まずドリーム号で京都へ。駅降り目的地に夜行バスを使うのはザラだけど、ドリーム号は久しぶり。しかも周遊きっぷと組み合わせて。でも、いつも間にかプレミアムや青春と化して、周遊きっぷで乗れるドリームは減少してしまった。
新名神の信楽付近で渋滞に巻き込まれるものの、10数分の遅れで京都駅に到着。京都からは普通と快速を乗り継ぎ、新大阪へ移動。225系に中々遭わない。
新大阪からは今回の旅行の目的の1つである山陽・九州新幹線みずほ。今日はそのみずほの12分後にさくらが設定されたため、ホームを介して車両2本が並んだ。
新大阪時点では、みずほの席は半分くらいしか埋まらず。それが、岡山、広島、小倉とそれなりに増えていく。山陽区間内では全席埋まりきらなかったが、博多で入れ替わりがあって全席埋まりきった。
博多を初めてスルーしたあと、新規開業区間へ。博多南線や車庫線と共用する部分が意外と長い。九州新幹線のスジを引くのに支障はないのだろうか。博多総合車両所を通過するとトンネルへ。それを抜けると新鳥栖、そして久留米と2分15秒の間を開けて通過する。筑後船小屋を通過してしばらく走るとまたトンネルに入る。明かり区間であっても壁が邪魔して景色が見えるところが限られる。新玉名を通過し8分ほどで熊本に到着、新大阪からの所要時間は丁度3時間になった。
熊本駅では、新幹線コンコースと現駅舎の間に地下通路が作られ、改札内と改札外に仕切られている。新幹線口を見物した後、その地下通路(おてもやん通り)を抜けて、既存駅舎側から熊本市交通局の停留所降りに入った。始めたのは11時過ぎだった。
まず雨降る中を田崎橋へ向かい二本木口まで駅歩き。田崎橋の目と鼻の先には二本木口の停留所が見えた。祗園橋で降りようとしたが人が多すぎて断念。とりあえず辛島町へ向かい、辛島町からB系統の駅降りをすることにした。このB系統、運転間隔は13~14分と微妙に広い。上熊本の手前で交換することを利用して、本妙寺入口から杉塘まで歩いて県立体育館前にて短時間折り返しに挑戦。ところが県立体育館前で思ったより早い健軍町行きが来て失敗、仕方がないので次の健軍町行きに追いつかれるまで歩いていたら、3駅先の段山町にたどり着いてしまった。あと4駅は停留所歩きで処理、駅間が短いから時間を持て余してしまう。それでも専用軌道と併用軌道の分かれ目にある新町と洗馬橋は個性的だった。
辛島町から先は本数が増えるが、停留所間が短いから、後続が目測できなければ停留所歩きを多用することになった。辛島町から水道町にかけては熊本の繁華街、水道町で町を見ていると、大鉄道博開催中というタレ幕につられ寄り道。入場料を払って見物した博覧会は、半分は東京でやったものの使いまわし、半分は地元ローカル線の写真などだった。印象深いのはもちろんながら後の方のわけで。
九品寺は歩道橋と結ばれているが、誰ひとり歩道橋を渡らず停留所と微妙に離れている横断歩道へ。味噌天神前から新水前寺駅前まで歩いていたら、思いっきり追い抜かれた。国府で1本落とし、水前寺公園から市立体育館前まで徒歩移動。この辺では一番停留所間が短い。商業高校前で1本落とし、八丁馬場から神水・市民病院前まで徒歩移動。八丁馬場は停留所の真ん中から横断歩道がつながっている。健軍校前から動植物園入口まで徒歩移動、健軍交番前から徒歩移動して15時前には健軍町に到着した。
健軍町から辛島町へワープ。慶徳校前から河原町へ徒歩移動、呉服町から祗園橋までも徒歩移動。この辺はカーブしているので次の停留所の位置がわかりにくい。熊本に15時53分に到着して、熊本市電の停留所降りは終了、5時間40分と思ったより苦戦した。
ロッカーの荷物を取った後、58分の三角線で川尻へ。富合は新幹線の車庫が近く、新利府駅を彷彿させる。駅名票イラストにも3種類の新幹線があしらわれている。宇土で下り列車を待っていたら、SL人吉号が通過。SLが通過したことより、上り本線はホームに接してないほうで、ホームに接しているのが副本線あることに驚いたり。よくよく考えれば2面3線だったものを橋上駅舎化したときに、島式にしたものだからな。
新八代で新幹線に乗り換え。下りホーム外側の線路はまだ撤去されておらず。そこに宮崎行のバスを乗り入れさせたら面白いと思ってしまう川島脳。さくらで熊本へ移動して、九州新幹線は走破となった。
熊本からはつばめで新玉名へ。経由地はバラついているものの、玉名駅へのアクセスバスは結構多め。新大牟田のバスは毎時32分発、新幹線は偶然にも上下方向とも22分発が多いからこれでいいんだな。
さらに新幹線で久留米へ移動して、今日の駅巡りは終了。鳥栖から白いかもめに乗って、今宵の宿である長崎へ向かった。
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