cowboy-平松の部屋

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救急車の中で ノドが渇いた、背中がイテー

2019-11-30 15:31:18 | 阿部語録 -KAWASAKI時代-
阿部語録-KAWASAKI時代ー12

脊椎骨折スズカ→浜松へ、救急車の中で ノドが渇いた、背中がイテー

スズカの2&4レースでヘアピンを立ち上がった右右でリアをスベラセ過ぎて転倒、救急車で病院へ
(転んだ詳細は阿部語録-kawasaki時代ー2、KR350絶妙なシナリを参照の事)確か、聞いた事が有る
この病院に入ると死んでしまう、やば! 病院では、診察台に横たわっている阿部ちゃんのツナギ
をいきなり脱げと看護師(婦、多分この頃は)が、袖を引っぱり、阿部ちゃんは苦痛で呻いている、
俺は、お前ら何やってんだ、ハサミを持ってこい、と怒鳴ってました、そして阿部ちゃんのツナギを
切り裂いてパンツ一枚にしました。次にはレントゲン室に歩いて来いでした、私は阿部ちゃんの肩を
担いでレントゲン室に、医師はお前はレントゲン室に入ってくるな、出ていけ。私は医師を鬼みたいに
見えましたね。それから阿部ちゃんはパンツ一枚でホッチラカシ (脊椎の圧迫骨折は硬いベットに寝て
骨折部が固まるのを待つしかないようです)そんなの知らん、阿部ちゃんの取り巻き(失礼、支持者)
の方が千恵子さん(阿部ちゃんの嫁さん)にTELしてました。言葉はしどろもどろで、震えてました
ヤバッ、千恵子さんのお腹は?カ月近くで、プレッシャーを与えてはマズイ、即受話器を奪って、”平松だよ、
阿部ちゃん、ちょっと コケテ ね、いつもの事だよ、大丈夫、今から浜松に行くからね”と平静を装った
がダメだった、早産になりそうで、出口をしばったそうです。(お腹の子は長女かな)
又、これからが大変、スズカの医師に今から阿部ちゃんをを浜松(主治医がいる)に連れて行くと
言ったら、医師は”お前は医者か、何様ダー…”、”オレは阿部を一番よく知っている人間だー、浜松
の良い病院に連れていく”と大喧嘩、問答無用でスズカサーキットから救急車を借りて、カワサキの
先輩に運転してもらって浜松ヘ、(浜松の良い病院にどの様に連絡したか覚えてない)。東名高速
でトラックが走行車線を塞いでいたので マイクで "こちら緊急車両 前に車どきなさい"当然違法です。
浜松西で東名高速を下り早く病院に着きたく近道しながら、救急車の後ろの救急ベッドに無言で
乗っている、阿部ちゃんが” ノドが渇いた、背中がイテー” 生きていました。途中の田舎の店に
赤色燈をチカチカ回した(違法です)救急車が、お水を買いに、お店の方は大慌てでしたね。
浜松の良い病院に行っても、背骨を折った奴は硬いベッドにただ骨が固まるまで寝ているしか
ないんだそうです。阿部ちゃんにとっては、一番つらい作業みたいです。でもその間、先生の意見を
聞いて体質改善し体重を落とすんだと言ってました。落ちたかな?。又、煮干しと牛乳をがばがば
私は明石に帰らず、千恵子さんの実家から病院に通いながら、阿部ちゃんの長男の
お守をしてました。

