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しーさるの鉄日記

東上線を一日で乗り潰す(その1)

大手私鉄を一日で乗り潰すシリーズ、今日は東武東上線、越生線を攻めることした。東武鉄道全線は一日で無理なので、まず6月に伊勢崎線、亀戸線、大師線、野田線を一日で潰した。残りの部分は、川越から春日部へ川越線、埼京線と乗り継げば、一日で可能だった。でも、越生線の改良した駅や鶴ヶ島ガーデンパークにも行きたかったので、東上線とそれを組合せ、東武日光線系統は別の日にした。ところが、鶴ヶ島ガーデンパークは完全オープンでないと、鉄道模型コンテストの時に鶴ヶ島市の担当者から聞いたので、今日は見送って、サイボクに行くことにした。

その別の用を済ませた後、東久留米発10時27分の準急池袋行に乗車する。飯能発で、ひばりヶ丘に特急に抜かれる以外は、上位優等の待避はない。つまり石神井公園から西の全駅の客が集約されることになる。そのうえ、練馬でFライナー快速急行の接続を受けることになる。充当されていたのは40000系のL/Cカー、そのためドア間の座席数は6席と、通常の7席より少なかった。池袋での出口が遠い9両目に乗ったためか、運よく席を確保することができた。危うく池袋まで30分近く立ちづくめになるところだった。席は満席となり、次のひばりヶ丘から座るのは厳しい状況だった。ひばりヶ丘で急行に抜かれる準急でのんびりしたかったが、池袋から川越特急に乗りたかったため、あえて混雑する準急にした。

練馬で副都心線直通快速急行へ乗り換える客は少なく、快速急行からの客でさらに混雑、車内はラッシュ並みとなった。ただドアは一回で閉まっていたから、人がはみ出るレベルではなかったと思う。とはいえ、快速急行との接続による遅れで、池袋着10時55分と1分遅れとなった。11時00分の最終川越特急への乗り換え時間は5分、比較的空いている乗車側ドアから降りて、東上線改札がわかりやすいということで1階改札から中央通路へ向かった。ところがあまりの人混みで東上線の改札でタイムアウトになった。地下1階改札から南通路へ向かうことも考えたがオレンジロードの距離もあり、メトロポリタン側も迷ってタイムアウトになったのかと。

仕方がないので、11時10分発の急行に乗ることにした。先頭車で5人ぐらいしか乗ってない車内だったが、駅に停車するたびに乗客が増えていき、川越前後では座席のほとんどが埋まっていた。都心方面と逆の流動が思ったよりあって、昔の川越市以北毎時6本を毎時4本にしたのは正解だと思う。以前の快速通過駅の利用もあったから、快速の急行格下げは妥当だった。

坂戸着11時55分、池袋場面では川越特急との差は10分だったが、急行は、成増、和光市、朝霞、志木、ふじみ野、霞ケ関、鶴ヶ島、若葉の8分も停車するため、その差は20分に広がる。急行が遅いというより坂戸まで朝霞台、川越、川越市しか停車しない川越特急が速く、他路線では料金が必要なレベルだ。寄居方面への接続が悪いので、9分接続の越生線に乗りかえた。

坂戸発12時04分、中途半端な時間だが座席は7割くらい埋まっている。越生線は全線単線、野田線の県境区間と同じ15分ヘッドとなっており、一本松と武州長瀬で交換を行う。データイムの東上線池袋方面とも接続は、両方向とも急行に対し2分か7分となっている。

坂戸から3駅目の川角には12時12分に到着した。川角駅は相対式、下りホームのほぼ坂戸寄りに去年11月に学園口が新設されたため、立ち寄ることにした。駅舎は上りホーム側にもあるが、学生が駅前の坂戸寄りにある踏切で滞留して、クルマとの接触事故も毎年のようにあった。そのため1970年代から住民の陳情はあったが、中々実現しなかった。陳情から50年ほど経って、2021年に川角駅周辺地区整備協議会を設置、その2年後に学園口が新設された。駅南側に学園口が新設されたことで、池袋、坂戸方面から城西大学へ向かう時だけでなく、西坂戸のニュータウンに帰るのも利便性が向上した。

