私を育ててくれた人ー5
Rテーマを指示する役員(M腰さん)の技量,私のHRCでの指針となりました。
役員の方から将来役に立ちそうなテーマ(これをRテーマという)が与えられました、”軽いフレームを作れ”
でした、我々のチームはRS500(NS500の市販車)の開発チームでしたので、ENGは3気筒をチョイスし
この時期カーボンが優勢(カーボンホイール等)で、チーム内の材料屋もカーボンのエキスパートですからカーボンに
特化したテーマを与えられたようです。その結果は カーボン・ツインチューブフレーム という結果が
我がチームの答えでした
…その指示に答える方も実力がないとね、Rテーマ+カーボン屋(特性や作り方を知ってる)+平松で
そのコラボでツインチューブと予測していたかも、そうなら指示した役員(M腰さん)の方が一枚も二枚も
上手ですね。役員の技量で将来の技術を開発指示する事になりますから、大変な役です
カワサキで1本サスのレーサーKR250を作ってから、Kのモトクロス設計者がこのリンクサス、モトクロスに使かえな
いかと相談がありました、サスの熱ダレ(当時のレイダウンの最大のネガ)、バネ下重量軽減、マスの集中
等で従来のコンベサスより優位性があり、モトクロスに最適ですと返答し そしてリンク比(プログレ)等伝授し
ました。このプロト車に私(腕前はノービス程度)も試乗し能書きをタレてます。低速の接地感良好、
綺麗にトレースし くるっと 回れるだったと記憶してます。
このカワサキの1本サス・モトクロッサーが、HONDAの地元 桶川大会に出場し 福本(カワサキ)がブッチギリ
ました、役員(M腰さん)はそうとう悔しがったと聞いております。技術屋としてはボコボコに殴られたの
と同じです、熱ダレ、バネ下重量軽減、マスの集中、等に優位性があると気付いたようで、HRC内に
KAWAの一本サスに対抗する技術(超Rテーマ)を開発せよと大号令が出されたようです、
殴られたら即 殴り返す。レースに特化し、結果に直結する開発、HRCならですよね、HGAジャーネーヨ
そこで、HRCの若手が一生懸命考えて ”プロリンク” が考案されたそうです。
その。指示を出した役員が”M腰さん”だそうです。この方は6気筒のENGの図面を画かれて方だと
聞いてます、特許もたくさん取得されてる技術屋さんですね、私は技術屋の証明は取得した特許の
数だとも思っております。そして、ビックリしたのはWスイングアームの出願もしてました、後に特許公報
を閲覧して分かりました。
こんな事も経験させていただきました
HRCを転籍された役員が方(M腰さん)がある飲み会の席で私に言うんです、HRCをなんとか
してくれって、暫くしてHRCを外からみると、そう思われたんでしょうね。私は32歳でカワサキから
HRCへ(定年、60歳まで)28年間アウエイ(私のメインは市販ロードレーサー、ワークスの担当は2度ほど)の中
で頑張りましたが、生涯研究員(組合員)です、位(クライ)を与えないで、何とかしろ、虫が良すぎますよ、
無理、無理
こんな事も経験させていただきました
私はHRC営業にU・ターンしてからもモトクロスの応援で全日本MXを観戦してました。息子が龍一郎の
オッカケだと言って、バンに寝袋と酒を積み込んで、スズカ、名阪、コングランド、菅生、でサインボードに”L1-
ガンバ”。(サインボードを出してた息子、今 研究所に勤めてます) 桶川MXでヤマハの市販MX車に乗る
M木(前年はHRCワークス)にHRCのジャンパーを脱いで私はサインボードに”P5 L3 前追え”と M木 を
応援してました、すると、M腰さんに”他社のライダーを応援するとは何事か”と怒鳴られました。この
M腰さんモトクロスが好きで桶川に観戦に来られていました。M腰さんがHRC・MXの親分の時代に、雨の
泥泥レースのスタートグリッドまで、メカニックに泥が着かぬよう担いで運ばせたとの逸話を聞いております
……(当時の事はライダーに聞いて下さい)。 そして 私が M木 をクビにした訳でないし
(ペーペーじゃクビにする権限はありません)、今でも M木 と友人だし、ライダーとして好きだし、HRCの
ジャンパーを脱いで応援して何が悪いんですか。と言い返しました。M腰さんは”時代は変わったな”
と言ってました。でもM腰さんはHONDA一筋(宗一郎さんとかな)ですね、私はスズキ、カワサキ、HRCと
3社を渡り、BIKEを作る事、ライダーとテストする事が好きなんです。退職後、BIKEを作らせてくれれば、
どのメーカーにも行きますよ。
とにかく、M腰さんは技術者として指導者(?)として私の指針となりました。
