ご近所で講中の方が亡くなられた。76歳、がんだったそう。若々しく笑顔が暖かな親しみやすい方だった。私がお嫁に来てから、講中の付き合いに姑さんの代わりに出だしてからズッとのお付き合い。今日の告別式の挨拶で息子さんが言われたが、連れ合いを亡くされてからドッと弱ったと。組合の出事でお会いすることが段々少なくなり、ズッと息子さんが出て来られていた。
話がそれるが、ここのお嫁さんは近所との付き合いには没交渉で、お嫁に来られてから20年以上経つがお顔をシッカリ見たのは今日を入れても2,3回。全て夫さんが出て来られる。
昨日の通夜までは亡くなられてもまだ〇〇さんだが、今日のお式で人ではなく仏様になられたのだ。通夜の席でお坊さんが話してくださった。うちは神道だから神様になるらしい。別になりたくないけど。76歳という年を聞き、あと私は〇年か…と考えてしまった。最近死亡記事を見ると、「この年だと、もう私は死んでる」「この方の年ならあと〇年生きていられる」なんて、つい残り時間を考えるようになった。身近な人の死ってたまらない。お花を棺に入れる時、あの暖かな笑顔が浮かび、化粧してあっても余りに変わられたお顔に涙が出る。死というと彼の体のあの冷たさを思い出す。暖かな人間の体があんなにも冷たくなるなんて、触れたものでないと分からないだろう。あの冷たさと、斎場で扉を閉めスイッチを押したとき、やっと死を実感する。でもそれは少しの間で、やっぱり何年も何年も身近に気配をかんじ、ふと声をかけたり、手を伸ばしたり…・が、何度もあるのだが。
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