俺が経験したおもしろい話ー9
中学がら、ニレ(スズキ2輪レースGr)に所属できるまで
中学の時からBIKE系の仕事に進みたかった。父親の浅間のレースを見た話や、雑誌オートバイ
モーターサイクリスト誌を読み、GPレーサーのスペック表を作ったりしてやっぱり、2STは速いなーとか
普通高校→工業大学って考えると7年も、大学ではBIKEを教えてくれる訳でも無いし、そんなに勉強は
好きでもなかったので、高専(5年)だなって決めて、とにかく中2の夏は猛勉強しました、ドリルを
片っ端から解きあさりました。何故か中学の進路担当教師は高専を嫌って受験票を渡してくれなかった
ですね。それは音楽担当の教師だったかな、よく授業中に喧嘩しました。
群馬高専は一期校で県に一校しかなく、田舎の秀才が集っており、また教授の方々も老練の方や
バリバリ張り切っている若い教授が多くおりまして、社会のニーズにそくした即戦力育成が目的でした
秀才でなかった私は大変でしたよ。その中で実習は得意でしたね、バイトで購入したC2SS(kawasaki)
を工場でMXサーに改造(フロントアクスルを旋盤で削ったり、チャンバーを溶接したり)したり、自動車部
でFRPの製作技術を習得したり、BIKEメーカーへの道へますます向かっておりましたが。又、進路担当の
教授がスズキ、ヤマハの受験票を渡してくれません、クラスTOPは東工大へ、2位は東洋工業へと
でしたから、末席の私にはなかなか渡してくれませんでしたが、教授室の前で雪隠攻めを敢行して
受験票を頂きました。
スズキ、ヤマハの入社試験を受けました。ヤマハの英語は憲法の序文みたいでサッパリ解りませんでした
スズキの英語はENGのクラッチの機能が出題され十分訳せました。ヤマハの面接で貴方の英語力は
ダメですねと言われ、はい、私はヤマハさんに英語を訳しに来たのでなく、BIKEを作りたいのですと
返答しました、ダメですね。ヤマハの工場でTD1(空冷2気筒の市販レーサー)を見てカッコ良かったなー
スズキに入社しました、研修1、工場実習、研修2、各課配属、研修3、とまあこんな工程で社会人になって
行くわけで、生産技術のコスト係に配属になりました。図面から部品コスト算出し、他、経費、儲け,等
積上げ、販売価格決める重要な業務です。が、 研修1,2で希望する課をレースGrと申請してたので、
人事課に行って 何故レースGrに配属されなかったのですかと尋ねました。すると研修も担当している
若い方が 貴方の入試テスト成績ではねーと、事務方風の一返答の説明でした、私はあなたは何で
スズキに入社したのですか(まあ文系の方は地元に仕事があるからでしょう)……。スズキでレースを
やりたくって入社した人間の気持は解らんでしょうねと抗議している間に涙が出てきてしまいました。
人事課のたくさんの女の子の前で、すごくカッコ悪かったですが、おかげで名前を覚えてもらいました。
配属後の研修3で人事課の若い方が 約1名の人が配属先に不満があるようですが、新入社員の皆さん
頑張ってください、エイエイオーってやりたかったのかな、すると新人研修代表気取りの××が『与えられた
職場でガンバリましょう』と大きな声で答えてました。私はすくっと立ち、『会社に気に入られる事ばっかり
言ってるんじゃ―ねーよ あんた一人で頑張ったら』と言い返しました。目立っちゃいましたね。それから
研修での平松チェックのきつい事、悪チームのリーダーやらされたり、訳もなく怒られてましたね。
私は生産技術の課長に、レースがやりたいからスズキを選びました(ヤマハも受験しました)と直接
真剣にお話ししました。すると課長は今までこんなに真剣に言ってくる奴はいなかった、解った!。
暫くして、富山工場に出張中に本社に帰ってこい、ニレ(2輪レースGr)に行けとの指示を貰いました。
生産技術課長とレースGr課長どうしでトレードしてもらえたようです。まあ、元気な奴がいるから
ニレで引き取ってくれやでしょう。当然ニレには新規採用者はいるわけですから。よーし、まず
メカニックGrに入れてメカの親分(利一さん)の元 鍛えて(モノを作る実践)から設計させようと
徒弟制度が残っていそうな職場に目出度く入れました。GPライダーの伊藤光夫さん市野三千雄さんも
居られて、真に『ニレ』でBIKEの基礎を叩き込んで頂きました。
高専入試、入社試験時も担当教師、担当教授に私の進みたい方向をちゃんとお話しし、またスズキに
入社後も、上司(生産技術の)に真剣にお話しして、自分の歩きたい道を得られたと思ってます。
そうです、この職場に阿部ちゃん、増田耕二さんも入って来ました、(太一さんは契約ライダーでした)
私は怒られても怒られても楽しく鍛えてもらいました。ここが私の原点でしたね。
この私のブロブに 私を育ててくれた人(師匠) 伊藤利一さん、小島松久さん、阿部ちゃんを記してます
この原点で お会いできた方々です。 だから今があるんだろうなー
COWBOYー平松
中学がら、ニレ(スズキ2輪レースGr)に所属できるまで
