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しーさるの鉄日記

明知鉄道と新幹線遅延


今日は、明知鉄道のアケチ100形に乗るついでに、2駅だけ巡ることにした。明知鉄道は、1985年の転換時にアケチ1形を投入、1997年からアケチ10形を投入してアケチ1形は6形を残して置き換えた。2017年にアケチ6形の置き換えて、アケチ100形101号を投入、翌2018年はアケチ12形の102号を投入した。駅巡り後にデビューしたから未乗のアケチ100形、アケチ10形4両に対し、アケチ100形2両と普通に運用されていれば、1/3の確率でしか乗れないが、101号、102号の両方に乗ることができた。土休日のアケチ10形はイベント列車が中心で、定期運用はアケチ100形が多いのだろうか。アケチ10形は15m車体に定員94名座席数42席、アケチ100形は、18m車体に定員119名座席数50席となっている。両方の車両ともオールロングでトイレもないため収容力はある。アケチ100形を、似たような条件の京急1000形の先頭車と比較すると、定員はほぼ同じで座席数10席多い。

恵那発6時46分の明知行は、昨晩撮影した最終と同じくアケチ100形101号が充当、アケチ0形と同じく、赤みがかったクリームがベースで、朱色のラインが下部に3本、上部に1本入っている。恵那を出た明知鉄道は阿木川を渡ったあと、右カーブで中央線から離れて、低いガードで旧中山道をオーバーパス、中央道から離れた後、国道19号をオーバーパスする。ずっと上り勾配で恵那の町を臨むことができる。東野駅は標高312m、恵那駅からの2.6キロで42m昇ってきた。東野を出て少しは勾配は緩やかになるが、再び上り勾配はきつくなる。中津川市に入って少し走ると飯沼駅に到着する。飯沼駅は33‰の勾配上に1991年に造られた駅、標高は472mで、東野駅からの5キロで160m昇ってきたことになる。つまり、東野駅からほとんど33‰の勾配ということになる。飯沼駅を出ると192mの飯沼トンネルを通過、S字カーブのあと、160mの野田トンネルを通過して、標高445mの阿木駅に着く。飯沼駅から少し降りた形だ。阿木駅は近くに学校があるため、乗降客数は明知と変わらず、恵那に次いで多い。

阿木川を渡った後、再び上り勾配に、中津川市から恵那市に入るあたりで標高490mとなる。そこから少し進んで標高474mの飯羽間駅に到着、さらに極楽駅、岩村駅と1キロくらいの間隔で駅が続く。極楽駅は2008年に開設した駅、待合室は2019年12月に改修され、赤塗りで屋根の上に觔斗雲が置かれるようになった。待合室改修費用の700万のほとんどは、岐阜県地方鉄道利用促進事業の補助金とクラウドファンディングの寄付金で賄われている。駅が新設されたのは、近くの国道沿いにスーパーやホームセンターが建てられたため、スーパーはチェーン系で駅設置費用の半分を負担している。付近の民家は少ないが、列車で買い物に来る需要があり、一日の乗車人員は55人と多い方だ。待合室横の觔斗雲のベンチをボランティアの人が清掃していた。岩村駅ではアケチ102号と交換した。アケチ102号とは色の塗り分けが逆で、朱色ベースで赤みがかったクリームのラインが入っている。岩村駅は標高499mと、飯羽間駅より少し高くなっている。そのあと、直線の上り勾配で520m以上まで上るが、緩いS字カーブで483mの花白温泉まで下りてくる。

恵那から34分、花白温泉で7時20分に列車を降りた。花白温泉で降りたのは、駅巡りしたときに日没後で暗かったためだ。とはいえ、駅舎はなくホーム上に待合室があるだけ、駅前の温泉施設も一昨年5月にボイラー施設が故障してからは、レストランとともに営業を休止している。運営会社が事業廃止となったわたらせ渓谷鉄道の水沼温泉にしろ、先月営業終了した長良川鉄道の子宝温泉にしろ、3セク鉄道の駅チカ温泉は厳しい。時間があったので、駅を改修した山岡駅まで30分歩いた。

山岡駅は、近くにある『かんてんかん』という建物に待合室が入っている構造となっている。以前は駅舎があって、関塾という学習塾の入居していたが、2014年に近くにあるヘルシーハウス山岡1階の物販部分を改造、『かんてんかん』と名前を変えて、待合室と寒天資料館した。待合室と寒天資料館は別の入口だが、両方とも奥のレストラン兼物販コーナーに通じている。寒天資料館、レストランは、8時半から15時までの営業で、それ以外の時間は待合室しか使えない。駅舎の裏側もは、1998年に廃車となったアケチ1形が静態保存されている。保存されている線路は島式ホームだった頃の上り線の一部だ。以前は倉庫として使われたが、2016年に『森の列車カフェ』としてオープン、クロスシートの一部で食事できるようになっている。自分の降りた時は営業時間前で中に入ることができなかったが、レストランの店員に許可を取れば、駅業時間外でも中は見れるようだった。旧駅舎の跡地については、駅前広場を拡大のうえ、小さなロータリーを整備、ホームとの間にはスロープを設置した。ロータリーへは瑞浪へのバスが乗り入れるが、本数は少ない。

