HRCの設計者工藤隆志君が2020年死去され、追悼文を工藤君の弟さんにお送りしました。
以下 工藤隆志君の弟さんにあてたメールです。
私、平松絹男は1949年(昭和24年)生まれで、工藤君より6歳ほど年上だと思います。
スズキ、カワサキを経て、32歳の時にHRC(工藤君と同じ)に中途入社しました、ロードレースのフレーム設計者です。
雑誌記事(平松絹男でHITします)も書いており、また、ブログ(平松の部屋・COWBOY-平松)も書いており、
読んでいただけたら、私なりが解ってもらえると思います。
そんな私が同業者(フレーム設計者)で面白い設計者、特異な設計者、技術者だなと感じたのは工藤君でしたね、
私に持ってないモノを沢山持っていましたね、次に何やらかすんだと注目していました。
HRCは工藤君の個性を引き出しきれたのかな、またHGAで訳の解らん(私にとって、失礼)組織の中でのカツヤクはちょっとは
伝わってきていましたが、会社側から見ると、工藤君より思考的(技術的)に上位の人間がいなかったので、
使いきれなかったと思います。 工藤君は素晴らしい技術者でした。
工藤君と付き合いのあったライダーに訃報を伝えると、えっうそー、工藤さんの作ってくれたVF400のプロアーム
の剛性は的確でスムーズにスライドが出来、ENGもキャブもSTDだけど、タイム出ましたよ、又アジャストのたくさん付いた
RRサスも嬉しそうに持ってきてくれましたよ、と私に話してました、ライダーの要求するマターが解っていたんでしょうね。
それ、設計者にとって非常に重要なマターなんです、私は阿部ちゃん、利一さんから叩き込まれましたが、
工藤君は何処からそのマターを得られたのか、一度飲みながら聞き出したかったです。
そのライダーが言ってました、工藤さんテスト中なのに鈴鹿のスタンドで飲んでましたよ、いいのかなー。いいです,時効です,
工藤さんいろんな意味でセンス(マターを持ってる)のある素晴らしい設計者でした。
私がカーボンフレーム(ツインチューブ)を提案して、(カーボンの)作り方に四苦八苦しているの見て、工藤君はアルミの日の字、目の字
の押出材をさっさと作り(型費が40万ぐらいです、高くないですね、でも私はそのような発想はその時まだ無かったです)
さっさとアルミのツインチューブを作ったのは工藤君でしたね、当初はVFR400だったとおもいます。それから
NF5で、私の機種ですがアルミツインチューブフレームの設計を彼に依頼しました。
VFR系のプロアームもとんでもない、仕様で、加工屋さん泣かせでした、ブロックから薄い壁を削りだすという難技術でしたが、
加工屋さんの加工技術の修練の末、軽量のとんでもないプロアームが出来たようです。(出来るのが解っていたようでしたね)
上記のライダーとはBBの小園さんです。仕様ががぴったり合ったんでしょうかね。リヤのスライドがスムーズだと言ってました。
そして小園さん(ライダー、試作屋さんでもある)は、0.4mmの Ti チャンバー、EXhだったかな作らされたようで、
今でも、苦労した記憶があるとのことでした。
工藤君の設計は、2Kテストで壊れた箇所を設計修正するやり方でしたね。2K担当者が嫌な顔で報告すると、
工藤君は、やっぱりねって顔してました。予測していたようです。私は安全率1.25位で設計しようとしてますので、軽量化は
苦手でした。工藤君は安全率1.1~0.9位を目標にしていたようですね、軽いフレーム、スイングアームが出来たようです。
どこを根拠にそんな設計が出来るのか、不可思議な奴でしたね。質問しても、いつもニタニタ、私から見ても不可思議で
私には無い物を持った設計者でしたね。
10~12年前に私が定年後も開発していた(上記のライダーと共に、茂木のW-GPの参戦した)、Wスイングアームの
英文の資料(カワサキ時代の)を工藤君が興味があるとのことでお渡ししたことがあります、
在職中に知りえた技術がどうのこうの言いたい奴もいましたし、もしありましたら、平松まで返送していただくか
焼却処分ください。もし返却していただけたら、そのライダーと私と工藤君(写真)と飲みます。
このWスイングアームに興味を示したのはHONDAでは工藤君と,宮腰さん(W-スイングアームの出願多数あり)でしたね。
HGAの連中は、スイングアームが一本増える、コストが上がるから要らんでした、(ノーノー)技術集団でしたね。
私が退職後小園さんに開発したいと話したら、私財でWスイングアームの開発にのってくれたんですよ、W-GPに出場しましたね。
W-スイングアームは私のブログ(平松の部屋)に記してあります、お読みください。何かヒントありますよ。
速いBIKEのコーナー出口写真を見ると後輪がアウト側にスライドしています。各フレーム部位の剛性バランス、エンジンの出力
とのバランス等、ライダーが感じコントロールしなければなりません。レースBIKEを設計するのにはセンスが必要ですね
工藤君はユラリノラリと我をトウシていたようですが。センス(マターを持ってる)のある不可思議な設計者でしたね。
