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「人生にカラーパワーを!」

エッセイ No.3 「吉祥天と私」

2023-05-22 19:27:50 | エッセイ

第3回の今回は、吉祥天とのご縁のお話です。

 

私は2013年、2014年と続けてそれぞれ別の病気で手術を受けています。

 

そして2019年にもまた別の病気で手術を受けることになり、それはかなりのショックで、目の前が真っ暗になりました。

 

「またか・・・」

 

大病、手術、後の体調・精神不良、経過観察、元の日常に近づくまで大変な道のりになることはわかっていました。

 

「放っておけば必ず寿命が短くなるらしい。

でも手術は、もうたくさん。

自分だけの人生を考えたら、、、

手術をせずにもう人生を諦めてもいい、、、」

 

この10年で立て続けに大病の手術をした私。

術後、やっと日常の生活を楽しめるようになったと思ったら、また闘病生活になってしまう、、、

そんな繰り返しに嫌気がさしていました。

 

でもその思いを打ち消すもっと強い思いが、私にはありました。

 

「やはり子供たちを残してまだ逝けない」

 

人は誰かのために生きる方が長生きする、と聞いたことがあります。

自分のためだけの人生だったら、

私は人生を簡単に諦めていたでしょう。

 

そして、こんなにしんどい時でも平常心を保つよう努力できたのは、自分の中にスピリチュアル世界観ができたおかげでした。

 

 

入院前、私はいくつかの神社仏閣へお参りに行きました。

 

行けるだけ、ぎりぎりまで。

 

多くのスピ界(スピリチュアル世界)の皆様とのご縁をいただくことが、その時の私の心の安定に繋がったからです。

 

最後のお参りは帝釈天になりました。

 

帝釈天には一粒符という服用する特別なお守りがあり、そのお守りを入院前にいただきたかったのです。

 

でもいざ服用しようとして不安に。

 

「飲んで大丈夫?

入院前にもしお腹が痛くなって、入院できなくなったら大変。

これって成分は?」

 

私は躊躇してしまいました。

 

スピリチュアルではこの時点でアウトですよね。

信じなければ救われないのだから。

 

飲むか?

飲まないか?

 

私はペンデュラムでスピ界からメッセージをもらうことにしました

 

結果は、No.

 

「あっ、今は飲まない?!

でも入院前に飲もうと思っていたから、今でないとしたらいつ飲む?

 

まっいいかあ、

とりあえず神棚へ置いておこう」

 

結局入院前に、私はそのお守りを服用しませんでした。

 

 

仏界の天部というグループについて、私はほとんど知りませんでした。

知っていたのは、帝釈天、毘沙門天、弁財天や四天王という呼び名。

 

帝釈天はブッダ(釈迦)の守護神、戦闘の神であり恵みの雨をもたらす天候の神です。

 

帝釈天について調べていた時、突然、ひらめきが降りてきました。

 

「カードを持って行く!」

 

当時、私はオラクル系カードを10種類以上持っていました。

 

実は私自身お守りとしてフェアリーカードを持っていこう、と思っていたのです。

でもスピ界からのお勧めは、女神カードでした。

 

私はお勧め通りに女神カードを持って入院することにしました。

 だだ入院生活は大変で余裕がなく、結局一回もカードを引くことはありませんでした。

 

 

手術直後は浅い眠りが続き、沢山の映像が現れました。

大半は景色だったり、人の流れだったり、日常だったり、、、

時代や国が今とは違う感じでした。

いわゆる前世の記憶を見ているような感覚。

 

途切れ途切れの合間に、私はふと思いました。

 

「そうだ、聞いてみよう。

天界の皆様、手術も無事に終わったようです。

ありがとうございました。

私の所に来ていただいている天界の方はどなたですか?」

 

今思えば、その時点でもうメッセージを受け取っていたのかもしれません。

いつもはスピ界と言っている世界観を、その時の私は無意識に、天界という言葉にしていました。

 

少しするとまた映像が現れました。

 

仏像?が横になり、こちらを見ています。

 

「武人?男性?」

 

その男性の奥には階段が見えました。

よく見ると、階段の1番上に大きな箱があり、その中には女性がお顔を両手で隠して立っていました。

 

その女性が着ている赤い着物が輝いて見えて、とてもキレイでした。

 

「どなたですか?

お顔が良く見えないので、こちらに降りてきてください」

 

私はお願いをしました。

 

するとその女性が恥ずかしそうに手で顔を覆ったまま、ゆっくりと降りてきました。

 

そしてその手をどけて、、、

 

見えたお顔は、、、

 

 

「えっ?! ぷっくら丸い!

