先月末が初日だった「須田悦弘展」。
幸運なことに、僕らは2人して初日に松濤美術館を訪ねることができた(*‘ω‘ *)♪
「久しぶりに電車に乗ったね♪」と、さっちゃんは話すのだが、だいたい、電車に乗って喜んでいるというあたりで、今年の僕らがいかに余裕がなかったのかを痛切に感じる(^o^;)
それと(*^ω^)b
思い返せば、前回電車に乗った時というのが、やっぱり松濤美術館を訪ねた時で。
その時は「杉 . . . 本文を読む
クルマで10分ちょっとのところにある美術館「JAM」。
近いという気安さもあって、気に入った展示には何度となく足を運んでしまうのだが、繰り返し眺めるのは、画家の眼差しに思わず共感してしまうからでございまして(^^ゞ
これはやはり、画家の力なのではないかと。それに誘われてしまうから、というのが、本当ということを思い知らされるこの頃。
なにか別の要素があるとすれば、立地かな(^o^;)
麻溝公園、相模 . . . 本文を読む
女子美美術館(通称JAM)では、独自のコレクション展を定期的に開催しているのだが、これが本当に「独特」で(*‘ω‘ *)
女子美が輩出した芸術家の作品などは、美術館がすでに収蔵している作品に加えて、例えばご遺族の寄贈によって、これ以上を望めないほどのコレクションが実現していたりする。
余所では観ることが叶わない質の展示に接することができるので、展示数の多寡などを越えて、侮れないレベル。。。いや、そ . . . 本文を読む
やりたいことなのに、まったくできていない。それどころか、どうやったら手を付けることができるのか?さっぱりわかっていないっていうことがいくつかある。始めるまでにいたっていない。にも関わらず、長らく「やらなくちゃ」と思っていることを、いったいいくつ抱えているのか?
う~む(´ε`;)
始められないのには、明確な理由があるわけだが、これがいつまでたっても解決しない以上、ひょっとしたら永遠にやらせてもらえ . . . 本文を読む
町田には、月イチで必ず用事がある。そのタイミングで版画美術館に寄るのはいつものお決まりのコース。お気に入りの展示があれば何度でも見に行くのだが、無料の常設展の見ごたえもなかなかなのだ(*^ω^)b
ところが、前回はちょうど展示替えの最中で。それなら年末にでも、と思ったのだけど、そこからほぼひと月、ちらっとも行けないまんまで、結果的にひと月スキップしてしまった(^o^;)
年度ごとに、新しく収蔵し . . . 本文を読む
「浮世絵」を飾ろうと考えてみたことがあるのだけど、好きならいいか?というと、どうもそうはならない。
先日、そんな話を、とある方とした。
「それはね。ある意味、正しいんですよ。浮世絵っていうのは、基本、手で持って眺めるものだったわけなので。」
なるほど(*‘ω‘ *)!
「額装すれば、それはもちろん額装できちゃうんですけど。もともとは、とっても庶民的なもので、ワンコインとか、千円札で買えてしまうくら . . . 本文を読む
狩野永徳筆 安土城図屏風 想像屏風風 姫路城図
あんまり長い作品名なので、これを覚えることに意義を感じないが、失われた「安土城図屏風」を想像するというきっかけには十分過ぎる眺望。
なんとも言えない仄かな色味を帯びた、朝の「姫路城図」。「姫路城」とは、こんなに雄大な姿をしていたのか?と、新鮮に驚く。ひとつの歴史的建造物であり、すでにアイコン化してしまっている「姫路城」。だが、「屏風」の中でそびえ立 . . . 本文を読む
「屏風」に、日常生活で親しんでいる人というのは、どんな風に暮らしているのだろう?
僕自身は「屏風」を実生活で使ったことがない。いまいち、実際の「使い勝手」というか、その有用性についての実感を持っていない。
現実の生活シーンのどこにも「屏風」を立てられるスペースはない。
まことに縁遠い、はずなのである。
であるにも関わらず、「屏風」のある景色について、僕の意識はなんの抵抗もなく、むしろすんなりすぎる . . . 本文を読む
どうということのない、素朴な、ともするといたずら書きのような、「シャガール」風の(と、ご本人がおっしゃる)「画」が描かれた時計の文字盤。登場人物は、おそらくは作家自身やそのパートナーと推察される。結婚してすぐにハネムーンに出かけた様子にも見えるのだが、それにしても明るい夜。人のいない、妙な感じにカーブしている夜道を「自転車」に「二人乗り」で、ハネムーン(*‘ω‘ *)?
なんだか、古い映画のように . . . 本文を読む
姫路で開催されていた「本歌取り」という展示はなかなか壮大な様子で、できることなら行ってみたかったのだけど、まことに残念ながら、姫路までは行けず(´ε`;)
ただ、その展示の「東下り」ということで、別趣の展示を渋谷で開催しているとのこと。
天気のよい秋のある日に、行ってまいりました(≧∇≦)b
展示「本歌取り」そのものとはだいぶ様子は違うようなのだけど、「本歌取り」の「本歌取り」みたいな、セルフ・ . . . 本文を読む
さっちゃんが「もう、暑いのは飽きました」と、まるで僕が言いそうなことを先んじて言うので、軽く驚いてしまったのだが、この頃の暑さには僕もうんざりしている。これは確かにそうなんだな(^ω^ゞ
さっそく暑さにも飽きた三連休のど真ん中。版画美術館の常設展を見てきました(*^ω^)♪
こないだ、Y君にカットしてもらったその帰りに美術館に寄ってみたのだけど、今回の常設展こそさっちゃんに見せなきゃと思っていた . . . 本文を読む
画が1枚。飾るべき場所に収まるだけで、なんとも言えない穏やかな満足感がある(*´ω`*)♪
夏に手に入れた作家公認のコロタイプ版20枚。
ここから、1枚、「野辺小禽」を額装した(*^ω^)♪
なんとか年内に間に合いましたな(^ω^;)
「やっぱり、よいものはよいですね♪」
さっちゃんがうれしそうなのがよい(*´ω`* . . . 本文を読む
さっちゃんのお誕生日から始まって、11月の終わりまで、ほぼひと月半の間はわが家的祝祭モード。
それが終わり12月に入れば、すっかり年末モードだし、クリスマスにかまけていたりすると、あっという間にお正月がやってくる。
2022年に限らず、いままでを振り返るに、やり残したことのあまりの多さに、呆れるのを通り越して、ほとんど諦めに似た思いがするのだが。。。これを素直に口にしてしまったら、さっちゃんか . . . 本文を読む
長谷川潔氏がまったく同じモチーフ、まったく同じタイトルで2度も彫った作品がある。
「水浴の少女と魚」。
初めの作品は1925年。氏34歳のときのもの。
もうひとつは1971年。氏80歳。
銅版画としては、おそらくは氏の最後の仕事と言うべき作品がこれにあたる。
シンプルな画題は氏の真骨頂ではあるけれど、初めの作品は小さいながらも、後のマニエール・ノワールの傑作群を予感させる画だなぁと、若い . . . 本文を読む
古い画集を立て続けに入手したことで、思うことというのが山ほどある。出版当時にあってはやたらと高額だったはずの画集ばかりなのだが、出版に高い志が確かにあったことを、ひしひしと感じるのだ。
山田五郎さんがYou Tubeでおっしゃっていたことを思い出した。
作品集や画集を製作するにあたって、オリジナルの再現率というのは、どれほどの努力をしても限界がある。
当時、印刷所にいた「印刷 . . . 本文を読む