KR250のタンク形状、余分な事しやがって

2019-03-17 17:34:11 | 阿部語録 -KAWASAKI時代-
阿部語録ーKAWASAKI時代ー11

KR250(601C)タンク形状、余分な事しやがって

KR250の開発No、は601です。私がカワサキに移籍(1974年9月)した時はUSA仕様の601Aが存在
したようで、一寸奇妙なBIKEでした。AMAはミッション段数の制限がないので7速、スイングアームはH1R
と共通(可笑しいでしょう)でフロントフォークはダウンストール製でキャリパーと一体でピストンシールはOーリングの
加圧式(理解できない)だそうでした。1975年のデイトナデビューのKR750のフレーム出図に専念した
為、601Aには手を付けられませんでした、でもデイトナに出張前にコンパクトに再設計にした601Bの
フレーム、スイングアームを出図し後のマトメはお願いし、デイトナに阿部のメカ役で出張しました。本デイトナの
レース場に届いた601Bはフレーム、スイングアームの単品のみでした。現地で仕立てられないので、断念
しました。悔しかったです、しかし、601Aを否定するなら、中途半端な601Bを作らず、基本コンセプトを
をしっかり練り直したBIKE(601C)を作れって事で、なに、焦ってるんだ です。 
601Cは構造、レイアウト、部品すべて、W-GPで勝つために、じっくり見直すことにしました。
基本コンセプトは阿部からの指示で、”高速コーナーでタイムを出せるロングホイルベースにしろ”です。カウリング、
フューエルタンクは伏せたり、ハングオンしたりし自分で削りました。キャリパーは2ポットタイプでFR,RR共通型で
カワサキで鋳造しトキコさんで専用加工したコラボ製品、RRサスはBT45をパクリ プログレ比をセッティング出来
るリンクサスを採用し、RRエキゾーストチャンバーは 1本となったRRサスのの近傍を通し、ライポジやエンジン
性能に支障に無いようにスムーズ通しました。これってけっこう大切なんです、小排気量は出力系
からレイアウトし小さい馬力をストレス無しに引き出さないといけないのです。気を遣いすぎて、フューエル
タンクを阿部ちゃん用に腹が当たる部分を凹ましたおきました。阿部ちゃんは”余計な事しやがって、
オレの弾力のある肉はちゃんと覆いかぶさって、ホールドするのだ、凹みは要らない”
ですって。
けっこう、怒ってました。

阿部ちゃん、KAWASAKIのポールだよ、レッドさんより

2019-03-15 13:15:29 | 阿部語録 -KAWASAKI時代-
阿部語録ーKAWASAKI-編ー9

阿部ちゃんKAWASAKIのポールだよ レッドさんより
   
デイトナレースにはレッドさんがボランティアで応援に来てくれるそうです、食事の準備、タイムキーパーとか
面倒見てくれます、気さくな阿部ちゃんはそうゆう方とすぐに仲良くなる習性があるようです
すぐにレッドさんは阿部ちゃんのタイムを私に報告してくれます、また他チームの有力ライダーのタイムも
知らせてくれます、'75はJ・チェコットのデビューした時で阿部ちゃんも速いヤツがいるとマークしてました
そのチェコットや、K・ロバーツ、G・アゴスチーニのタイムを阿部ちゃん頑張れと知らせてくれました。
そして予選が終わって、レッドさんが”阿部ちゃんがカワサキのポールだよって”教えてくれました
レッドさんも、イボンより良いポジションにいる事が嬉しかったようです。阿部ちゃんとやったねっと喜ん
でました。レッドさんも たぶんR・ホールが嫌いなんじゃないかな。
実ポールがチェコット、2位K・ロバーツ、8位がアゴスチーニ、9位が阿部ちゃん、スタート前、アゴには報道陣が
多数、ウチらはゼロ、でも私はイヴォン/R・ホールに勝った、それで充分でした、この前夜、R・ホールは日本
から送られてきた高速タイプのチャンバーをSETしてました。アホカ、キャブセットやギヤリングなど本番までに
確認するチャンスは無いのに、余程、日本の若ぞー達に負けたのが悔しかったのでしょうね。実は、
この時のKR750のエンジンはトラブルを抱えていて、レース前に”阿部ちゃん無事にリタイヤして”って送り
出しました。こんなレース思い出したくないです。
イボン・デ゙ュハメル J・エバンス G・マンデュラッチ(伊) 阿部(クランクトラブル)がリタイヤ、B・デッチバン(英)が
完走した。7位だったかな。しゃけさん(Y)が5位でした。
 あと、レッドさんが用意してくれた昼飯は、いつの間にかビールしか残ってないのです、昼だけ
関係者が多いいようで、ビールが我々の主食になってしまいました。阿部ちゃんがストレートが曲がっ
て見える、走れん、止めや、と赤ら顔で降りてきました、けっこうラフなデイトナでしたね。

