駅間は11.5キロと、緑から網走の間のオホーツク側では最も長い。海から少し離れて丘が阻むようになると、止別(やむべつ)に到着する。止別はホーム中程に駅舎のある左片面、以前は相対式だったが右側の線路とホームが撤去され、今の形となった。1968年に改築された駅舎には、事務室跡地を利用して『ラーメン喫茶・えきばしゃ』が入居、11時から19時まで営業している。駅舎の前には『らーめん』『営業中』の幟があり、駅舎というより木造のらーめん屋という感じがした。待合室は、ラーメン屋のものと兼ねており、ラーメン屋入口を中心にいろいろな木彫りの彫刻などが置いてあった。窓口跡には通常のベンチの他に、キハ82から転用しただろうリクライニングシートが置いてあった。ラーメン屋入口の向かいはトイレになっているが、鉄道利用者よりラーメン屋客の利用が多い。

自分が釧路行で止別に降りたのは10時57分、ラーメン屋は開店を待つ人でにぎわっており、待合室に入るのも躊躇するくらいだ。とはいえ、列車で訪れる人はほぼおらず、地元の人が駅舎の前に駐車して訪れていた。昼食目的で、列車で店を利用すると、10時57分の釧路行が出た後の網走行は19分後でラーメンを食べる暇はなし、それを逃したら15時49分の釧路行までないということになる。鉄道でラーメン屋を利用する場合は、この15時49分の釧路行から降りて、16時46分の網走行、49分の釧路行か、この16時台の2本を降りて、19時11分の釧路行、30分の緑行を待った方がいいのだろう。駅前は先述した通り、ラーメン屋の利用客の駐車場になっているため、アスファルトで舗装されている。駅周辺は小さな集落になっており、目立った公共施設は郵便局くらいだ。その向かいにたい焼き屋があったが、平日は休みだった。

止別から浜小清水までの駅間距離は5.7キロと、知床斜里から止別の半分くらいとなる。浜小清水は相対式、交換は朝夕夜の3回行われる。駅舎のある左側ホームが釧路寄りにずれているため、右側釧路方面ホームからの構内踏切は左側ホームの切りかけ部につながっている。構内踏切からは駅舎と逆側、つまり海側にも出れるが、民家はなくキャンプ場やフレトイ展望台への遊歩道があるだけだ。待合室は、「道の駅はなやか小清水」の建物の一角にあり、物販スペースの入り口に面している。物販スペースの営業時間外はそのシャッターが閉じられ、待合室とトイレだけが使えるようになる。このような道の駅と鉄道駅が共用する例は稚内も該当するが、稚内は駅部分も大きいので、道の駅の営業時間外でも駅だという感じがする。道の駅なので、駅前は駐車場になっている。それに面して、道の駅と別にセイコーマートやラーメン屋、クレープ屋が並んでいるが、セイコーマートを含め昼間だけの営業となっている。2007年度、2008年度のシーズン時期には浜小清水駅の駅舎と逆側からDMVを試験営業運転、藻琴駅まで線路を走り、浜小清水駅まで道路で戻ってくる72分のツアーを組んでいた。2008年6月にそのDMVに乗った時に、『マートフレトイ』というスーパーで魚のフライなどを買ったので、今回もそれを昼食にしようと思っていた。しかし、『マートフレトイ』は2017年に閉店、その跡地にセイコーマートや飲食店が建てられることになった。道の駅にも飲食店があるから、昼食には困らなかったけど。周辺は郵便局のある集落になっているが、小清水町の中心からだいぶ離れており、道の駅もクルマで訪れている人がほとんどなので、乗車人員は8人となっている。浜小清水を出ると、国道だけでなく網走と小清水を結ぶバスも並行するようになる。また、駅間も短く、最長で原生花園~北浜間の5.4キロ、藻琴駅前後は3キロを切るようになる。とはいえ、棒線駅が続くので、1986年に藻琴駅の交換設備が撤去されてからは、浜小清水から網走までの20.1キロにわたって交換ができなくなっている。

