西留辺蘂を出ると常紋越えに入る。前回のブログで触れたとおり、西留辺蘂から3.5キロ走ると、2016年に駅から格下げとなった金華信号場を通過する。留辺蘂から5.5キロの距離だが、午前中の全ての特急が普通や特快きたみと交換する。待たされる方の普通や特快きたみは3分~5分ほど停車する。西留辺蘂駅は標高208mで金華は標高243m、平均10‰で登ってきたことになる。金華を出ると、金華峠へ向かう国道242号線と離れて走るようになる。
金華から4.7キロ、常紋信号場跡を通過する。標高は347m、金華からは100m以上登ったことになり、最急勾配は25‰、平均勾配は20‰を越える。常紋信号場は1951年から仮乗降場となっていたが、1975年に信号場に格下げ、2001年に交換設備の使用が停止となり、2017年に廃止となった。信号場に格下げになる直前は臨時駅にも関わらず、5往復の普通全てが停車していた。スイッチバック式だったので、今でも航空写真でその側線の跡地がわかる。常紋信号場を通過するとすぐに全長507mの常紋トンネルに入る。全長は507mだが、掘るのに3年かかっただけでなく、100人以上の犠牲者が出て、その中にはトンネルに埋められたものもいた。1914年に留辺蘂から今の安国まで開業したものの、急停車事故が発生したため、1959年にトンネルから1キロのところに歓和地蔵尊が建立された。
峠を越えるため、生田原から西留辺蘂間の駅間は18.5キロ、白滝から丸瀬布間の19.7キロを少し下回り、石北本線では3番目の長さとなっている。金華が信号場に格下げになるまでは、生田原から金華まで15.0キロで、2001年に信号場となった中越駅から奥白滝間の16.7キロに次いで長かった。2016年に金華が信号場になったが、同時に白滝から丸瀬布の間の下白滝も信号場になったので、3番目というランキングになっている。常紋トンネルを抜ける北見市から遠軽町に入るが、まだ森林の中を走ることになる。
常紋トンネルを抜けて6キロほど走ると、標高235mと金華ぐらいの標高まで降りて来る。こちらもカーブが続き、最急勾配25‰となっている。さらに3キロ走ると、離れていた国道が合流して生田原の町の中に入っていく。直線だが盆地の坂で勾配を降りることになる。西留辺蘂から20分かかって、生田原に到着した。生田原駅の標高は175m、常紋トンネルから10キロで170mも降りたて来たことになり、留辺蘂駅より20m以上低くなる。
生田原(いくたはら)は、網走に向かって右側に駅舎のある2面2線、2線だがホームは両線ともに駅舎のある右側にある。遠軽方面上り線路はホームに挟まれる形になるが、北見方面ホームとの間は土が降りている形で接してはいない。駅舎のある上りホームが北見寄りにずれているため、構内踏切は上りホームの遠軽寄りと下りホームのほぼ北見寄りを結ぶ形になる。下りホームと上り線の間は空間があるので、構内踏切の階段はホームを切り欠いていない。
国鉄時代は一部の急行すら通過しており、特急は停車してなかったが、2002年改正でデータイムのオホーツク2往復が停車することで、すべての列車が停車するようになった。交換可能だが、現行ダイヤでは上下列車の交換はない。朝時間帯は通学客のために7時37分に生田原始発の遠軽行が運転されるが、特急の10分後のだめか、下りホームからの発車となる。両線とも列車で埋まるのはこの時くらいだろう。
駅舎は1993年に図書館として建てられたもの、石造りの洋館のような外観で、図書館のある部分はガラス張りになっている。待合室はその一角、図書館の入り口を兼ねているが、キレイで広く、テーブルとイスも置かれている。国鉄時代の1984年には委託駅に、駅舎建て替えてから2年後の1995年には委託も止めて、完全に無人駅となった。そのため、待合室が綺麗に整備されているもの、改札や券売機といった駅設備はない。特急は全列車停車するが、自由席は車内で、指定席は前もって購入する必要が出て来る。
図書館の2階にはオホーツク文学館となっており、オホーツクを舞台とした文学作品や関係資料を展示している。駅前広場は歩行者のフリースペースになっており、駅舎に向かって左側に駐車場がある。駐停車スペースはないから、駅や図書館の利用者は駐車場を使うと思われる。歩行者のフリースペースは石タイルが整備され、鈴の並ぶ噴水や洋風の街燈が配置されている。それに隣接して、生田原温泉ホテルノースキングがあり、宿泊だけでなく、600円で日帰り温泉に入ることができる。さらにそこから数分歩くとセイコマがある。旭川方向に10分ほど歩いたところには、ちゃちゃワールドという世界の木のおもちゃや。藤城清治の影絵を展示している施設がある。そのおとぎ話のお城のような建物は車窓からも見ることができた。折り返し時間が67分あったので、最初はそこに行こうと思っていたが、図書館で十分に時間をつぶせた。
2005年に遠軽町と統合されるまでは生田原町だったので、周辺には役場の支所や銀行がある。それなりに民家があるものの、遠軽からだいぶ離れているので、乗車人員は17人と呼人と同じ、特急停車駅では乗車人員数5人の天塩中川に次いで少ない。朝一番に遠軽行が設定されているものの通学需要も少ないのだろう。
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