確かお笑いの人で、こういう感じの人、いた。

太っていて踊りが上手なあのタレントさんに似てる!」

 

スポットライトに照らされ、まん丸のお顔が浮かび上がり、恥ずかしそうにしています。

 

そのお顔は私の想像とはあまりにも違っていました。

 

そこで目が覚め、私は我に返りました。

 

「何これ? 

これ、スピリチュアル?

つらい時ほどお笑いが大切、といつも思っているから、こんなお笑いショーのような映像が出てきたの?!」

 

完全想定外の映像に、私の頭は大混乱。

この時には、この女性が吉祥天とは夢にも思いませんでした。

 

 

そして退院。

 

手術は成功したものの、やはり大切な神経に気をつけなければならない繊細な部分の手術。

術後、二重に見えてしまう複視になってしまいました。

 

「3か月で治ると言われたけど、治らない場合もある。

片目での生活はつらい」

 

ここでまた、ひらめき!

 

そうだ、神棚の一粒符!

 

「すっかり忘れていた。

入院前に飲まないでとっておいたのは、きっとこの時のためだったのだ」

 

必死に祈りながら、私は小さな赤い粒を大切に頂きました。

 

そしてありがたいことに、3か月よりも少し早くに回復できました。

 

目の焦点が戻りスマホが使えるようになったので、私は気にかかっていたことを色々検索。

 

スピ界のつもりで天界という言葉を無意識に使ったのが気になっていた私は、入院前に最後にお参りをした帝釈天についてもう一度調べることにしました。

 

そして天部界の女性には、弁財天以外に吉祥天という天女もいることを知りました。

 

さらに、ある記事を見てビックリ!

 

「浄瑠璃寺に祀られている吉祥天像は重要文化財で、厨子の中に収められていたので色彩がきれい」

 

という記事とともに、写真が、、、

 

 

「なんと、私が術後に見た女性にそっくり!

 

お笑いの人に似ていて滑稽にさえ思ったけど、まさか吉祥天だったとは、、、

なんて失礼なことを思っちゃったんだろう。

 

箱の中から顔を隠して恥ずかしそうに出てきたのは、厨子の中の秘仏だったからか~。

納得!

面白すぎる」

 

入院前、帝釈天を調べた時は、吉祥天までは行き着きませんでした。

 

厨子の中の秘仏の吉祥天が存在することも知りませんでした。

 

とすると、夢で現れた吉祥天はどこからの情報?

 

記憶にない情報でも、突然頭に出てくることがある、、、

 

これに関しては、私なりの持論があります。

それはまたの機会にエッセイにしたいと思います。

 

 

さらに超偶然なスピリチュアルと言うべきことがもうひとつ起きていました。

 

吉祥天にはルーツの神様がいます。

もちろん入院前には知りませんでしたが、それはインド神話のラクシュミー。

 

「インド神話の女神? 

女神と言えば、もしかして持っていった女神カードの中にラクシュミーがいる?」

 

吉祥天という女神の名はカードにはなかった気がするけど、インド神話の女神ならいそう。

 

カードを見たら、、、

ラクシュミーがいました!

 

「そうか、だから女神カードを持っていくようにと天界からメッセージがあったんだ。

またまた納得。

すごい一致!」

 

私の所に来て助けてくれたのは、お笑いの人ではありませんでした。

守ってくれたのは、吉祥天でした。

 

そして調べてわかったのは、吉祥天の夫が毘沙門天ということ。

 

横になっていた男性は毘沙門天?

 

でも横になっている毘沙門天の姿の像は、この世にはないようです。

 

横になっている仏像、といえばお釈迦さまの涅槃像が有名ですよね。

 

今は、そのお姿がよく思い出せません。

毘沙門天であったのか?

涅槃像であったのか?

はたまた別の方か?

 

その男性が誰であったのか、いつか思い当たることに出会えれば、面白いですね。

 

その時そうなる理由はわからなくても、後になってスピリチュアル的に理由がわかる楽しさを、今回も味わうことができました。

 

超偶然、スピリチュアル体験は私の人生の中の宝物の一つです。

 

単なる偶然と思っていることが、それはもしかしたらスピ的超偶然かも。

皆さんも偶然の出来事に興味を持って、アンテナを張ってみてくださいね。

そこに面白いことが隠れているかもしれません。

 

長い話にお付きあい頂き、ありがとうございました!

 

☆先日、浄瑠璃寺の吉祥天にお礼参りに行ってきました。

思っていたより小さく、可愛いらしいお姿でした。

お笑いショーのタレントみたい、と思ってしまい、本当に本当にごめんなさい、でした。

そしてこのことは、私の想像していた神聖な雰囲気とは違っていた、という意味であり、決してお笑いショーのタレントさんを軽くみているわけでありません。


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