夏にポーラ美術館を訪ねて、藤田嗣治展を観た。
「レオノール藤田」のことを、僕は当初はあまり好きになれなかった。
いろんなエピソードは伝え聞いてはいたけれど、そのことごとくが、
若かった僕には、よく理解できていなかったこともある。
だって、生涯に妻が5人いたとか。。。って、戦国大名かっ(・o・)?!
ピカソだって、公には3人くらいだったよね?!。。。とか(^ω^ゞ
作品以外のエピソードがなにかと派手だったりするのも、なんとなく気に入らない。。。
というか、作品よりも、そういうことばかりがクローズアップされていて、
辟易としていたというのが正直なところ。
華々しいエピソードに悲しいエピソード。
人間像よりは社会と歴史に、良くも悪くも翻弄されまくった画家というイメージの方が先に立つ。
逆に問いたかった。
エピソードなしで成立する作品はないのか?
あるいは、僕の出会い方があんまりよろしくなかったせいかも知れない。
実際に観た作品にもピンとくるものがなくて。
当時僕が観たのはずいぶんと偏っていて、今にして思えば小さな作品ばかり。
そのくせ、やたらと人気がある。。。なぜ?
このときにネガティブな方へと思いが傾いてしまった。
まったくごくごく私的なことがきっかけで、僕の中で「藤田嗣治」という画家がポジティブな存在へと一転した。
こういう存在は僕にとってはとても稀。
わからなかったことがわかるようになったというよりは、
出会う前に評価なんかしてはいけない!ということを学ばされた。
忘れられない思い出があって、それはちょっと内緒なのだけど、
あの一件がなければ、
こうしてさっちゃんと展覧会を観に来ることだってなかっただろうな〜、
と夏の箱根で思った。
夏の箱根は百合の花が印象的だったのだけど、
このときの展示作品に百合の花が描かれているものがあった。
いいタイミングで見れたとうれしかったのだけど、
よくよく説明を読んでみると、驚いた。
「丹沢」を歩いた後に、この作品に「丹沢の花々を描き込んだ」という。
「丹沢」は僕もかなり歩いた。
表丹沢と西丹沢のいわゆる登山道と呼べる道なら、ほとんどを歩き尽くした。
丹沢にこんなに美しい花が咲き乱れるという印象はあまりない。
それは僕が山歩きをしていた季節にもよるのだろうけど、
画家の目には丹沢がこんなにも美しく見えていたのか?と思うと、それだけで驚愕だった。
戦後すぐの頃で、藤田が日本を出ていく前の画業。
作品は、藤田と一緒に丹沢を歩いたというその人に捧げられている。