学園口は出口が2か所あるが、駅舎の中はつながっている。越生寄りの出口は道路との段差がなく車いすの利用が可能だが、出口の前の道路が緩い坂になっているので、坂戸寄りの出口からは4段の小さい階段がある。改札も出口から少し入ったところに2か所あり、坂戸寄り改札は跨線橋に、バリアフリー出口の近い越生寄り改札はエレベーターに近い。学園口は道路に面しているが幅4メートルしかないので、クルマが通れば学生と接触する恐れもある。また、駅前広場はもちろん、駐輪場も整備されていない。そのため、周辺の再開発が問題となっている。

川角発12時28分の越生行に乗って、隣の武州長瀬に2分で着いた。武州長瀬は駅巡りした後の2013年10月に橋上駅舎となった。橋上駅舎は越生寄りに設置、上りホームから駅舎へはシンプルに線路と並行の階段とホーム端のエレベーターとなっていたが、下りホームからはホーム端から線路と逆方向に少し歩き、途中でエレベーター通路と階段通路に分かれ、階段は3段上がった後、Uターンして線路方向へ向かって昇るという変わった構造になっていた。階段を昇ってからも改札までは20mくらい離れている。改札外通路から駅前広場へは階段だけでなくエスカレーターも整備、階段部分の外観は赤茶に細長い窓が並んでいる。南口のロータリーは2007年に駅巡りした時点で整備されていたが、駅舎は越生寄りのずれた場所にあった。新しい橋上駅舎はロータリーの前に整備され、クルマでの送迎や、バスで降りた時に駅入口が近くなった。駅舎の中を歩く距離は長くなったが。旧駅舎の前は舗装されただけの広場だったが、ベンチや公衆トイレが設置され、公園になっていた。その越生寄りに旧駅舎のあった部分は空き地となり、高い雑草が生い茂っていた。北口は、橋上駅舎化とともに駅前広場を整備、パチンコ屋と民家に囲まれている。駅前広場からのACCESS道路は橋上化の2年後に県道とつながった。

武州長瀬発13時16分の越生行に乗車、越生には13時22分に到着した。越生は改修後の2021年4月に訪問済みだったが、乗り換え時間に余裕があったので、改めてまわることにした。JRホームと駅舎の間にスロープはないので、高低差は小さいのにエレベーターが両方とも停まるようになっていた。当然ながらドアの開く方向は違う。越生からは寄居へ、2駅巡った後に越生から坂戸へ戻ることも考えたが、八高線経由の方が速く着くことが判明、ただそのまま行くと越生で51分待ちとなるので、武州長瀬駅で15分滞在のところを45分滞在とした。その間に、近くのスーパーで昼食を購入、先述の公園のベンチで食べた。

越生発13時43分の八高線高崎行は単行運用、混んでいて立ち客が10人以上いたが、運よく座ることができた。小川町でそれなりに降りたが席は満席に近い状況、寄居には14時13分に到着して、少し空席が出てきた。東武東上線へは6分乗り換え、その間に南口に立ち寄った。駅南口は2022年6月に駅前広場を拡張、車路の一部はラウンドアバウト形式となり、楽に折り返せるようになった。昔からの商店や民家は取り壊され、去年4月には『Yotteco』という観光案内やお土産物を販売する施設がオープンした。下調べもせずに短時間に適当に駅前を撮影したが、『Yotteco』を含めた新しい駅前は、ある程度撮影できていた。駅構内も、秩父鉄道のICカード対応のためか、八高線の簡易Suica改札機が連絡通路からホームの先に移されたという変化があった。、

寄居発14時19分の森林公園行で再び東武東上線の旅となった。寄居駅の階段に近い前の方は席の半分以上が埋まっていたが、後ろの方はガラガダだった。ガラガラだった車内も鉢形や男衾で少しずつ乗ってきて、小川町で席の半分以上が埋まるくらいに、森林公園に着く頃には席のほとんどが埋まった。小川町の4キロ先、嵐山信号所を通過すると複線を走るようになる。データイムは男衾駅の他に嵐山信号場の先で上下列車が行き違う。8000系が行き違う光景が見れるのはここと、野田線、亀戸線ぐらいだが、編成両数は3線とも違う。車内には、有楽町線、副都心線とその乗り入れ先の路線図が貼られていたが、乗っていた8000系が営業運転するのはこの中の小川町~森林公園間だけだ。

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