6時前にホテルをチェックアウトして、20分以上歩いて、切石駅へ向かうことに、インターに近いためか、高速バスとすれ違った。飯田は、東京へ行くのも、名古屋へ行くのも高速バスが主流だが、長野へ行く高速バスは運転士不足の影響で8往復のうち4往復が運休になっている。今日立ち寄る川岸までの所要時間が、飯田線の2時間半に対し、高速バスが75分と使い勝手がいいのだけど、運休がなくても時間的に合わなかった。新宿行も川岸に停車するけど、飯田から川岸までの利用はできない。
切石は飯田の1駅手前にある左片面、カーブ上にあるため、ホーム下にはランプが点灯している。また、駅入り口には電車の両端を利用する旨の注意書きがある。切石発6時23分の列車は313系のワンマン、飯田~天竜峡間のワンマン列車は少なく、乗っている豊橋行の他、天竜峡行は13時台と22時前後の2本だけ、伊那大島行きは22時台の1本だけとなっている。伊那大島以北でも辰野方面2本、飯田方面4本と少なく、車掌が走りまわる列車がほとんどだ。ワンマンの少ない飯田線だが、数年以内に213系がワンマン対応の車両で置き換えられることになる。313系3000番台のようなクロスシート車ならまだいい方で、静岡地区で余った2000番台のロングシート車が転属されてきたら、長時間乗車で大きいサービスダウンとなる。ただ、JR東日本の211系はロングシートで飯田まで乗り入れてくる。
伊那八幡で313系1700番台とすれ違う。転換クロスだが3扉なので1両当たりの座席は213系より少ないが、213系の2両に対し、3両となっているので、編成での座席数は一番多い。1700番台は3両なのでワンマン向きではない。ワンマンの313系で一番の理想は、関西本線で余剰となった1300番台だが、今は静岡に配置されている。
天竜峡での8分停車中に。ワンマンからツーマンになる。利用客の少ない区間からツーマンというのは違和感がある。ワンマンで一番前で降りるつもりだったが、車掌に運賃を払うことになったので、後ろの車両へ移動した。天竜峡の2つ先の金野には着いたのは6時59分、切石から240円と36分の乗車時間の割には安い。途中でツーマンになったので、整理券と運賃を車掌に渡す貴重な経験となった。金野は飯田に向かって左片面、川の方にホームがある。駅周辺には建物がなく、山に囲まれた秘境駅となっている。そのため、昨日遅れまくった秘境駅号が停車する。唯一のアクセス道路は、前来た時は雪で埋もれていたが、今日は落ち葉に埋もれていた。時間があったので、橋を渡って、その山道を昇り降りした。なお、元善光寺からこの金野駅までの15駅が飯田市内、次の唐笠から温田までは泰阜村となる。飯田市内の駅は金野から伊那上郷まで17.5キロで全駅の駅間か2キロ以下となっている。流石は元私鉄だ。
一駅戻って、千代着7時36分、滞在時間が50分以上あるので、豊橋寄りの車も通れるくらいの舗装された山道を昇ることにした。10分ほど昇ったら民家が10軒以上あった。別の細い道を下ったら、駅の辰野寄りに戻ってきた。雪が積もっていたらこの芸当はできないだろう。8時28分の飯田行で千代を後にした。
秘境駅を2つ巡って、あとは飯田盆地の駅を巡ることに。巡った行程は以下の通り、〇数字は天竜峡からの駅数。
845②時又905-907①川路917-927⑤伊那八幡952-954④毛賀(歩)③駄科
相対式で辰野寄りに踏切のある時又を20分で折り返し、2009年に建て替えらた駅舎はプレハブみたいな感じがする。9年前の駅巡りの時は駄科から歩いて、ギリギリで電車に間に合わなかった。川路までは天竜峡行で2分だけの乗車、運賃150円を車掌に払うだけで補充券は発行しなかった。川路では10分折り返し、円形のガラス張りの待合室を囲むように階段があり、豊橋寄りにはスロープもある。駅前は7年前の訪問時は雪に埋もれていたので、今回の訪問では車が乗り入れるエリアとか明らかになった。
川路からは飯田行で3駅飛ばすが、乗車時間は10分だけだ。伊那八幡着9時27分、相対式で豊橋寄りの構内踏切がある。天竜峡~飯田間では一番大きい駅で国鉄時代は急行の一部が停車していた。駅舎は1926年の開業時の洋風の木造駅舎で待合室の内装も昔の洋風になっている。ホームに隣接して、トタンで仕切られただけの便所、中には和式便所と男性用小便所があるが、老朽化で今日で閉鎖するとのことだ。時又駅のように新しい便所を建てればいいのだけど。駅前にタクシー営業所があるため、狭い広場にはタクシーが常駐している。数分歩いた国道沿いに古い商店が並ぶが、開いている店は少ない。
