先日の旅行で、東大寺に行ってきました。
大仏様にお会いするのは、実に中学の修学旅行以来。
当時、その大きさと風格に感動したことを覚えています。
そしてまたあの感動が味わえる!
と私はワクワクしていました。
ところが、期待値が大きすぎたのか?!
大人になって私の経験値が上がったせいなのか?!
期待していたほどの感動はありませんでした。
大仏様の実際の大きさは同じ。
変わったのは見る側の私です。
本音を言うと、少しガッカリしてしまったのです。
やはり二度目の感動は、初めてよりも小さくなってしまう、、、
それは当たり前のことですが。
その夜、浅い眠りの中、、、
私は黒い大きなマットレスのようなものの上に座っていました。
立ち上がって辺りを見ると、そこはなんと大仏様の手のひらの上🫲
見上げると大仏様の優しいお顔があり、全て見抜いている、そんな眼差し。
お言葉はありませんでした。
大仏様が私の夢に?
思い当たるのは、当然あのこと。
昼間、大仏様の大きさに物足りなさを感じ、この程度だった?
と思ってしまったこと。
その時の私には、確かに思い上がりがありました。
そしてまた、これまでのスピリチュアルの学びを、実践できていないことにも気がつきました。
目で見えることだけで判断するのはNG、それが全てではないのです。
心の目で見ることが大切なのは、十分わかっているつもりでした。
自分のフィルターを通さず、無になって大仏様と対話する姿勢。
そういう状態の時がスピリチュアルに繋がる、、、
わかっていたのに、その時の私はそれをすっかり忘れていました。
結局、なんだかんだ偉そうに言っても、私は大仏様の手の上で転がされていることを悟りました。
(大仏様は宇宙を表すらしいので、手のひらにいる私も宇宙の一部なんだな、とも感じました)
一緒に行ったお友達はスピ好き。
翌朝、私は二人に聞いてみました。
「昨日、沢山の仏像を見たけど、夢でどなたか現れた?
私は大仏様が現れたよ。
大仏様の手のひらの上にいたの」
「そうかあ、すごいね、
大仏様が出てきたんだ」
すごいね、なんてお友達に言われて、私はその後、何も言えなくなってしまいました。
叱られた子供のように、なんかバツが悪い、大仏様は私を諭すために現れた、とは言えなくなってしまったのです。
私はついお友達の前で格好をつけてしまったのです。
う〜まだまだ私は十分に小さい😅
ですよね〜。