Rテーマを指示する役員(M腰さん)の技量,私のHRCでの指針となりました。
役員の方から将来役に立ちそうなテーマ(これをRテーマという)が与えられました、”軽いフレームを作れ”
でした、我々のチームはRS500(NS500の市販車)の開発チームでしたので、ENGは3気筒をチョイスし
この時期カーボンが優勢(カーボンホイール等)で、チーム内の材料屋もカーボンのエキスパートですからカーボンに
特化したテーマを与えられたようです。その結果は カーボン・ツインチューブフレーム という結果が
我がチームの答えでした
…その指示に答える方も実力がないとね、Rテーマ+カーボン屋(特性や作り方を知ってる)+平松で
そのコラボでツインチューブと予測していたかも、そうなら指示した役員(M腰さん)の方が一枚も二枚も
上手ですね。役員の技量で将来の技術を開発指示する事になりますから、大変な役です
カワサキで1本サスのレーサーKR250を作ってから、Kのモトクロス設計者がこのリンクサス、モトクロスに使かえな
いかと相談がありました、サスの熱ダレ(当時のレイダウンの最大のネガ)、バネ下重量軽減、マスの集中
等で従来のコンベサスより優位性があり、モトクロスに最適ですと返答し そしてリンク比(プログレ)等伝授し
ました。このプロト車に私(腕前はノービス程度)も試乗し能書きをタレてます。低速の接地感良好、
綺麗にトレースし くるっと 回れるだったと記憶してます。
このカワサキの1本サス・モトクロッサーが、HONDAの地元 桶川大会に出場し 福本(カワサキ)がブッチギリ
ました、役員(M腰さん)はそうとう悔しがったと聞いております。技術屋としてはボコボコに殴られたの
と同じです、熱ダレ、バネ下重量軽減、マスの集中、等に優位性があると気付いたようで、HRC内に
KAWAの一本サスに対抗する技術(超Rテーマ)を開発せよと大号令が出されたようです、
殴られたら即 殴り返す。レースに特化し、結果に直結する開発、HRCならですよね、HGAジャーネーヨ
そこで、HRCの若手が一生懸命考えて ”プロリンク” が考案されたそうです。
その。指示を出した役員が”M腰さん”だそうです。この方は6気筒のENGの図面を画かれて方だと
聞いてます、特許もたくさん取得されてる技術屋さんですね、私は技術屋の証明は取得した特許の
数だとも思っております。そして、ビックリしたのはWスイングアームの出願もしてました、後に特許公報
を閲覧して分かりました。
こんな事も経験させていただきました
HRCを転籍された役員が方(M腰さん)がある飲み会の席で私に言うんです、HRCをなんとか
してくれって、暫くしてHRCを外からみると、そう思われたんでしょうね。私は32歳でカワサキから
HRCへ(定年、60歳まで)28年間アウエイ(私のメインは市販ロードレーサー、ワークスの担当は2度ほど)の中
で頑張りましたが、生涯研究員(組合員)です、位(クライ)を与えないで、何とかしろ、虫が良すぎますよ、
無理、無理
こんな事も経験させていただきました
私はHRC営業にU・ターンしてからもモトクロスの応援で全日本MXを観戦してました。息子が龍一郎の
オッカケだと言って、バンに寝袋と酒を積み込んで、スズカ、名阪、コングランド、菅生、でサインボードに”L1-
ガンバ”。(サインボードを出してた息子、今 研究所に勤めてます) 桶川MXでヤマハの市販MX車に乗る
M木(前年はHRCワークス)にHRCのジャンパーを脱いで私はサインボードに”P5 L3 前追え”と M木 を
応援してました、すると、M腰さんに”他社のライダーを応援するとは何事か”と怒鳴られました。この
M腰さんモトクロスが好きで桶川に観戦に来られていました。M腰さんがHRC・MXの親分の時代に、雨の
泥泥レースのスタートグリッドまで、メカニックに泥が着かぬよう担いで運ばせたとの逸話を聞いております
……(当時の事はライダーに聞いて下さい)。 そして 私が M木 をクビにした訳でないし
(ペーペーじゃクビにする権限はありません)、今でも M木 と友人だし、ライダーとして好きだし、HRCの
ジャンパーを脱いで応援して何が悪いんですか。と言い返しました。M腰さんは”時代は変わったな”
と言ってました。でもM腰さんはHONDA一筋(宗一郎さんとかな)ですね、私はスズキ、カワサキ、HRCと
3社を渡り、BIKEを作る事、ライダーとテストする事が好きなんです。退職後、BIKEを作らせてくれれば、
どのメーカーにも行きますよ。
とにかく、M腰さんは技術者として指導者(?)として私の指針となりました。