山岡から先は今回は未乗車となる。標高468mの山岡駅を出て3キロほど走って、標高520m以上がサミット、その先の30‰の下り勾配に1994年に野志駅が新設された。野志駅は標高498m、2キロ先の終点明智までは50m以上も下るので、30‰の勾配が連続すると思われる。

『かんてんかん』で、寒天料理のモーニングを食べたあと、山岡発9時36分の列車に乗車。先述した真っ赤なアケチ2形運用だった。恵那着10時13分、17分接続の区間快速名古屋行に乗り継ぐ。区間快速なので多治見までは各駅停車、古虎渓、定光寺だけ通過して、高蔵寺から再び各駅となる。恵那を出てしばらく走ると、右側の下り線が離れていき、代わりに中央道が並走するようになる。まるで単線区間に入ったような感覚だ。下り線は長さ2,766mの新槇ケ根トンネルに入るのに対し、上り線は長さ730mの槇ケ根トンネルを通過する。釜戸を出ると、瑞浪までは120キロを出したものの、それ以上は出さなかった。一番先頭での乗車率は、高蔵寺までで席の2割しか埋まってなかったのが、高蔵寺で5割、神領で7割埋まった。その先は立ち客が出ても席が埋まることはなかった。千種から鶴舞までは、110キロ出していたが、それ以上出すことはなかった。

名古屋着11時36分、昨日と同じく近鉄に乗って、三岐鉄道の方へ向かうことにした。近鉄名古屋発12時01分のLCカーいよる急行松坂行に乗車、名阪甲特急『ひのとり』に続行しての発車となる。近鉄富田には12時29分に到着した。今日も三岐鉄道の撮影だが、タダで撮影というのも申し訳ないので、隣の大矢知駅まで往復することにした。そのため、駅窓口で硬券を購入した。近鉄富田発12時38分の西藤原行は、昨日も見た赤電復元塗装だ。近鉄富田を出て、盛土に上がると、関西本線をオーバーパスして、その連絡線が合流してくる。大矢知着12時42分、7分で折り返すので、すぐに窓口できっぷを買う。これくらいの規模の駅できっぷを買うのはいつ以来なのだろう。しかも硬券で。折り返し12時49分発は801系の西武イエロー復元塗装だった。まるで、行きも帰りも西武の復元塗装で、西武の支線に乗っているような感覚だった。近鉄富田駅の隣は『川越』富洲原だし。昼食のあと、近鉄富田駅に停車していた13時53分発は地元の高校生が考えた派手なラッピング車両、住友電装の契約期間は2026年3月末とのことだけど、それまで211系に置き換えられずに走るということなのだろうか。13時56分の急行で桑名へ、そこからバスで長島温泉へ向かった。

長島温泉からはバスに乗って、名鉄バスセンター着18時27分、名古屋発18時50分くらいの『のぞみ』に乗ろうと思っていたが、京都市内の大雨で50分ほど運転を見合わせていた。運転再開となったのはつい先ほどだったので、次の『のぞみ』は京都を出たばかり、京都から名古屋までは『のぞみ』の在線がない状況となっていた。幸い、名古屋に19時10分くらいに来るだろう『のぞみ440号』の指定券が確保できた。先に来るのは『のぞみ40号』だったが、数分後続の新大阪始発の臨時『のぞみ440号』を予約した。新幹線の遅れは50分以上だったが、自分の予定の遅れは20分程度となった。6月の北陸新幹線の帰りに外国人がトラブルを起こして、三河安城で足止めを食らった時と変わらない。

上り『のぞみ』は勿論、下り『のぞみ』も運転見合わせで遅延していたので、新幹線改札の前は予約した『のぞみ』を待つ人で溢れかえっていた。エクスプレス予約や自由席だったら、乗る新幹線の変更は簡単にできるが、紙の指定券だったら窓口に並ばないと変更はできない。お土産を買って、19時過ぎにホームへ、『のぞみ440号』の名古屋発は定刻18時23分発のところが、52分遅れの19時15分発となってしまった。そのあとは遅延回復モードとなったが、静岡の手前で減速して、19時58分に本線上に停車して先行の『のぞみ44号』と並んだ。静岡着19時37分の『ひかり』が遅延していたので、代わりに『のぞみ44号』を静岡に停車させて、19時45分に発車する予定の甲府行最終『ふじかわ』に接続させたのだ。『のぞみ440号』が本線上に到着すると、『のぞみ44号』はすぐに発車、その数分後に『のぞみ440号』は発車した。新横浜着は54分遅れ、名古屋発車時より少し遅れが拡大したが、静岡停車によるタイムロスを考えると4分くらい回復したことになる。品川は52分遅れだったが、東京駅での到着するホームが開くのを待つために数回停車したため、東京着は56分遅れの20時59分となった。1時間ほど前は下り線が渋滞していた影響で、上り線も新横浜の手前まで渋滞していて、定時で走っていた列車も東京着が30分くらい遅れていたから、数分くらいのタイムロスはまだマシなのかもしれない。

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