原生花園は右側に片面ホームのある構造、開業はJR北海道になってからの1987年7月1日で、約1年後に開業した釧路湿原に次いで、釧網本線で2番目に新しい駅だ。ただ、それより前に仮乗降場として、1964年から1978年まで営業していた。臨時駅で営業日は5月1日から10月31日までの7か月間、11月から4月までは営業せずに全列車が通過する。その時期は通過となるから、網走行は北浜で、釧路行は浜小清水で時間調整するのだろう。20時台以降の知床斜里行2本、網走行1本は観光需要が見込まれないため、季節を通して通過となる。並行する網走バスは勿論停車するから、陸の孤島になるというわけでもない。釧路側の釧路湿原駅、細岡臨時駅も期間限定での営業だが、4月25日から11月30日までと、原生花園より長い。改正前の快速は細岡だけを通過していたから、一年を通してみると、普通列車も含めて停車パターンは多かった。
臨時駅のためかホーム幅は狭く1メートルくらい、列車が到着するときには警笛を鳴らして、注意を促す。そのため、散策中の観光客も列車が近づいていることに気づき、丘の上から列車の撮影ができる。待合室駅舎は網走寄りの階段を降りたところにある焦げ茶の木造の小さいログハウス風のもの、通路に並行して通り抜けは可能だ。待合室の一角にはキッチン付きの小さな部屋があり、調理したものを販売できるようになっている。ただ、それが使われたか不明だ。駅は遊歩道に面しており、踏切を渡れば、右側の国道へ出ることができる。国道沿いには『小清水原生花園インフォメーションセンターHANA』が建っており、原生花園に咲く花の写真を展示、ガイドも行っている。お土産と軽食を提供する『花街道』などの店は仮乗降場ができる直前の1963年から営業を行なっていたが、1999年に『HANA』が開業するとその中に移転した。そのためか、『HANA』の建物の中には市場のように10軒以上の店が並ぶようになり、他の観光地より充実していた。ちなみに『HANA』は先述の浜小清水駅の道の駅より1年早く開業している。周辺は原生花園と『HANA』以外は民家もほとんどなく、あくまでも観光のための駅だ。

オホーツク海と濤沸湖の間の部分を渡ると、小清水町から網走市に入り、まもなく北浜に到着する。北浜は左片面、ホーム中ほどに木造駅舎のある構造になっている。開業は大正時代だが、木造駅舎の建てられた時期は不明だ。1982年に貨物取扱をやめて、2年後には無人化、その2年後には駅事務室の跡に『停車場』という喫茶店が入居した。国鉄時代に駅舎に普通の飲食店が入るのは珍しく、駅舎の有効活用の先駆けという感じがする。オホーツク海が近く、前に丸型ポストのある小さな木造駅舎は人気があり、昔から多くの観光客が立ち寄っている。特に流氷が流れつく冬場は利用客が多い。そのため、2002年に木造の展望台が建てられた。待合室は、訪れた客が記念に貼った名刺などで覆われていた。窓口の跡は時刻表で覆われ、カウンターで跡だとわかる程度だった。喫茶『停車場』へは待合室から入る形になる。最近まで11時から18時までの営業だったが、今年3月からは14時までの営業となっている。開店時から利用したとしても、11時42分の網走行を逃せば、15時32分の釧路行まで列車はない。塘路、知床斜里、止別、北浜と、釧網本線は古い木造駅舎に飲食店が入居する例が多い。ただ、何度も言うように、クルマで訪れる人がほとんどで、運転本数の少ない列車を利用する人はあまりいない。駅前は未舗装だが、国道からのアクセスがいいため、駐車して駅周辺を観光する客が多い。知床斜里方向に数百メートルあるいたところに集落があり、セイコーマートやJAの金融機関がある。

先述した通り、北浜から藻琴までは駅間は短く、歩いても40分もかからない。藻琴は左片面、ホーム中ほどに木造駅舎がある。以前は相対式だったが、1986年11月に委託駅となった時に右側の線路とホームが撤去され、今の形となった。木造駅舎は北浜駅より大きく、薄い緑の屋根が特徴で、駅名看板が駅入り口上だけでなく、入口横の右柱にも昔から掲げている。隣の北浜駅と同じく『軽食&喫茶 トロッコ』が委託化の時に駅事務室跡にオープンしたが、店主の体調不良などを理由に去年10月に閉店となった。その跡地はもぬけの殻となっていた。待合室は広いものの、トイレはなかった。駅前は未舗装だが、国道に隣接しているので、クルマでのアクセスはしやすい。集落は国道を渡った道路沿いに広がっている。先述した通り、一時期は浜小清水からDMVが運転されていて、釧路寄りから駅前広場に抜けていた。今ではその抜けていた場所も雑草が生え、わからなくなっている。

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