COWBOY-平松
以下 工藤隆志君の弟さんにあてたメールです。
私、平松絹男は1949年(昭和24年)生まれで、工藤君より6歳ほど年上だと思います。
スズキ、カワサキを経て、32歳の時にHRC(工藤君と同じ)に中途入社しました、ロードレースのフレーム設計者です。
雑誌記事(平松絹男でHITします)も書いており、また、ブログ(平松の部屋・COWBOY-平松)も書いており、
読んでいただけたら、私なりが解ってもらえると思います。
そんな私が同業者(フレーム設計者)で面白い設計者、特異な設計者、技術者だなと感じたのは工藤君でしたね、
私に持ってないモノを沢山持っていましたね、次に何やらかすんだと注目していました。
HRCは工藤君の個性を引き出しきれたのかな、またHGAで訳の解らん(私にとって、失礼)組織の中でのカツヤクはちょっとは
伝わってきていましたが、会社側から見ると、工藤君より思考的(技術的)に上位の人間がいなかったので、
使いきれなかったと思います。 工藤君は素晴らしい技術者でした。
工藤君と付き合いのあったライダーに訃報を伝えると、えっうそー、工藤さんの作ってくれたVF400のプロアーム
の剛性は的確でスムーズにスライドが出来、ENGもキャブもSTDだけど、タイム出ましたよ、又アジャストのたくさん付いた
RRサスも嬉しそうに持ってきてくれましたよ、と私に話してました、ライダーの要求するマターが解っていたんでしょうね。
それ、設計者にとって非常に重要なマターなんです、私は阿部ちゃん、利一さんから叩き込まれましたが、
工藤君は何処からそのマターを得られたのか、一度飲みながら聞き出したかったです。
そのライダーが言ってました、工藤さんテスト中なのに鈴鹿のスタンドで飲んでましたよ、いいのかなー。いいです,時効です,
工藤さんいろんな意味でセンス(マターを持ってる)のある素晴らしい設計者でした。
私がカーボンフレーム(ツインチューブ)を提案して、(カーボンの)作り方に四苦八苦しているの見て、工藤君はアルミの日の字、目の字
の押出材をさっさと作り(型費が40万ぐらいです、高くないですね、でも私はそのような発想はその時まだ無かったです)
さっさとアルミのツインチューブを作ったのは工藤君でしたね、当初はVFR400だったとおもいます。それから
NF5で、私の機種ですがアルミツインチューブフレームの設計を彼に依頼しました。
VFR系のプロアームもとんでもない、仕様で、加工屋さん泣かせでした、ブロックから薄い壁を削りだすという難技術でしたが、
加工屋さんの加工技術の修練の末、軽量のとんでもないプロアームが出来たようです。(出来るのが解っていたようでしたね)
上記のライダーとはBBの小園さんです。仕様ががぴったり合ったんでしょうかね。リヤのスライドがスムーズだと言ってました。
そして小園さん(ライダー、試作屋さんでもある)は、0.4mmの Ti チャンバー、EXhだったかな作らされたようで、
今でも、苦労した記憶があるとのことでした。
工藤君の設計は、2Kテストで壊れた箇所を設計修正するやり方でしたね。2K担当者が嫌な顔で報告すると、
工藤君は、やっぱりねって顔してました。予測していたようです。私は安全率1.25位で設計しようとしてますので、軽量化は
苦手でした。工藤君は安全率1.1~0.9位を目標にしていたようですね、軽いフレーム、スイングアームが出来たようです。
どこを根拠にそんな設計が出来るのか、不可思議な奴でしたね。質問しても、いつもニタニタ、私から見ても不可思議で
私には無い物を持った設計者でしたね。
10~12年前に私が定年後も開発していた(上記のライダーと共に、茂木のW-GPの参戦した)、Wスイングアームの
英文の資料(カワサキ時代の)を工藤君が興味があるとのことでお渡ししたことがあります、
在職中に知りえた技術がどうのこうの言いたい奴もいましたし、もしありましたら、平松まで返送していただくか
焼却処分ください。もし返却していただけたら、そのライダーと私と工藤君(写真)と飲みます。
このWスイングアームに興味を示したのはHONDAでは工藤君と,宮腰さん(W-スイングアームの出願多数あり)でしたね。
HGAの連中は、スイングアームが一本増える、コストが上がるから要らんでした、(ノーノー)技術集団でしたね。
私が退職後小園さんに開発したいと話したら、私財でWスイングアームの開発にのってくれたんですよ、W-GPに出場しましたね。
W-スイングアームは私のブログ(平松の部屋)に記してあります、お読みください。何かヒントありますよ。
速いBIKEのコーナー出口写真を見ると後輪がアウト側にスライドしています。各フレーム部位の剛性バランス、エンジンの出力
とのバランス等、ライダーが感じコントロールしなければなりません。レースBIKEを設計するのにはセンスが必要ですね
工藤君はユラリノラリと我をトウシていたようですが。センス(マターを持ってる)のある不可思議な設計者でしたね。
COWBOY-平松