伊那八幡には25分滞在、9時52分の天竜峡行に2分だけ乗車、飛ばしてきた毛賀で下車する。毛賀は左片面で辰野寄りに出口のある構造、比較的新しいガラス張りの待合室がある。駅に降りて、10分後に豊橋行の特急伊那路行が通過していった。乗ってきた天竜峡行と接続することで、飯田市内の通過駅のフォローをするのかと。10時台の列車はないので、隣の駄科駅まで30分歩き、その途中スーパーで昼食などを調達した。駄科はプレハブの駅舎がある左片面、周辺は民家が密集している。大きい道がないので、民家の間の細い道をクルマが頻繁に通る。
駄科からは東京都区内行のきっぷで帰ることになった。駄科発11時03分の岡谷行に乗車、313系3000番台運用だが、接続のない天竜峡始発なので、余裕でボックスシートに座れた。飯田着11時19分で2分だけ停車、降りる人は少なく、スルーする人が多かった。車内は空いていたので、車両を移動して、町の見える右側に座る場所を変えた。飯田から2駅目の伊那上郷を出ると、下にリニアの工事現場が見えた。勾配もあり、確かに駅を設置しにくい場所なのかと。伊那大島11着時46分、7分停車の間に途中下車することに。道路を挟んだ坂を上ると住宅街があるのはこの辺の特徴だ。交換相手は転換クロスの313系1700番台運用だった。伊那大島から上片桐までの距離は3.8キロ、唐笠以北で唯一駅間が3キロを越える区間となる。
飯田から75分かかって駒ヶ根着12時36分、手前の小町屋から学生が乗り込んで、少し混んできた。10分の停車の間に駅前を軽く散策した。伊那北でさらに学生が乗り込んで、立ち客も増えてきた。前の列車との間隔が1日で一番開くのだから仕方ない。平日だと空いているのだろうか。
岡谷の一つ手前の川岸で下車したのが13時50分、飯田から2時間半かかった。川岸駅は、開業100周年を機会に去年駅舎を改造した。木造駅舎の木材は長野県産、待合室のアクセントウォールは旧駅舎に使われていた木材を再利用しており、壁の上部には旧駅舎の絵が彫ってある。外壁は焦げ茶、待合室前にはスリット状の壁がある。屋根は旧駅舎と同じ緑色となっている。リリースでは触れてないが、ホーム上の待合室も新しいものに建て替えられ、ベンチなどに木材が使用されていた。昔は中央本線のメインルートとして『あずさ』が通過していた川岸駅だが、みどり湖ルートが開業してからは甲府方面への列車は通らずに、飯田線への乗り入れ列車が発着するようになった。みどり湖ルートの開業が1983年だから、川岸駅の歴史の6割が実質飯田線の駅ということになる。そのため、JR東日本の駅だというのに、停車列車のほとんどがJR東海の車両という珍しい事象が見られる。また、松本行が朝の下り、上りの両方向にある。下りが8時15分の岡谷始発の辰野・信濃川島経由で、上りが9時01分の天竜峡始発のみどり湖経由だ。駅前広場は広く、開業記念碑がある。その台座には日本国有鉄道とD51 498のプレートがあるが、D51 498は現在でもSLぐんまなどで活躍している蒸気機関車だ。1972年に現役を退いて車籍抹消となったから、その時のナンバープレートなのかもしれない。駅前のバス停を見ると、列車を降りてから6分後に岡谷行の地域バスが出ていることが判明した。それを使ったら、そのあとのスケジュールが楽になったと思ったが、2本の松本行や、D51 498のプレートには気づかなかっただろう。
川岸駅には1時間以上も滞在し、14時55分の岡谷行に乗車、5分で終点の岡谷に到着した。岡谷駅の駅舎は2016年に改修工事を行った。レンガ調のタイルは、旧山一林組製糸事務所をモデルとしたもの、出入口の上にも製糸工場をイメージした三角屋根が取り付けられた。駅はリニューアルされたものの、駅前の右側にある6階建てのビル『ララカオヤ』は2021年に閉館されている。解体する方針のようだが、解体予算が5億から15億になったためか、解体時期は未定となった。乗り換え時間が40分以上あったので、駅裏の西友で買い物した後、旧林家住宅に立ち寄った。
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