cowboy-平松の部屋

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オレのBIKEを作れ、勝ってやる。16インチの乗り方はな、オムスビタイヤといっしょだぜー

2019-04-16 23:21:14 | 阿部語録ーHRC時代
阿部語録ーHRC時代ー4

 オレのBIKEを作れ、勝ってやる。16インチの乗り方はなー、オムスビタイヤといっしょだぜ
実は私はHONDA(HRC)に移籍して、阿部ちゃんのBIKEは設計してません。阿部ちゃんはワークス
系をテストしており、私は市販レーサーを担当しています、、ワークスチームはスタッフが多い為、設計がテスト
に立ち会うことが少ないですが、市販チームは私もテストに立ち会います。そして、市販RS250Rの
フロント16インチタイヤで四苦八苦している私をみて、”平松、オレのBIKEを作れ、勝ってやる、”そして、
フロント16インチの乗り方がある、昔の オムスビタイヤはなあ中間バンクは使えないんだよ、16インチも
同じようにペタット寝かして、グリップを、得るように乗るんだよ
” 事実 レースで勝ってくれました。
そして、ここからが阿部ちゃんの本骨頂(解説です) 16インチも17インチも同じ接地面積(グリップ)を
得る為には 16インチは丸く(幅が広く)、17インチは細長く直進性がでるよなー、16インチは幅が広く
寝かし込み中間でのフラフラ(幅が広い分外乱を受けやすい)をペタットねかし、フロント接地(グリップ)を
軸にRRスライドで方向を変える乗り方が出来たら、速いんだよ。解るかな、K・ロバーツがダート出身で
そのコントロールが巧い、サーリネンはアイスレース出身でそのコントロールはもっと、巧い。そのENGコントロールは
パワーじゃないんだよ、アクセル開度に合った出力なんだよ(いつもの名言)。  W-GPでダンロップの
エンジニヤが16インチはファッションだと言ってました(私はKR500の時にそう言われました)。F・スペンサー
も16インチはコントロール出来たと思います、でもヨーロピアンは17インチ系をチョイスしそうですね。
大岡サバキ(双方0.5インチの損)で16.5インチになったでしょう、納得がいきますか。
現在は17インチになっているようですね

プルプルは最高なステダンなんだ、F.タンクの形状も重要なんだよ

2019-04-16 23:03:42 | 阿部語録ーHRC時代
阿部語録ーHRC時代ー2

  プルプルは最高なステダンなんだ、フューエルタンクの形状も重要なんだよ  
ステダンを超硬くすると真っ直ぐ走りません蛇行します、ストレートで蛇角が左、右、と残り蛇行するの
でしょうね。当然この様な状態で外乱が入ったら後輪までフラレ転倒する事があるでしょう。
旋回性を重視しトレール量を90mm位に設定したレーサーはハンドルがフラレる事があります
初期のフラレを走行安定性に悪影響およぼさない程度にステダンの減衰力をセットします。
それ以上のフラレはフューエタンクの横腹部(サイド面)に前腕部(肘と手首の間)の内側の肉を当てる。
ようするにエルボーグリップです。阿部曰く、”プルプルと自分の肉で吸収するんだ、強く押さえたら
後ろまでフラレてしまうぞー、オレの肉は伊達についてないんだ
” ニーグリップ(膝でフューエルタンクを挟み
込む)も しっかりしないとプルプルをコントロールできないんだ。だからオレはライディングポジションには、厳しく
言ってるだろう。と、私はこれがBIKE作りの基本だと阿部ちゃんに教えこまれました。
プルプルでレーサー特有の旋回性(トレール90mm)を確保するのが俺らレーサーのテクニックなのだとも阿部
ちゃんは言っていましたね。
 そのフラレはシミー(小)、ウオーブル(中)、キックバック(大)と呼ばれてて、各々、フロントの操舵系の固有振動数
と、車体全体の固有振動数、タイヤ等の固有振動数が各々の回転数(スピード)で合致(共振)すると
発生する事がある、固有振動数は各々の部位の強度、剛性、質量、弾性等で変わるもので、ホイールの
なん回転(スピード)、ENGのなん回転で共振するか各BIKEで異なる、また、シミー(チャタリングと表現するかも)
程度で終息するか、ライディングに支障をきたすウオーブルに発生(拡散)するかもBIKEにより異なる、
私の経験では、組み上げたばかりのBIKEで、よく共振を経験しました。技術屋用語として使いたく
ないが。ナラシ、ナジミによる、共振の軽減はありました。

スズカでのレースで あるライダーの○△□の形状を阿部ちゃんに話したら、絶句してました、
そうだったのか! オレがいたらなーて。でも、この詳細は文言として残せないので、
小さな講演会等ではお話します。呼んで下さい。

「朋有り、遠方より来る亦楽しからずや」

2019-03-13 16:47:39 | 阿部語録ーHRC時代
阿部語録 HRC時代ー1

「朋有り、遠方より来る亦楽しからずや」 美味しいお酒

やっぱりこれか一番かな、”平松、冷凍庫にサンマがある、焼いて来い、飲もうぜ”
そして、”朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや”
阿部ちゃんと飲みたいな。入野(浜松)のバイクショップ・アベの2Fは居間になってて階段を昇ったら、
即キッチン、冷蔵庫があってね、漁師アベの釣り餌のサンマが冷凍庫に四角に固まっているんです。
平松、冷凍庫にサンマがある焼いて来い、飲もうぜ 3人分な”そして、日本酒を冷やで飲み明か
すんです。阿部ちゃんの嫁さんのチエコさんもいっしょ、ウチラよりお酒は強いですが、あんた達に
付き合ってられないよって、先に寝てしまいます。お酒は楽しく、酔う為に飲みます、阿部ちゃん
と飲むのは最高でした。
阿部ちゃんがガンの手術した後、チエコさんから浜松の病院から沼津の病院へ転院し手術してもら
いました、退院したから、浜松に遊びに来てと連絡がありました。
 スズキ時代の仲間(同期)には増田耕二、松本満男、池田勝、阿部ちゃん、平松、喜多君達が
居まして、彼達と佐鳴湖畔のスズキ体育館でトレーニング(体を動かしていました)してました、バスケット
など、体と体が接触するスポーツは、阿部ちゃんと松本がいつも取っ組み合いで Tシャツ・ビリビリの
沖識名(プロレスのレフリー)状態で思い出します、寮では阿部ちゃん、増田耕二、私と3人で牡蠣酢で
パーティー、次の日 出社したのは私一人、どちらかが入院したかな。
 そんな仲間の増田耕二さんと2人で退院祝いに浜松に伺いますと(当時増っさんはHRCーMXの監督)
阿部ちゃんが”朋有り 遠方より来る また楽しからずや”とたいそう喜んでくれました。その時
は、しこたまは飲めませんでしたが、美味しいお酒でした、そして、絶対にに復活するんだと、ポーズを
いっしょに撮った写真があります。
でも、58歳で他界、はやすぎるよ


*オレ、阿部ちゃん、増田耕二さん