中学の時からBIKE系の仕事に進みたかった。父親の浅間のレースを見た話や、雑誌オートバイ
モーターサイクリスト誌を読み、GPレーサーのスペック表を作ったりしてやっぱり、2STは速いなーとか
普通高校→工業大学って考えると7年も、大学ではBIKEを教えてくれる訳でも無いし、そんなに勉強は
好きでもなかったので、高専(5年)だなって決めて、とにかく中2の夏は猛勉強しました、ドリルを
片っ端から解きあさりました。何故か中学の進路担当教師は高専を嫌って受験票を渡してくれなかった
ですね。それは音楽担当の教師だったかな、よく授業中に喧嘩しました。
群馬高専は一期校で県に一校しかなく、田舎の秀才が集っており、また教授の方々も老練の方や
バリバリ張り切っている若い教授が多くおりまして、社会のニーズにそくした即戦力育成が目的でした
秀才でなかった私は大変でしたよ。その中で実習は得意でしたね、バイトで購入したC2SS(kawasaki)
を工場でMXサーに改造(フロントアクスルを旋盤で削ったり、チャンバーを溶接したり)したり、自動車部
でFRPの製作技術を習得したり、BIKEメーカーへの道へますます向かっておりましたが。又、進路担当の
教授がスズキ、ヤマハの受験票を渡してくれません、クラスTOPは東工大へ、2位は東洋工業へと
でしたから、末席の私にはなかなか渡してくれませんでしたが、教授室の前で雪隠攻めを敢行して
受験票を頂きました。
スズキ、ヤマハの入社試験を受けました。ヤマハの英語は憲法の序文みたいでサッパリ解りませんでした
スズキの英語はENGのクラッチの機能が出題され十分訳せました。ヤマハの面接で貴方の英語力は
ダメですねと言われ、はい、私はヤマハさんに英語を訳しに来たのでなく、BIKEを作りたいのですと
返答しました、ダメですね。ヤマハの工場でTD1(空冷2気筒の市販レーサー)を見てカッコ良かったなー
スズキに入社しました、研修1、工場実習、研修2、各課配属、研修3、とまあこんな工程で社会人になって
行くわけで、生産技術のコスト係に配属になりました。図面から部品コスト算出し、他、経費、儲け,等
積上げ、販売価格決める重要な業務です。が、 研修1,2で希望する課をレースGrと申請してたので、
人事課に行って 何故レースGrに配属されなかったのですかと尋ねました。すると研修も担当している
若い方が 貴方の入試テスト成績ではねーと、事務方風の一返答の説明でした、私はあなたは何で
スズキに入社したのですか(まあ文系の方は地元に仕事があるからでしょう)……。スズキでレースを
やりたくって入社した人間の気持は解らんでしょうねと抗議している間に涙が出てきてしまいました。
人事課のたくさんの女の子の前で、すごくカッコ悪かったですが、おかげで名前を覚えてもらいました。
配属後の研修3で人事課の若い方が 約1名の人が配属先に不満があるようですが、新入社員の皆さん
頑張ってください、エイエイオーってやりたかったのかな、すると新人研修代表気取りの××が『与えられた
職場でガンバリましょう』と大きな声で答えてました。私はすくっと立ち、『会社に気に入られる事ばっかり
言ってるんじゃ―ねーよ あんた一人で頑張ったら』と言い返しました。目立っちゃいましたね。それから
研修での平松チェックのきつい事、悪チームのリーダーやらされたり、訳もなく怒られてましたね。
私は生産技術の課長に、レースがやりたいからスズキを選びました(ヤマハも受験しました)と直接
真剣にお話ししました。すると課長は今までこんなに真剣に言ってくる奴はいなかった、解った!。
暫くして、富山工場に出張中に本社に帰ってこい、ニレ(2輪レースGr)に行けとの指示を貰いました。
生産技術課長とレースGr課長どうしでトレードしてもらえたようです。まあ、元気な奴がいるから
ニレで引き取ってくれやでしょう。当然ニレには新規採用者はいるわけですから。よーし、まず
メカニックGrに入れてメカの親分(利一さん)の元 鍛えて(モノを作る実践)から設計させようと
徒弟制度が残っていそうな職場に目出度く入れました。GPライダーの伊藤光夫さん市野三千雄さんも
居られて、真に『ニレ』でBIKEの基礎を叩き込んで頂きました。
高専入試、入社試験時も担当教師、担当教授に私の進みたい方向をちゃんとお話しし、またスズキに
入社後も、上司(生産技術の)に真剣にお話しして、自分の歩きたい道を得られたと思ってます。
そうです、この職場に阿部ちゃん、増田耕二さんも入って来ました、(太一さんは契約ライダーでした)
私は怒られても怒られても楽しく鍛えてもらいました。ここが私の原点でしたね。
この私のブロブに 私を育ててくれた人(師匠) 伊藤利一さん、小島松久さん、阿部ちゃんを記してます
この原点で お会いできた方々です。 だから今があるんだろうなー
COWBOYー平松
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