KR250(601C)は高速コーナーでタイムが出せるマシンを作ろう、ロングホイルベースにしよう

2019-03-14 22:01:49 | 阿部語録 -KAWASAKI時代-
阿部語録ーKAWASAKI編ー8

601Cは”高速コーナーでタイムが出せるマシンを作ろう、ロングホイールベースにしよう”

601A(別記します)。私が突貫で再設計した601Bが
バラバラの状態でデイトナに届いた、馬鹿野郎ですよね
そして、601BはENGが180度クランクだった為、加振機状態でNGでした(これも別記します)
これを機に阿部が  601Cは
コーナーでタイムが出せるマシンを作ろう、伏せたまま
カウリングに潜り込んで頑張るから、小さく作れ、そして
リヤータイヤからの情報(グリップ感)がライダーの尻に必要
だから、スイングアームはしっかり作れ、高速コーナーで
踏ん張ばれる、ロングホイールベースにしろ、1400mm以上は欲しいな
小さいBIKEはパワーが無いから、いかにスピードを落とさず、アクセルを開けてコーナーを曲がるかが勝負だ
ヘアピンはどうする、と私が質問すると、そんなのはサーキットに1か所しかない、ライダーがなんとでもする
スズカの右右、130Rで頑張る方がタイムが出せるんだよ
阿部のBIKE作り方、サス、ミションのセッティング方法はトータル的にいかにタイムをだせるかを
私に指示してましたね。
そして、RRサスシステムはブラバムBT45をパクロウゼ

ダンロップの鼻毛にバカヤロー 俺を殺す気か

2019-03-14 21:45:27 | 阿部語録 -KAWASAKI時代-
阿部語録ーKAWASAKI編ー7

ダンロップの鼻毛にバカヤロー 俺を殺す気か

1975年 阿部ちゃんと私(メカ)はデイトナに出場してました、KR750のデビュー戦で2月からデイトナ入りし
テストしてました、バリー・シーンも途中からスズキTR750で参加しました、KとSとの合同テストです、半周
ずらしてスタートし危険(転倒に巻き込まれない)をさけます、
 実は1974年B・シーンがRG500(デビュー)でWGPに出場してましたが成績があがらず、G・ニクソンが
支援するために竜洋で安良岡KENさんが先導し走行中にG・ニクソンが突っかけて双方転倒し骨折
私、現場にいました、救援活動し、その日の夜はG・ニクソンの当直番で酷い目に会いました
 阿部ちゃんはタイヤ屋さんと契約してない為、USAのグッドイヤーを履いていましたが、ダンロップも1度
テストしました、阿部ちゃんは、NG と言ってチョイスしませんでした。KR570をメンテしながらB・シーンの 
走りをみてました、1コーナーのつっ込みでいきなり白煙が上がりました、転倒だ、バリーは即救急車
コースも閉鎖です、コースに行ってみると四角い切り餅と同じタイヤ片が落ちてました、バーストでタイヤ片が
吹っ飛んだようです、しばらくして、ダンロップの鼻毛の出たエンジニアが来て阿部ちゃんに再テストして
くれっと頼みに来ました。 ”えー今バリーがバーストして転倒したタイヤをか、ばかやろー”阿部ちゃは
怒ってました。バリーと我々はS時代ラップしてまして、私がデザインしたTR750は阿部もバリーも走行
評価してくれてて、一連の移籍話しが無ければ、阿部ちゃんもTR750で、私もスズキのエンジニヤで
デイトナにいたかも、僚友だったバリーのクラッシュを阿部ちゃんも私も残念におもっていた矢先、
私も、”ふざけんな、阿部を殺す気かっ”と怒りました。AMAはこのタイヤを使用禁止にし、全ダンロップ
ユーザーのエアー圧をゲートでチェックしろと、ダンロップに指示しました。
後にタイヤのカーカスと外周ゴムを接着する材質を変更したと聞きました、谷田部でも同じようなトラブル
が有ります、バンク走行中はタイヤのTOPしか路面に当たらず、発熱した熱がサイドに逃げないと、
タイヤを成形する加硫温度(130度C)をTOP部が超えてしまいタイヤが遠心力で剥がれてしまいます。
怖いです、ですから、谷田部の最高速テストは3周で終了です。それだけでも泡ふいていますよ。